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74.jpg  今日7月7日は五節句の一つである七夕である。私が小さい時は本物の竹に思い思いの願いを短冊に書いて飾り付けた。私の町は人口1万人くらいであったが、七夕になるとそれぞれの家々が大きな飾りをつけて競ったものである。そして町外れの川に行灯片手に行列をなして川に流しに行った。


 七夕(しちせき/たなばた)の始まりは中国で、後漢の頃(1?3世紀)に作られたといわれ、古くは棚機(たなばた)と表記されその名残が“たなばた”という発音になった。その中国の節句が日本の奈良時代に伝わり、『古事記』にあった日本の棚機津女(たなばたつめ)の伝説と合わさって今日の七夕が生まれたという。棚機津女の伝説は村の災厄を除いてもらうため水辺で神の衣を折り、神の一夜妻となるため織屋で神の降臨を待つ巫女(棚機津女)の伝説で「たなばた」という語源が生まれた。それが695年、持統天皇に宮廷で宴を催されたのが七夕祭りの始まりである。発祥である中国の伝説によると、夜空に輝く天の川のほとりに天帝の娘で織女と呼ばれる天女が住んでいた。織女は天を統治する父天帝の言いつけを守り、毎日機織に精を出していた。彼女の織る布は5色に輝き季節の移り変わりと共に色取りを放つ不思議な織物であった。父は娘の働きぶりに感心して、天の川の西に住む働き者の牽牛という牛飼いの青年と結ばせることにした。こうして2人は新しい生活を始めた。しかし、結婚後の2人は暮らしに夢中で毎日遊び呆けて織女は機を織らなくなり、牽牛は牛を追わなくなった。そのため天帝は怒り、反省させるために天の川を隔てて2人を引き離した。そして天帝は織女に「心を入れ替えて一生懸命仕事に精進するならば年に一度7月7日の夜に牽牛と会うことを許してやろう」と申し渡した。織女は牽牛と離れて暮らすのが辛くて涙にくれていたが、天帝に背くことができず天の川の東に帰っていった。それ以来自分の行いを反省し牽牛に会いたいばかりに機織に専念した。牽牛も同じ思いであった。指折り数えて7月7日の夜、2人が待ち焦がれた日であったが雨が降ると天の川の水かさが増し、織女は向こう岸に渡ることができず、船人に渡してくれるように頼むが断られ途方にくれた。その時どこからか無数のカササギ(鵲・カラスより小さい肩の羽と腹面が白色で、あとは黒色の鳥)がやってきて天の川に自分の体で橋を掛けてくれた、という七夕伝説である。ベトナムではカササギの変わりにカラスがその役目をなすと言われている。またヨーロッパの伝説はアザラシが皮を脱いで美女になり、漁師がアザラシの皮を隠してしまい美女は海の中の国に帰れずしかたなく漁師の妻となる。その後、皮が見つかり美女はアザラシとなって海に帰ってしまう。

74b.jpg その七夕伝説を現代では仙台、平塚などで盛大に行なわれている。特に仙台の七夕祭りは7つの道具(紙衣・千羽鶴・投網・巾着・吹き流し・屑篭・短冊)を飾り商売繁盛、無病息災などの祈願をするという。
 北朝鮮でも「チルソク」という七夕伝説がある。しかし横田めぐみさんと日本にいる両親が長く引き離されてきた。七夕の伝説のごとく、この親子を是非カササギの橋を造って逢わせたいものである。

Drの四方山日記(74)

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2009年6月

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