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16日(日)早朝、羽田空港より私の搭乗した飛行機は北陸・富山に向けて離陸した。今回は田舎のスローライフの集まりと合掌造りの生活調査のため帰郷した。富山空港で関係者3人が出迎えてくれた。車に乗り込んで早速、岐阜県と富山県にまたがる世界遺産に登録されている白川郷と五箇山(菅沼・相倉)を訪れた。日本には現在世界遺産リストに登録されているものが11件あり、自然遺産が2件、文化遺産9件ある。その中でも白川郷と五箇山の集落は文化遺産として1995年に登録リストされた。
この集落の合掌造り家屋は、日本のどの地方にも見られない極めて特異な形態を呈している。どちらかというと昔の家屋にしては“合理的民家”の一つの形態をしている。19世紀末には合掌造りの家屋は1800棟以上もあったが、20世紀半ば以降は急激に減少して、現在は白川郷に114棟と五箇山にある相倉に20棟と菅沼に20棟で、築100年?200年というのが状況である。私が幼少の頃はかなりの合掌造りの民家が存在していた記憶がある。
私の実家は五箇山の近くの町で菓子製造業を営んでいる。父が経営した頃は数十人の若い衆が働いており、その中の3人くらいは五箇山の平村や利賀村から住み込みで働きに来ていた。昔から白川郷及び五箇山の山岳地帯は日本でも有数の豪雪地帯でかつては冬ともなれば、全く交通手段がなくまさに「陸の孤島」であった。そのため俗世から隔離された。山岳奥地には平家の落人が隠れ住んだという伝説がまことしとやかに語り継がれている。
その後、時代と共にこの集落にも次第に道がつくられ、交通手段が確保されてから以後は訪れる人も増え、まさに市町と農村との交流が進んで共生・対流が実現した。特に世界遺産に登録されてからの観光客の数は150万人の大台を超えて驚異的発展をし、賑わいを見せる集落となった。
合掌造りとは「小屋内を積極的に利用するために、又首構造の切妻造り屋根をした茅葺家屋」である。また合掌造りの屋根裏は2?4層に分け蚕の飼育所や桑の葉の収納所として使われたり、妻に開口を設けて小屋内に風と光を確保できるように活用された。
私が最も興味を持っているのは、ここでの食事である。両集落とも同じ食物を栽培していたようだ。その中でも白川郷は朴葉を使った料理、そば・栃餅で、五箇山はゼンマイ・スス竹・ウドなどの山菜、豆腐、イワナ、ヤマメなどの魚を主食としていたようだ。
この急峻な山々と深い谷が続く山峡の地は、2年前に訪れたやはり文化遺産であるペルーのマチュピチュを思い出させる。この地もインカ帝国がスペイン軍に終われ隠れ住んだ状況とよく似ているものがある。今回この地を訪れて、今まで詳しく知らなかった合掌造りの集落の建物や気候、風土がら生まれる生活は、今回の目的とするスローライフそのものである。また私の生まれた故郷に世界遺産である素晴らしい集落を残してくれたことに感謝している。

Drの四方山日記(82)
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