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29日(土)の夕方、私が学んでいる社交ダンススクールの“SUMMER PARTY2006”に参加した。年2回都内のホテルで行なわれるもので、今回は20回を迎え盛大に行なわれた。私はまだ1年と6ヶ月ぐらいしかレッスンしていないので、参加というより出席という感じだった。アマチュアの部に出るにはかなりのレッスン数と経験(3年位)がないと到底、人に見せるようなものではないということを皆さんのダンスを拝見して、より強く感じた。
社交ダンスは別名ボールルームダンスといい、英国で生まれフランスに伝わり「宮廷舞踊」として発展していった。しかし、フランス革命で「宮廷舞踊」は滅んでいき、今ではバレエの世界においてのみ「宮廷舞踊」が残り、それらは観賞用の踊りとして社交ダンスが残されたという。17世紀に入ってアメリカに渡り中産階級で社交ダンスが踊られるようになった。
日本のダンスの歴史は『鹿鳴館』の舞踏会が最初といわれ、明治16年1月11日木挽町の明治会堂で行なわれた。しかし、その当時は政府の高官や在日外交官などの上流階級に限られたものであり、一般の民衆に広まったのは、ずっと後のことである。ダンスにはワルツやタンゴなどのモダン種目とサンバ、チャチャチャ、キューバンルンバなどのラテン種目がある。その他としてブルース、ジルバ、マンボなどが踊られるようになった。
ともかく、この日のディナーの後のショータイムでスクールのインストラクター22名全員で踊ったダンスは躍動的でリズミカルでそして美しく、見ているだけで自分の体が自然に動いてくるのがわかり、感動で心が震えるような感覚さえ覚えた。忙しい中、なんとかスケジュールを調整して今までレッスンを受けていたが、どうもまだ私には社交ダンスの楽しさを味わうことができていなかったようだ。しかし、今回のプロのダンスを見て何か大衆を魅了するものがあることが分かった。私も続けてきてよかったなぁと改めて感じ、早く私もアマチュアの部に出られるようがんばらなければと強く感じた一日であった。

Drの四方山日記(92)

都内に公園は沢山あるが、最近野球やキャッチボールしている姿を見たことがない。郊外の河川敷での野球やキャッチボールは車を乗っていて多く見かけることはあるが、この頃親子でキャッチボールする機会があまりないようだ。
では、なぜ最近キャッチボールが減ってきたのか。それは「キャッチボールは危険」という考えから、公共の場所や公園でのキャッチボールが禁止されたからである。それは硬球のため人に当たると危険だからという理由かららしい。そこで今年から日本プロ野球選手会が中心になって素手でもグローブでも取れ、親子でも女性同士でも楽しめる新しいボールが作られることになった。大手のボールメーカーが日本プロ野球選手会と共同で専用球「ゆうボール」を開発した。ボールの外側は合成皮革で、中はゴムスポンジで作られ、素手でも扱えるように軟らかいという。また握り方を学べる縫い目もあり、自由自在にキャッチボールを楽しめるらしい。このボールの開発によって今まで全面禁止していた日本公園緑地協会が許可の方向に検討しているようだ。
8月2日横浜アリーナでWBAライトフライ級王座決定戦が行なわれる。その試合に今ボクシングで最も注目されている亀田興毅選手が出場する。相手は世界ライトフライ級1位のファン・ランダエタ(ベネズエラ)である。このボクサーは経験もあり適応力の高さも持つハードパンチャーである。おそらく凄まじい試合が行なわれるのではないだろうか。
25日の厚生労働省の簡易生命表によると、2005年の日本人の平均寿命が男性78.53歳、女性85.49歳で前年よりそれぞれ0.11歳、0.10歳短くなったと伝えている。これは99年以来6年ぶりのことである。その理由をインフルエンザが原因の肺炎などで高齢者が死亡するケースが増えたためとみている。しかし実際には自殺の増加や他の病気(心疾患など)によるものもあるのではないか。
長時間の空の旅などで発症する『エコノミークラス症候群』(正式名、肺動脈血栓塞栓症)の予防にカボスやスダチ(ミカン科かんきつ属)が大きな効果を発揮すると、大分大の食物栄養学での研究でわかった。2年後の2008年には商品化を目指すといわれている。
この日曜日はゆっくり家でくつろぐことができた。たまにゆっくりテレビでも見ようと思いスイッチを入れたら、民放のチャンネルで素晴らしいドキュメンタリー番組が放映されていた。
この頃、リサイクル(廃棄物などの再生利用)運動が盛んであるが、元々日本では平安時代からリサイクルが行なわれていた。その際たるものが雑木林である。雑木林は人間がつくったもので、その材木で家を建てたりして、木が腐されば薪として燃料にも用いて生活の糧にした。
最近、病院に行くとやたらに薬をたくさん出され、飲むのに苦労している人が多いと思う。服用の仕方や薬の副作用などを書いた説明書が写真や文字ばかりで分かりにくいと誰もが感じていたと思う。そこへ新たに『くすりの適正使用協議会』が書いた絵文字(ピクトグラム)を使った説明書「薬の正しい使い方」がインターネットを通じて全国の薬局に配布したという。今回の絵文字は、薬の種類・形状を示すもの、飲み方・用法を示すもの、警告・禁止・使用上の注意を促すものの3つのタイプに分けられ28種類がつくられた。特に禁止事項は赤、副作用による警告は黄色で表示するという。子供やお年寄りにわかりやすくするため、ナイフやフォーク、カプセルなどの絵で表示されている。今回のこの絵文字による薬の使用法は、薬教育として子供から小・中学生などの授業に取り入れていくという。今まで教育の現場では高校の保健体育の時間に教えていたらしい。
このところ、いろいろな事件が相次いでいるが、その中でも漫才コンビ「極楽とんぼ」の山本圭壱の事件はファンのみならず社会全体がビックリした。なぜなら彼は社会人野球クラブ「茨城ゴールデンゴールズ」の主力メンバーであったからである。そのため萩本欽一が率いる野球チームは解散に追い込まれた。欽ちゃんは羽田空港で「ゴールデンゴールズ」の解散を涙ながらに宣言した。その理由は、今回の事件現場に山本ほか2人の選手が同席していたことが彼を解散へと焦らせたようだ。このチームは2年前にプロ野球が混乱し、ファン離れした時に“子供たちの夢を奪いたくない”と昨年の1月に社会人野球球団として発足した。その後の活躍は既に皆さんもご存知の通りである。何もそこまでする必要はないのではないかと、地元茨城県だけでなく各方面から存続の声や署名運動が起こっている。
ここ5日間くらい毎日雨が続き、半ばうんざり気分である。本当だともう関東辺りも梅雨明けする時期であるが、いまだに予測がつかない。西日本の沖縄県や鹿児島県の奄美地方はすでに梅雨明けしている。平年より4日早いと天気予報士は述べている。
16日(日)早朝、羽田空港より私の搭乗した飛行機は北陸・富山に向けて離陸した。今回は田舎のスローライフの集まりと合掌造りの生活調査のため帰郷した。富山空港で関係者3人が出迎えてくれた。車に乗り込んで早速、岐阜県と富山県にまたがる世界遺産に登録されている白川郷と五箇山(菅沼・相倉)を訪れた。日本には現在世界遺産リストに登録されているものが11件あり、自然遺産が2件、文化遺産9件ある。その中でも白川郷と五箇山の集落は文化遺産として1995年に登録リストされた。
私たち日本人にとって“お盆”は、何か特別なものがる。ああ?これから猛暑の日が続くんだと思うと、なおいっそう暑い夏が嫌いな私にはこたえる。
昨日のお昼過ぎ、四谷に出掛けた。私の20年来の友人の事務所で世界的画家であるヒロ・ヤマガタ氏にお会いするためである。以前、親友より彼のことは聞いていたが、なかなかお会いするチャンスがなく十数年が過ぎていた。ヤマガタ氏の名作であるシルクスクリーン画を10点程購入してクリニックに展示し、来訪される患者さんの目を和ませたり、家に飾ったりして家族や仲間を楽しませてもらっている。
それをヤマガタ氏に話したところ「あ、そういうことだったんですか」と驚かれ、彼とのエピソードを私に語ってくれた。いろいろ意気投合していくうちに30分以上過ぎ彼に会うために待っている人たちをヤキモキさせた。彼は昨日までアメリカにおり、来る前の日にアーノルド・シュワルツネッガー氏と行動を一緒にしていたということであった。ともかく不思議に彼と話していると100年の知己のような親しみと共感を感じた。別れ際彼との硬い握手をし、「また是非近いうちにお逢いしましょう。」といってくれ何か熱いものを感じた。人間は人との出会いによって自分の人生が変わるといわれる。まさにヤマガタ氏のお話を伺っているとなにか自分と重なるものを感じた。この日はなにか勇気をもらった感じがして一日充実した日を送ることができた。
この夏は暑いせいかビールがとても美味しい。特に家族や友人、あるいは職場の仲間たちと語らいながら飲むビールは最高だ。私も仕事を終えてからの家庭での缶ビール(360ml)の一杯は仕事の疲れを忘れさせてくれる。
朝、新聞に目を通していたら素晴らしい記事があった。それは東京のある中学校のバラ花壇に絡む話である。このバラは普通のバラではなく「アンネのバラ」で、ベルギーの園芸家が作った新種のバラ「スべニア・デ・アンネフランク」を、アンネ・フランクの父オットー・フランクに“アンネの思い出・形見”として贈ったものである。
9日でサッカーワールドカップ・ドイツ大会が終了した。今までもサッカーの話題が多く、5回に分けてブログを書いてきた。もうそろそろサッカーから離れようと考えていた矢先、劇的な出来事が起こった。それはイタリアとの決勝戦においてフランスの司令塔でキャプテンのジネディーヌ・ジダン選手が退場というハプニングが起こった。そのせいかフランスの2度目の世界一の座は遠のいてしまった。1度は代表を引退したジダンが同じく引退していたチームメイト、ティユーラム・マケレレ選手と共にフランスの世界一のために復帰した。
日曜日、家族の誕生日を祝って私の家族と仲間2人を連れて、東京の郊外にある八王子の高尾山に行った。高尾山といっても登山するのではなく、20年来の友人である井上淑博さんの経営する“いろりの里”高尾山名主「ごん助」を訪れた。この「ごん助」は奥高尾の山麓にあり、甲州街道を高尾山口から相模湖方面へ向かって車で10分程走ると、大垂水峠の入り口の手前両側に小さな村を思わせる一角がある。これが『ごん助村』である。
7日の七夕の夜、診療を終えてからテレビ出演のための取材と撮影があった。韓国の民放で一番大きいソウル放送(SBS)の『SBSスペシャル“血液型の真実”』に出演のために撮影班がわざわざ訪日したのである。午後8時過ぎ3人(チーフディレクター、カメラマン、通訳)が到着、早速簡単な打ち合わせに入って、クリニックの全体の撮影を行なってからいよいよ本番に突入した。最初は私の患者さんの1人でもある女性の方をモデルに実際の治療している状況を20分程度音声を入れて撮影が行なわれた。次にその患者さんから“血液型健康法”と“血液型ダイエット”のインタビューを15分程行なわれたようである。私は次の準備のため院長室で軽く関係書類に目を通していたため待合室でのインタビューの状況が分からない。10分程のテレビカメラのセッテングの後、患者さんとの治療後の説明や食事指導、特に血液型別健康食生活について患者さんにアドバイスしている様子を撮影された。この場面は20分で終了して、5分の休憩の後、私の単独インタビューに入った。
過去に日本のテレビには数十回出演しているが、韓国のテレビとの違いはいろいろな面で見られる。日本の場合は台本というものがあり、それにしたがって進行していくが、韓国は簡単なレジュメがあるのみで、その都度ディレクターと出演者とで相談しながら進行する場合が多い。よってリハーサルより本番を重要視する。その他ではスタートの合図がなくいつ始まったのか分からなくてビックリするが、彼らの考え方はあくまでも自然体で映像を撮りたいようである。日本の場合は合図があるのでスタートするとかえって緊張してやり直しが多い。どちらがいいかはそれぞれの国によって違うので何ともいえないが、韓国のテレビ出演は私にとっていい経験になったようだ。
今日7月7日は五節句の一つである七夕である。私が小さい時は本物の竹に思い思いの願いを短冊に書いて飾り付けた。私の町は人口1万人くらいであったが、七夕になるとそれぞれの家々が大きな飾りをつけて競ったものである。そして町外れの川に行灯片手に行列をなして川に流しに行った。
その七夕伝説を現代では仙台、平塚などで盛大に行なわれている。特に仙台の七夕祭りは7つの道具(紙衣・千羽鶴・投網・巾着・吹き流し・屑篭・短冊)を飾り商売繁盛、無病息災などの祈願をするという。
5日未明から朝にかけて6発のテポドン2号を含めた弾道ミサイルが日本に向けて発射された。落下したのはロシア沿岸南方の日本海である。幸いなことにわが国領土内に落とされなかったことに日本国民は安堵した。北朝鮮の今回の行為は「米国の関心を引くこと」、「アメリカを含むアジア同盟国への警告」ではないかと専門家は論じている。
どうも現在の北朝鮮の金日成、金正日一族と江戸時代の徳川家による幕府の統治には類似点があるように思う。一族が国家を支配しそれに反するものは徹底的に排除するその方法は、まさに相通ずるものがあるように思えてならない。日本の場合は徳川一族が「自家優先主義」を保持し260年以上にわたり長期安定政権を築いてきた。しかし、1858年にアメリカ合衆国のペリー提督率いる黒船や他の西欧諸国が来航し開国を迫り、その結果1868年に徳川幕府が崩壊し明治新政府が成立した。いわゆる明治維新の状況とここ近年の北朝鮮の金正日一族の動向が類似し、まさに北朝鮮の崩壊を思わせる状況から今日の弾道ミサイルの発射されたように思うのは私だけだろうか。ともあれ時代は民主主義主体の世の中に進んでいる状況である中、平和と安定を求めることが最優先されている。早く安心して暮らせる世の中になって欲しいものだ。
ある雑誌に驚くことが書いてあった。それは未来の農業が太陽の光や土も農家もいらない時代に入るという。それは工場を建ててその中で野菜や植物を栽培するというものである。そのときは何気なく目を通しただけで終わったが、今朝のラジオ番組で「野菜工場」について論じていた。それによると、これからの野菜など植物は太陽光と自然環境に依存した農業やビニールハウスで栽培する方法ではなく、ハイテクの工場を造って生産するという。情報によると室内で光量や温度などをコンピューター管理して農作物を育てる「野菜工場」が広がっているという。天候に影響されず農薬も使わず土もなく洗わず食べられ安全性も保障されるという生産に、今大手の企業が相次いで参入している。
今までの気候、土壌、農薬、環境などに影響を受ける農業は維持できなくなり、ほとんど外国の輸入に頼りつつあった。しかし今回の「野菜工場」は農地や人件費及び石油から作った肥料なども必要とせず、ハイテク野菜生産システム(野菜自動工場)によって季節や天候に左右されず無農薬野菜を一年中生産できる。まさに消費者にとっては夢のような話である。ただ「野菜工場」の大きな課題はコスト面において、露地物の数割から倍近く高いという。その最大の原因は太陽光と電灯などの電気代が生産原価の3割近くかかり、現状では成功しても大して儲からない、つまりうまみの少ない事業といわれている。そのため日本の大手の企業が大型の工場を設け、大量に生産してその問題をクリアしようとしている。特に各社ともスーパー、居酒屋、ハンバーガーチェーンなどの外食産業へ販路を拡大し利益を増やそうとしている。
例えばサラダ菜100グラムあたりカルシウムが工場産だと33ミリグラム、露地物だと50ミリグラム、ビタミンCでは工場産で16ミリグラム、露地物で13ミリグラムだという。ほとんど栄養価は露地物とそう変わりない水準が得られるというので驚きである。野菜に関わらず他の植物でも同じことが言えるようだ。
サッカーの中田英寿選手が突如現役引退声明を発表した。Jリーグに始まってイタリア、イングランドで8季6クラブを含めて10年間にわたりプレーした。日本代表には20歳で選ばれ、数々の国際Aマッチで活躍し、日本サッカーのけん引役となった。彼の引退声明も自身のホームページ上で行なうというまさに現代流の考え方である。その理由も体力の限界を感じ思うようにプレーができない、というありきたりの理由ではなく「日本代表として責任を負って戦うことが困難になり応援してくれる人たちに感動を与えることができない。そして子供の頃から持っていたサッカーボールに対する“瑞々しい感情”が失われたから。」というまさに男の美学からである。そして最後に“人生とは旅であり、旅とは人生である”と締めくくっている。
日曜日の夕方、妻と私の誕生日を祝うために、東京・恵比寿にある恵比寿ガーデンプレイスに行った。恵比寿ガーデンプレイスは2002年11月にサッポロビール恵比寿工場の跡地に複合型開発都市として、明治時代に建設されたドイツ風の煉瓦建てのビルをモチーフにして建設された。この一角には映画館・美術館・アトレ・デパート・レストランなどが立ち並び、中心には噴水やさまざまなアートワークなどがレイアウトされ、カルチャー・文化を生み出す街として親しまれている。その一角である三越の中にある“Olive Bar”で食事を楽しみながらのボサノヴァのライブを満喫した。
このところほとんどの若者が携帯電話を持っている。ある企業の調査によると小学生の携帯電話の利用は4人に1人、中学生で2人に1人、高校生で90%であり、高校生の30%が1日2時間以上利用するという結果が出ている。今や若者にはなくてはならない必需品であるようだ。今から10年前までは携帯電話は価格が高く、お金持ちか特定の中高年の男性に限られ一般庶民には高嶺の花であった。当時のマスメデアもこぞって「携帯電話は社会の迷惑だ」、「携帯電話野郎は恥ずかしい」、「ポケベル親父が進化して」などと非難したものだ。当時は何故一般庶民は携帯電話をもてなかったか?その理由は加入料金や回線使用料および端末機器の価格が非常に高くてなかなか購入できず、日本では普及しなかった。