オリンピックが教える人間性の意義

第20回冬季オリンピック大会がイタリアのトリノで始まった。日本からも238名の選手が参加し華やかに開催された。しかし、オリンピックが始まって日本選手の低迷が続き期待された選手も4位が最高で、勝負は時の運とはいえ惨敗する選手や役員に非難の声が上がっている。おそらく日本全国の国民がテレビに釘付けになり、中には徹夜で見たのに、また裏切られたとやり場のない怒りと徒苦感に打ちのめられた人も多いのではないか?
では日本選手はなぜ勝てないのか。それは、選手の自覚と協会の選考に問題があるのではないか?
オリンピックはフランスのピエール・ド・クーベルタン男爵によって提唱されて、1896年アテネオリンピックが開催されたのがその始まりである。クーベルタン男爵は1908年のロンドンオリンピックの際、「オリンピックにおいて重要なのは勝利することよりも、むしろ参加することである」という説話を述べている。しかし、近年アマチュアリズムからプロフェッショナリズムに代わり、今やオリンピックも商業化され競技よりも勝利することが、国を代表する選手に義務付けられたようになってきた。ここ3回の冬季オリンピックを見てみると1994年のリレハンメル大会では日本選手が活躍し5個のメダルを取った。その次の第18回長野オリンピックでは金5、銀1、銅4の計10個のメダルを獲得し、日本全国を熱狂の渦に巻き込んだ。
 しかし、前回のソルトレークシティ大会では銀、銅1つずつの計2個しか取れず日本国民をがっかりさせた。では何故こうもメダル獲得数に違いがあるのか。
これには2つの問題点があると思う。1つは選手の自覚である。わずかな国際大会の実績であたかも世界トップクラスになったいう間違った考え方がそうさせている。もちろんそれを持ち上げるマスコミにも問題があると思う。もう1つは代表選手の選考方法である。長野オリンピックでの金メダリストに大きな期待を抱きながら選んだことに問題がある。長野オリンピックでピークに達した者が次のオリンピック、また今回のオリンピックに参加していい成績が残せるだろうか?選手には強靭な肉体や強い精神面が必要になってくる。8年近くも肉体や精神面で最高の状態に保てるか疑問である。アルベールビル大会及びリレハンメル大会で活躍したノルディック複合の日本選手を思い出して欲しい。オリンピック前にはまったく無名に近かった若い選手がベテランの引退とともに浮上し、なんのプレッシャーもなしに国際大会に参加し、実績を上げオリンピックで大活躍した。この例からも若い選手にもっとチャンスを与え、いろいろな国際大会などを経験させてオリンピックに出場させればもっといい成績が上げられると思うのは私だけだろうか。
 今回の大会には238名中126名の大会役員が参加していると聞く、1人当たりの派遣費は50万円以上といわれる。世界水準に達していない選手や旅行気分の役員の為に国民の税金を使うのは忍びがたい。JOCの反省と再考を促したい。もちろん競技はまだ続いているので後半の日本選手の奮起を期待したい。

■関連サイト
トリノ2006速報 -JOC財団法人日本オリンピック委員会
http://www.torino2006.orgイタリア語 -大会オフィシャルサイト英語はこちら

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2009年6月

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