アンネのバラが結ぶ平和の輪

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78.jpg 朝、新聞に目を通していたら素晴らしい記事があった。それは東京のある中学校のバラ花壇に絡む話である。このバラは普通のバラではなく「アンネのバラ」で、ベルギーの園芸家が作った新種のバラ「スべニア・デ・アンネフランク」を、アンネ・フランクの父オットー・フランクに“アンネの思い出・形見”として贈ったものである。

1974年この中学校の国語の教諭が授業で『アンネの日記』を取り上げて生徒たちに感想文を書かせ、それを父であるオットー・フランク氏に送ったところ2年後にバラ3株が贈られてきた。そのバラを丹精込めて育て株を増やし、32年過ぎた現在バラの花壇は大きくなり生徒たちの心の安らぎとして可愛がられている。またPTAをはじめ保護者から「せっかくの貴重なバラだから教育に生かしては」と声が上がり「アンネのバラ委員会」ができ、メンバーも40人を超えた。この「アンネのバラ」を1905年と1906年には広島市の中学校にプレゼントし、昨年8月にはその中学校の生徒が日韓中高生交流会に呼びかけ、平和のシンボルとして世界中に届けたいと生徒は目を輝かせている。

『アンネの日記』の著者アンネ・フランクはドイツのフランクフルト・アム・マインの裕福なユダヤ人一家の末娘として生まれた。1933年ナチス・ドイツによるユダヤ人迫害を恐れオランダ・アムステルダムに家族と共に移住した。しかし、第二次世界大戦勃発後、1940年ドイツ軍に占領されてユダヤ人狩りが始まり、1942年ダーン一家など8人と父の職場である事務所を隠れ家にして潜行生活に入る。2年後の1944年、隠れ家はゲシュタポに見つかり8人は逮捕され、アンネは姉マルゴーと共にベルゲン・ベルゼン強制収容所に入れられる。1945年姉のマルゴーがチフスにかかり、2・3日遅れてアンネもチフスによって息を引き取った。死亡前2年間の隠れ家での生活を日記として綴ったものを、その後父が『アンネの日記』として出版して世界的なベストセラーとなった。なぜいまだにこの『アンネの日記』が世界中の人たちを感動させるのか。日記はアンネが13歳の誕生日である1942年6月からゲシュタポに逮捕される3日前にあたる1944年8月までの2年間綴られている。隠れ家生活の中で8人が狭い、緊張に苛まれた空間で同居する様や、思春期の少女が家族に対して抱く気持ち、性に対する好奇心、迫り来る死への恐怖などの少女の心情が見事に描かれている。

この少女が激しい差別や迫害に屈せず、最後まで希望を失わなかった精神は、時代を超えて今なお我々に“生きる勇気”と“平和な社会実現への希望”として与え続けている。
中学校と「アンネのバラ」がその役割を見事に受け継いでいる。

Drの四方山日記(78)

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2009年6月

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