2006年8月アーカイブ

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119.jpg 今日の夕刻関東地方一円に大きな地震があり、神奈川県横浜市などで震度4を記録した。震源地はなんと東京湾で地震の規模はマグニチュード4.8、震源の深さは70キロという。首都圏の交通にも影響を与え、JR各線や地下鉄などに遅れが出て、東海道新幹線が一時運転を見合わせた。


 気象庁は、今日の午前「東海地震」の予知を想定した防災訓練を行なったばかりで皮肉にも今日の今日地震があったことは怖い限りである。特に今年の訓練は首都直下地震が中心に想定されていたという。

 ここ10年近く年4,5回くらい東京にも地震が起こり、何か不吉な予感すらする。30年前に「東海地震説」が提唱されてそれ以後国としては地震対策の重点を東海地震から首都直下地震へとうつしつつあるようだ。最近の気象情報を見ると、いつ大地震がきてもおかしくない状況にあり都民の1人として地震にどう対応していいのか考えさせられる。某新聞によると都民の8割が震災危険度ランクを知らないという。もちろん、私自身もその1人であった。もし、大型地震が起こったらどこへどう逃げればいいのか、また、なにを持ち出せばいいのかもう一度あらためて考えるべき時期がきているようだ。

 阪神淡路大震災の教訓によると地震が起こって30秒たっても揺れが止まらない場合は逃げる準備をし、1分以上続く場合は余震が継続して起こってくるのですぐに安全な場所に退去しなければならない。はたして現実に起こった場合、関東一円で約3000万人の人がどう行動するのかを考えるとそれは恐ろしい。ともかく、地震の際には冷静な判断と行動が必要になってくるので日頃から準備を怠らないよう気をつけようと思う。

Drの四方山日記(119)

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118.jpg 日本政府がバブル崩壊後、景気低迷に苦しんだ1990年代の「失われた10年」を中心に分析し、今後の経済政策を教訓にすると発表した。
 このところの経済情勢をみると株価の下落やマイナス成長の影響で失業率は悪化の一途たどっている。その影にはアメリカのITバブルの崩壊や日本政府の実力不足があると経済専門家は語っている。


 総務省は7月の各家庭の調査結果を発表した。それによると1世帯あたりの消費支出額が29万2,328円で、7ヶ月連続して減少したと報じた。今年は梅雨明けが遅かったのと、雨天が多かったため旅行や宿泊などの教養娯楽が落ち込んだり、外食が減ったのがその原因としている。

 2004年以降、年金保険料の引き上げや介護料の徴収など家計負担の増加につながる制度変更が相次いで予定されており、景気はますます悪化の一途をたどると予測されている。秋に行なわれる自民党総裁選に出馬する候補者の一人も消費税の引き上げを公約の1つにあげている。今の消費税5%にするときもこの財政を医療福祉や老人福祉に活用しますといいながら、実行があまりなされていないのに、再度同じようなことで国民を欺いている政策には私でなくとも腹が立つ。国民から集めた税金を海外援助や国連につぎ込むようなやり方では、ますます国民を苦しめ、ちっとも豊かな生活を保障してくれない。どれだけ一生懸命働いても税金に持っていかれて生活が豊かにならないというのが日本の現状である。

 各企業も収益が見込まれないため、この数年は企業の再編をうたって「リストラ」を敢行した。その結果、企業は人件費の削減が進み、効率経営に成功した。それを景気の回復とした政府の考え方は国民の1人として納得がいかない。正規雇用以外が増え、アルバイトや非正規雇用者を増加させるのは、これから先を考えたら日本経済にとってマイナスになるのではないかという不安を抱かせる。また、非正規雇用の若者が増加する一方で企業は非正規雇用者に対して教育や訓練の機会を与える意識はなくなり、将来的には「中年フリーター」さえ輩出するのではないかと懸念される。

 1980年代以降は徐々に経済の格差が広がり、これからの将来は厳しい状況に追いやられるのではないだろうか。日本の首相は「世の中で言うほど格差はない」と主張しているが、果たして市場経済をどの程度正確に把握しての発言か疑問を感じる。
 もう一つ私が疑問に感じるのは、家庭の貯蓄額についてである。一般に一世帯の貯蓄平均は1,400万円といわれている。この数値は一部の金持ちを平均にしている額ではないかと疑いたくなる。2004年の平均貯蓄額は1,398万円、ただし、貯蓄ゼロ所帯をはずした値である。ゼロ所帯を含めると実際には1,022万円である。このように日本の統計はすべて政府に都合のいいようにできているように思えてならない。小松左京氏の『日本沈没』にならないようしっかり手綱を締めて、日本の政治家に頑張って欲しいものである。

参考資料:社会実情データ図録 Honkawa Data Tribune「社会実情データ図録」

Drの四方山日記(118)

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117.jpg 昨日、マスコミなどで興味深いニュースを報じていた。それは1960年、当時の科学技術庁長官であった中曽根康弘氏が21世紀初頭の技術予測(原子力、医学、宇宙など35項目)をした。

そのうち携帯電話、電子レンジ、人工授精・精子の永久保存など54項目が実現したと文部科学省が公表した。当時「21世紀への階段」のタイトルで出版され、センセーションを巻き起こした。ただ、実現しなかった大きなものとして月への拠点となる「地球空港」の洋上設置や、テープレコーダーに吹き込まれた家事をこなす電子お手伝いさんなどであるが、特に全く振るわなかったのは原子力関係であった。

20世紀は何かひたすら走り抜けて来た時代のように思う。それに対して21世紀初頭は新しい時代のきっかけをつくる真っ只中にあるように思う。確かに未来を予測することも無意味ではないが、これだけ科学が進歩した時代、放っておいても近代化はどんどん進み自然に社会にマッチした時代へと進む傾向にあるようだ。21世紀は近代化の中で傷ついてしまった環境や人を回復するところから始まるように考える。例えば「地球温暖化」に代表される環境問題、「癒し」や「スローライフ」を求める人の問題を、都市や国家の中で解決していくキーとなる。

科学技術庁は未来像の6割は実現しなかった、と発表しているが、私は違う考えを持っている。実現しなかったものの中で何割かは、ほとんど未来像に近づいているものがあるのではないだろうか。例えば空港の洋上設置はすでに関空や中部国際空港などが実現しているし、技術面においても20世紀と違い格段の成長を遂げ現代社会に実現している。その他として、我が国の宇宙開発も失敗は続けているが、その失敗を元に前向きな姿勢で研究が続けられ近いうちには各国と肩を並べる状況に達するのではないだろうか。

21世紀は政府がいう“活力ある高齢化社会を支えるシステムの構築”を進めているが、我が国は世界に類を見ない形で高齢化社会、あるいは人口減少社会へと突入している。また、日本の伝統的文化の継承が薄れ、新しい文化が台頭して社会に浸透しようとしている。これらの、こともこれから21世紀の大きな課題の一つになってくるのではないか。おそらく文化とテクノロジーの融合、芸術、学問、技術、医学を統合した時代に急激に変化していくのではないだろうか。今後残す21世紀は、どんな社会が待っているのだろうか。

Drの四方山日記(117)

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116.jpg 昨夜遅く民放の番組でゴルフの全英シニアオープン選手権(The Senior British Open)を放映していた。この大会は由緒ある大会らしく、全英シニアツアーと欧州シニアツアーの共同開催の大会で、前回の優勝者はアメリカのトム・ワトソンという有名プレーヤーである。

 ただ、ゴルフの試合の番組は多いが、この番組はドキュメンタリー風で“7人のサムライの運命・激動の全英オープン”というタイトルが貼られ、日本のシニア6人が世界のプレーヤーに挑戦する姿を克明に描いていた。今大会は特に2002年日本人でメジャーを制覇した須貝昇(56歳)が癌を克服してシード権を手に入れ、帰ってきたチャンピオンとして試合に臨んでいた。一時は10位以内に位置し最終的には+12で予選落ちしたが、その一生懸命にプレーする姿にスポットが当てられた。そのほか、中島常幸(51歳)の復活プレー、尾崎直道(50歳)の華麗なるプレー、室田淳(51歳)の根気のゴルフ、2002年欧州シニアツアー賞金王の海老原清治(57歳)そして日本を代表するゴルファーで数々のメジャーを制した青木功(63歳)が過酷なコースコンディションの中死闘を繰り広げた。そのプレーする姿には何か胸がジーンとさせられるものがあった。

 結果はプレーオフの末ローレン・ロバーツ(米国)が優勝し、日本勢は健闘の結果、中島常幸と室田淳が15位、尾崎直道が47位、青木功が60位、海老原清治が73位という成績だった。結果はともあれ日本の選手は奮闘し、大勢集まったファンを魅了した。

 最近は宮里藍や横峯さくらなど女子選手が世界で活躍しているが、もともとシニアというかベテラン勢が世界で数々のプレーを見せタイトルを手にしてきたことが、今日の日本のゴルフ界の礎になったといっても過言ではない。どのスポーツでも先人が世界に道をつくることは並大抵のことではないが、ベテランのフロンティア精神があってこそ次の世代の若者が活躍できるのである。ともかく、シニアの選手の活躍する姿を見て私も何かを感じ取ったような気がする。

Drの四方山日記(116) 

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115.jpg 10日間の南アフリカの旅を終え一段落したので、私の目で見てきた南アフリカ動物の生態について記してみようと思う。詳しくは『世界探訪』のコーナーで記載するが、今回はジンバブエ、ボツワナ、ザンビア3国のうちボツワナのチョベ国立公園でめぐり会った動物たちについて述べてみる。アフリカはどんな道や草原・平原を走っても、何となく動物たちに会えるまさに動物王国である。


 私たちは最初にボツワナの国立公園内にあるチョベ川でボートサファリを楽しんだ。当初、水上から動物を観察するのは難しいと考えていた。しかし、予想を覆してたくさんの動物たち見ることができた。その代表的なものがアフリカゾウ、カバ、アフリカンバッファロー、サバンナヒヒ、シカたちである。特に最初に見たのが大きなゾウとカバであった。ゾウとカバが隣り合わせにいきなり出現したのには驚いた。そして、大湿原をさらに進むとカバのファミリーと出会った。あまりの可愛さにボートを近づけるように要求した。すると、カバは突然大きなあくびをし、警戒したのか水にもぐり我々のボートに急接近してきた。

 次に見たのがアフリカゾウの群れであった。この自然国立公園にはアフリカゾウが5万頭も生息しているといわれている。特にゾウの群れの川渡りには感動のあまりで目頭が熱くなった。また100頭以上のカバの水浴び、バッファローの群れの凄さ、時々見かけた孤独なナイルワニ、砂浜にインパラやクードゥーとたむろするサバンナヒヒの群れは、どこかディズニーランドのアドベンチャーランドを思わせる。ただ、違うのは全てが作り物ではなく本物だということだ。 

翌日、乾いた風が吹く広大なサバンナを四輪駆動の階段式ジープに乗り、野生の動物たちを追いかけた。雨が少ない亜熱帯草原のせいかホコリがすごく我々全員はマスクをした。ただ驚いたことに、これからライオンやヒョウなど猛獣に遭うのに柵や窓が何もないオープンな状態だったので、ちょっと不安であった。しかし、心配も不必要で見る動物はみんな我々にあまり関心がなく自分たちの生活を守っていた。ここの自然保護区で見る動物たちは、まずほろほろ鳥やカワセミなど100種類以上の鳥類、特に三色海鷲がジープの横の木から飛び出したのには仰天した。大きな動物としてアフリカゾウに出くわしたりした。それも10頭ぐらいの群れで、中には子ゾウも混じっており、実際に生活しているのだなあと我々はうっとりした。次にしばらく車を走ったところでキリンを見つけた。それも15頭ぐらいの群れだった。そして何と一頭のキリンが座っているのには驚いた。その横にはキリンの子供がじゃれていて親が注意している姿には和む思いがした。さらに奥地に行くとボツワナで多いインパラやクードゥーの群れを見た。その山の上方にはありとあらゆるシカが存在しあっけに取られた。書き出せばきりがないので、この辺りで止めることにする。
 我々都会で生活する人間にとって野生の動物の生態を見ることは、ストレス解消にもなりまた生き物の大切さをつくづく感じさせるものでもあった。
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Drの四方山日記(115)

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114.jpg 昨日、チェコのプラハで行なわれた国際天文学連合(IAU)総会で、太陽系惑星の一つ冥王星が惑星から格下げされ小さな惑星を意味する天体「矮惑星(ドワーフ・プラネット)」となった。

 太陽系には9つの惑星があり、それらは水星(太陽系の一番内側を回る小さな惑星でリンクルリッジと呼ばれる断崖地形をしている)、金星(地球のすぐ内側を公転し、地表が溶岩流の火山地形で覆われている)、地球(生命にあふれた水の惑星)、火星(地球に良く似た惑星で砂嵐の吹き荒れる荒涼とした赤い大地)、木星(太陽になりきれなかった巨大惑星)、土星(美しいリングは氷の粒子からできている。地球から肉眼で見える)天王星(横倒しで太陽を回る青緑色の惑星)、海王星(青色を呈し、反時計回りの渦、海王星の巨大な大暗班)、そして冥王星(二重惑星系ともいうべき冥王星と衛星カロン)である。

 今回の冥王星は太陽系の最外側を回る惑星で、内側から数えて9番目に位置し、大きさは地球の6分の1、重さも500分の1と月よりも小さく岩石でできている。ギリシャ神話の死者の世界の王であるプルートーの意味を持つ。1930年、アメリカのローエル天文台のトンボーによって発見された。他の8つの惑星とは著しく異なった特徴を持っているといわれている。その1つが他の8つの惑星はほぼ同一の平面を公転しているのに対し、冥王星の公転面は17度傾いている。また、他の惑星と違い公転軌道がほぼ円に近いのに比べて楕円形をしている。これらのことが今回の総会で問題になり、惑星から降格することになった。

 私自身は太陽系惑星については、恥ずかしながらいくつかの惑星しか知らなかったというか興味がなかった。でも、今回の一件で惑星について興味を持ち調べてくるといろんなことが分かり知識高揚に役立った。ただ、今回の一件は占星学の人たちにとって大変なことではないかと、他人事ながら案じている。地球に住む以上太陽や月のみならず、ほかの星を知ることも大切であるということを改めて認識させられた。
Drの四方山日記(114)

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113.jpg 今回のアフリカの旅で最も重宝したのが、なんと携帯電池式虫よけ器である。以前ある島に行ったときジャングルの中を20メートル程歩いたところ、吸血鬼ともいえる昆虫の大群に遭い手足などが刺され大変な目にあった。そこで同じ目にあわないように携帯虫よけ器を購入し持っていった。

 ボツワナでチョベ川でのボートサファリに乗船やチョベ国立公園のサファリドライブでの乗車中に、この携帯虫よけをベルトにつけた。そのお陰か虫に刺されないで助かった。

ただ驚いたのは、今回同行した11人全員の機種や種類は違うが、この携帯虫よけをつけていた。
このサファリ以外でも各ホテルの中でもおおいに役に立った。何しろアフリカだから。

 この携帯電池式虫よけ器には調べたところいろいろ種類があり、あまりにも売れすぎてなんと日本では大手2社が裁判まで起こしている。

 虫よけ器には吊るしたり、置いたり、巻いたり、首からさげたりなど、いろいろな種類がある。商品としても森林で使う携帯用防虫器、アウトドアやキャンプなどに効く携帯用蚊取り蚊よけ器、天然ハーブを使った虫よけ器など多種多彩であるらしい。小型で最軽量、効き目がよく火も熱も煙も出ない、ましてや匂いもなしとなれば鬼に金棒だ。物によっては1個の器具で20日間120時間使用可能というものもあり、旅行には最適である。ただ化学薬品を使うだけに、果たして人間の体には影響がないのかちょっと心配。

 ともかく、今回の旅において最も威力を表した最小の虫よけ器には感謝している。科学が発達することは、すべて悪いものではないと今回つくづく思った。
一緒に行った人たちも同じ考えだったのではないだろうか。

Drの四方山日記(113)

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112.jpg 今日はいつもの世相をちょっと離れて、今回訪れた南アフリカのアパルトヘイトについて記してみようと思う。
 南アフリカのアパルトヘイトについては私も少しは分かっているつもりだったが、実際に該当国南アフリカに訪れて取材してみると、意外なことが分かってきた。

 まず、アパルトヘイトの話題に入る前に南アフリカの国旗について興味深いことが分かった。アパルトヘイトが廃止になる前の国旗はオレンジと紺色の上下の横線に真ん中に3つの国の国旗が載っているものであった。その後アパルトヘイトの終焉と同時に人種差別主義から決別すべく1994年に現在の「レインボーフラッグ(虹の旗)」が正式な国旗として制定された。国旗に色分けで、赤は過去の民族の対立の中で流された血、青は空と2つの海、緑は南アフリカで代表される農場と自然、黄色は金、黒はアフリカ諸国の黒人を意味し、白は南アフリカの白人であり、アフリカの伝統と歴史を表している。

 さて、アパルトヘイト(Apartheid)はアフリカーンス語で隔離、分離を意味し、白人と非白人の諸関係を差別的にした人種隔離政策のことである。1948年法制化され、以後43年間にわたって推進された。しかし、アパルトヘイトそのものは1913年の原住民土地法に明記されている。なぜこの隔離政策が制度化されたか。少数白人には政治的経済的特権を保持し、安価な労働力を白人以外から供給するためである。黒人を白人の10分の1の賃金で、白人が経営する農園や鉱山、工場で働かせ、居住区もホームランド(10地区を種族別の区分)や黒人専用の住居(ソウェト地区)の空き地に粗末なバラック小屋を立たせて生活をさせた。白人の何倍もいる多数派である黒人を、国土の13%に当たる辺地で不毛の地に追いやり、市民権を与えず白人に依存せざるを得ない黒人を外国籍の労働者として扱おうとした。またレストラン、ホテル、電車、バスの交通機関などに至るまで白人用と白人以外用に区別した。特に白人専用の公園などに黒人が入れば、すぐに逮捕した。また人種間の結婚を禁止した。これがアパルトヘイトである。

 1989年、大統領に就任したリクラークが今までの政府の方針を変え、黒人たちとの交渉によって新たな南アフリカをつくっていくべき道をとった。その1つとして黒人指導者ネルソン・マンデラ氏を釈放した。そして91年2月にアパルトヘイト法を廃止した。1994年4月に全人種が参加する選挙によって、ネルソン・マンデラ氏が大統領となった。その後、民族和解、協調を強く呼びかけ、白人と黒人との対立や格差の是正などの回復に努めた。今や南アフリカはアフリカ第1の経済大国で1999年のGNPはポルトガル、フィンランドを抜き世界28位になった。ともかく、この国は鉱物物質に恵まれ、金、マンガン、ダイアモンド、石炭、プラチナなどが大量に産出されるため、今後の経済の状況によっては世界有数の国になるとされている。

 今回、南アフリカを訪れて感じたことは、いまだ黒人と白人との確執が少なからずあり、我々「名誉白人」という地位にある日本人でも容易に黒人地域に入ることは難しく、治安も悪いようである。
 私が思うには、今でもまだアパルトヘイトの「負の遺産」が残っているように思える。
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参考図書:『南アフリカ「虹の国」への歩み』 峯 陽一 著 

Drの四方山日記(112)

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111.jpg 第88回全国高校野球選手権大会は21日決勝戦の再試合で早稲田実業が見事熱闘を制し、夏の甲子園初制覇を遂げた。1915年の第1回大会から通算27度目の出場で初の全国制覇を果たした。57年王貞治(現ソフトバンク監督)を擁して春の選抜大会では優勝していた。
 今大会で早実のエース斉藤祐樹選手は7試合通算948球を1人で投げぬき注目を浴びた。クールでイケメンの彼が優勝するために無駄なことを一切省いて、効率よく力を発揮した投球はまさに「戦術家」である。おそらくこれから駒大苫小牧の田中将大投手同様に将来のプロ野球のスターとして活躍が期待される。

 今大会でクールな王子様として女子高校生から絶大なる声援を受けた、祐ちゃんこと早実のエース斉藤投手が甲子園アイドルとして新たな伝説をつくった様にこれまでも甲子園では多くのイケメンが活躍し、いわゆる甲子園のアイドルとしてもてはやされた。
 戦前では14歳の史上最年少エースとして堂々ベスト4に進出し、甲子園の元祖アイドルとして人気を博したのは大阪・八尾中の稲若博(29年春)が最初だといわれている。戦後は小さな大投手として無名校を頂点に導いた長野・飯田長姫の光沢毅(54年春)に全国の女性が熱狂した。その後明大を経て社会人で活躍するも事故で両目を失明、明大の替え玉入試事件などに関係して世間から忘れ去られた。

 56年夏に早実の王貞治とのライバル左腕対決を制し準優勝した岐阜商の清沢忠彦は、女学生から多くのファンレターが届けられたという。その後、元巨人軍で活躍した神奈川・法制二の柴田勲(60年夏・61春)が甲子園のアイドルとして決定的なものとした。
 60年?70年代は69年夏決勝で松山商業との延長18回で0対0、再試合で惜敗した青森・三沢のエース太田幸司が甘いマスクで日本中の女性を魅了した。しかし、プロ野球では大成しなかった。翌70年には和歌山・箕島の左腕として甲子園を沸かせた島本講平投手が春の選抜を制し、夏の大会には警察官20人が試合後のバスを徹底ガードするほどだった。いわゆる親衛隊の走りといわれた。73年春・夏で活躍した広島商業の左腕佃正樹。74年夏は東海大相模の原辰徳が親子鷹で甲子園4度出場し注目を浴びた。その爽やかさは現在でも巨人軍の監督として引き継がれている。

 77年には前橋工業で甲子園に3度出場したイケメン投手がいたが、2年前に強盗殺人容疑で逮捕。無期懲役の判決を受け獄中生活を送っている。
 80年夏には早実の1年生投手荒木大輔が人気を独占。その後皆さんご存知のPL学園KKコンビが活躍人気を博した。近年では宮城・東北のダルビッシュ有投手が注目を浴び“ちょいワルエース”という名前を頂戴し、現在日本ハムで活躍している。
 以上、甲子園はアイドルとして伝説をつくった歴史がある。今大会の“祐ちゃん”も正統派アイドルとして甲子園の歴史に名を残すであろう。
参考資料:スポーツ報知

Drの四方山日記(111)

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110.jpg 10日間の南アフリカ4カ国の歴訪を終えて、昨夜遅く帰国した。アフリカの旅については、後日『世界探訪』のコーナーなどで詳しく記するので楽しみにして下さい。
さて、今朝ニュースで68歳の男性が左薬指をスズメバチに刺され死亡したという出来事に驚いた。実は私自身も今から19年前、長野県上山田でスズメバチに右前腕部を刺され、大変な思いをしたことをいまだに覚えている。我々幼少の頃は、ミツバチの巣をつついたりスズメバチの大きな巣にいたずらしたりして遊んだのを覚えている。その頃は怖いもの知らずで、蜂に刺されるくらいたいしたことないと考えていた。

しかし、最近地方のみならず都市部でも多くスズメバチの集団が現れて、蜂刺症を起こしている。では蜂刺症はなぜ怖いのか、ちょっと医学的に述べることにする。
蜂刺症には蜂に刺されたときの症状としては毒素そのものの薬理作用と、毒に対するアレルギー反応の2種類があり、局所と全身の症状として現れる。局所症状としては赤く熱をもって腫れ、痛みが強く出る。全身としてはショック反応が現れます。もし、私のように過去に刺された経験がある場合は、免疫反応(抗原抗体反応)により最初に抗原の侵入で抗体(IgE)が作られる為、同じ抗原が2回目に体内に侵入したときに1回目よりも急速で強い反応を起こす。その反応がアナフィラキシーショックだ。この状態になると全身の呼吸困難、腹痛、発熱、血圧低下、蕁麻疹などの症状を起こし、人によっては死に至らしめることもある。

では、蜂毒(Vespid Venom)はなぜ怖いのか。蜂は膜支翅目昆虫の一種で有剣類に属する。蜂(職蜂)の持つ毒成分には3つあり、酵素類、ペプチド類、低分子物質で、これらの成分は結合組織の破壊、平滑筋収縮、血圧降下、激痛、腫脹などを起こす。

普段から気をつけることとして、巣の近くでは香水やヘアスプレーなどの化粧品を使わない、黒い衣服やサングラスを着用しない、大きな声を上げない、手で蜂を追い払う動作はしない、などがあげられる。その他には、もし蜂の巣や蜂に遭遇したら姿勢を低くして巣から速やかに離れる。もし刺されたときは、石鹸水と水で患部をよく洗って冷やす。私の場合とっさにアロエを患部に塗った。その結果、患部がケロイド状になってしまった。それくらい猛毒である。

蜂に刺されたら即医療機関にて応急処置をしてもらうことが大切である。下手に素人療法は危険である。常日頃から蜂を見たら侮らないで気をつけることだ。

Drの四方山日記(110) 

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109.jpg  素晴しかった南アフリカの旅を終えて、帰国の途につく。ケープタウンを昼頃発ち、ヨハネスブルグ着。3時間の休憩の後PM4:35発の飛行機で乗り継ぎ地である香港へ出発。今回の旅行は、アパルトヘイト廃止後の南アフリカ共和国の様子、現地人の生活、極楽浄土を自分の目で見るのが目的であった。それと、我々の専門であるカイロプラクティック大学(テクノロジーの総合大学に入っている)を訪れることも目的の一つであったが、おそらく治安の問題もあるので、情報だけしか入らないかもしれない。この時点では結果が出ているはずだ。ともかく帰国後の仕事に終われる日々を思うとちょっと抵抗がある。文明人として生きている以上、旅行を通じて後世のためにもいろいろな国々の様子を伝えるのが私の使命だと思っている。


Drの四方山日記(109)

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108.jpg 8日目に入り、かなり疲れもたまり、朝起きるのもつらい。でも、この日が旅行最終日でもあるので、期待の喜望峰(最南端のケープポイント)が楽しみである。

 ケープタウンから南に延びるケープ半島はほとんどといっていいほど喜望峰が観光のメインであるが、その他にもソールアイランド(オットセイの島)、ボルダービーチ(ペンギンのいる海岸)などがある。ともかく、このケープ半島周辺は海あり山あり平地ありとバラエティに富んだ地域として有名で、その他にも文化、スポーツ、グルメ、ショッピングと旅行者には満足すぎるくらいのすばらしい場所である。

 ここでのステレンボッシュのワインセラーでのワインは最高らしい。多分、グループから抜け出して1人ワインを満喫していると思う。夕食はシーフードレストランで旅の最後のパーティである。夜更けまで同行者と歓談していると想像できる。

Drの四方山日記(108)

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107.jpg 7日目。ホテルを朝早く出発して、テーブルマウンテン・オーストリッチ(ダチョウ)牧場とステレユボッシュのワイナリー見学に行く。

 ケープタウンは南アフリカ共和国では南西に位置し、トランスカイヤソースアイというところから黒人が流出してきたため、ケープタウンの人種差別人口比率は変わったといわれる。詳しくは帰国後、世界探訪のコーナーで記述する。

 ただ、午後からのウォーターフロントの散策は今回のメインの1つである。ウォーターフロントチャーターでは、いろいろなホテルとヴィップレストランが立ち並び大変な賑わいを見せている。ここには水族館、クロークタワーセンターなどが存在する。特にケープタウンの夜景はライトアップされ幻想的で一見の価値がある。

Drの四方山日記(107)

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106.jpg 旅行6日目。朝早くホテルを出発してゴールドリーフシティに行く。ここはゴールドラッシュ時代を再現したテーマパークで、ヨハネスブルグ中心部より南に6kmのところに位置する。
しかしこの地は観光客が多いため治安が悪く、街歩きは危険であるようだ。

 次に首都プレトリアに行く。この都市は政府のお膝元だけに治安はいいらしい。ここでは有名なユニオン・ビルとチャーチ・スクエアを見学する。

 夕方、ヨハネスブルグ空港をPM4:00に発って、最大目的地であるケープタウンに行く。機上ではぐっすり眠っているのではないか?

 アラベ・ラシエントン・グランドホテルで疲れた体を休める。

Drの四方山日記(106)

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105.jpg 旅行も5日目に入り、チョベ国立公園のホテルを朝発ってビクトリア・フォールズへバスで移動する。(約90km)。ビクトリア・フォールズはジンバブエでNo.1の観光地だけに世界各国から観光客が来訪するらしい。中心部はアフリカでも意外とあか抜けた町であるらしい。この街の東西に走るメインストリートのリビングマトンウェイはパークウェイに交差する。小さな町ながらファーストフードがあるという。多分途中で立ち寄っていると思う。PM11:50のSA041で南アフリカの経済都市であるヨハネスブルグに行く。その頃には旅行も中盤になり少しは疲れていると予測できる。

PM13:35ヨハネスブルグに到着。
 このヨハネスブルグは人口490万人で、南アフリカで最も大きい都市で、訪れる旅行者はこの地を首都だと勘違いするらしい。
 ホテルに到着して体を休め、夕食は和食レストランに行く。ここにはジャパ(JAPA)と大和レストラン(YAMATO)の2つのレストランがある。ジャパに行く予定。

この日は移動日のため、疲労が蓄積しているので、宿泊のパークハイアットで明日のためにゆっくり睡眠をとる。

Drの四方山日記(105)

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104.jpg 旅行3日目(13日)の午前中は、昨日ヘリコプターで遊覧飛行した「ビクトリアの滝を地上より観光する。それもジンバブエとザンビアの2つの国から見るビクトリアの滝は壮大で雄大であると想像できる。今頃自然にできた大瀑瀑瀑布を見て感動しているのでは・・!?

 ビクトリアの滝を後にして、国境を越えてボツワナに入り、5大動物(象、バッファーロー、ヒヨウ、サイ、ライオン)の生息地として有名なチョベ国立公園へ向かった。1.5時間(90km)のバスの旅である。ボツワナ北部にあるオカバンゴデルタと隣接し、ナミビアの国境を流れるチョベ川ぞいの一帯がチョベ国立公園である。広大な面積を融する一大生態系をなしている。この国立公園に到着後、早速チョベ川でのボートサファリーに出掛けた。

ここでは名物の像の川渡りを楽しんだ。何しろこのエリアに像は焼く10万頭生息している。この夜はモワナ・サファリ・ロッジに泊まった。

 4日目(14日)は朝・夕刻チョベ国立公園を4WDのゲームサファリー用のジープで野生の王国を楽しんだ。主にオフロードを動物を探しながら車を走らせる。おそらく今頃沢山の動物に出くわして驚きと感動にしたっていると思う。明日は再度バスでビクトリア・フォールズへ行き。その後空路で南アフリカのヨハネスブルグへ行く。

Drの四方山日記(104)

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103.jpg 旅行2日目は香港からヨハネスブルグ乗換でジンバブエのヴィクトリア・フォールズに到着。しばらく休憩の後、ヘリコプターでヴィクトリアの滝を遊覧飛行する。

 ヴィクトリア滝はジンバブエ共和国とザンビアの国境にある滝で、同じ世界遺産であるナイアガラ、イグアスと並ぶ世界三代瀑布の一つで、規模は幅1700m、最も深い滝壷は落差108mで年間平均水量は1分間に34万?であるといわれている。この滝は1855年スコットランド人の探検家デビット・リビングストンによって発見され、ヨーロッパ人として初めてここを訪れ、当時の英国君主であるヴィクトリア女王の名にちなんで名付けられたという。現地では「モシ・オ・ツンヤ」といわれ、意味は“雷鳴がとどろく水煙”である。


 この滝へはヴィクトリア・フォールズ空港から車で20分程度だといわれている。この日はヘリコプターの遊覧だけで終わり、身近で見るのは明日になると思われる。

 夕刻、ボートにてヴィクトリア滝の源流サンベジ川のサンセットクルーズを楽しむ予定だ。この時間にはおそらくあまりの美しさに興奮しているだろう。夕食はアフリカの民族ショーを見ながらバーベキューを楽しむ。

Drの四方山日記(103)

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102.jpg 今回「世界探訪」の旅は、南アフリカ4カ国を歴訪する。旅行中は四方山日記を休むつもりだったが、愛読している方々から是非続けて欲しいという要望があり継続することにした。もちろんここに書いていることは出発前に作成したものなので、私が現地に行っていることを想定してほしい。実際の旅行記は帰国してから改めてNMNの『世界探訪』で報告する。

 本日(8月11日)夕刻、6時45分全日空911便で成田空港第2ターミナルから出発し、一路香港に向かって飛行機は旅立った。香港では1時間45分の待ち時間があり、入港手続きや乗継便の確認を終えて南アフリカ航空287便でヨハネスブルグに向けて離陸した。今回の目的地のメインは野生動物やバスコ・ダ・ガマの喜望峰を訪れることだ。もちろん私も初めての訪問であるが、何か今までにない期待感が沸いてくる。もう一つ今回の訪問の理由が、我々の専門分野であるカイロプラクティックの大学がヨハネスブルグとケープタウンにあり、これを期に是非訪れたいと考えている。しかしどうも治安があまりよくないようで、果たしてどうなるか見当がつかない。ともかく、今機上である。では、この続きは明日。

Drの四方山日記(102)

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101.jpg 昨日はまた珍しい患者さんが来院した。10年前、「クローン人間」を科学的力を使ってこれからの時代に永遠の生命として、世界中に広げようという試みが世界で注目され。我国でもNHKをはじめテレビ、ラジオ、新聞、雑誌に至るまでマスメディアで大変な反響を呼んだクロード・ボリロン・ラエルさんが私のところに治療のために見えた。彼はフランス生まれで、以前カーレーサーで名をはせた。その彼が鈴鹿サーキットでレース中に衝突し大事故を起こした。その時かなり頚椎の鞭打ち症がひどく、世界の名だたる名医が治療したが彼の首は完全に治らなかった。その後、どこかで私のことを聞いたらしく、突然電話がかかり来院し治療を受けられた。その結果彼の頚椎は日に日に良くなり回復した。それ以来、訪日の際、私のクリニックを訪れるようになった。

 彼は1974年、当時ジャーナリストとして活躍し世界中を飛び回っていて偶然UFOと遭遇しUFOに拉致され、その時異星人「エロヒム」(天空より飛来した人々)と接触した。その後国際ラエリアンムーブメントを創設し、以来「エロヒム」から託されたメッセージを世界中に広め彼らを迎え入れる施設の建設に従事している。

 UFOというと一般社会の人々、特に古い世代の人たちはなかなか理解することや適応することができず、訪れる変化に対し慣れ親しんだものが失われていく恐怖感などから信じることはできない。それに対して新しい世代の人たちはUFOのみならず『クローン人間』に対し、意外と理解し新しい技術によって生まれた新しい価値観に対し、わりと適応性がよく素直に受け入れる場合が多いようである。

 ラエル氏は「20世紀の人間、つまり古い世代の人たちは訪れてくる世界に完全に適応することができそうにない。今までの権威にしがみつこうとする老人たちは、新人類へむかう止めることのできない進化のプロセスを、規制したり妨害したりしようとする。それもおそらく時と共に追いやられてしまうでしょう」と述べている。「異星人のように永遠に生き続けるために、我々に科学による永遠の命という贈り物を、絶対に喜んで受け取る新しい世代のために道を開けるでしょう」

101b.jpg 一見、彼のいうことは現実離れした唐突なことのように見えるが、これからの21世紀においての変化には、半ば現実社会になってくるかもしれない。すでにクローニング(生クローンを作り出すこと)については世界の科学者たちが研究を重ね、永遠の生命になるべく努力して実現に向かっている。もちろん倫理の問題はこれからの議論すべきところであるが、彼がUFOとの遭遇で何かを得たことは間違いないようである。

Drの四方山日記(101) 

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 昨夜テレビのニュースを見ていたら、見知らぬ顔の人が耐震データ偽造事件で初公判に出廷したシーンが出ていた。誰だろうと名前を見たら、ビックリした。なんとあの大きくてがっちりした体形をしていた木村建設の元東京支店長・篠塚明被告であった。
 証人喚問のときの勇ましい態度をしていた彼がげっそり痩せ、頬骨や首筋が浮き出て、その憔悴しきった表情には私でなくてもこのテレビを見ている視聴者は驚いたのではないか。
 彼の弁護士によると昨年12月からの拘置所生活から食事も満足に取れず、また良心の呵責から眠れない日々が続き心身ともに疲れ果て、その結果20キロ以上も激やせして以前のような傲慢さが消えていた。人間は心配や悩みが続くと全て顔や体に出るといわれる。
 特に、悪事や罪を犯した人間には体全体に影響する変化が起こり、日常の中での心配や悩みは顔の表情や髪の毛にも変化が生じると心理学者が言っている。我々の分野でも不安や悩みで身体の前傾姿勢や猫背などの肉体、特に骨格上に変化が出てくることが分かっている。

 私が留学して間もない頃、日本人で同じクラスの40歳の男性が毎日勉強の連続で、疲労と英語の難解さにノイローゼ気味になり、入学する前、真っ黒だった髪が一夜にして白髪が出だして3日で髪全体が真っ白になった。やはり彼の場合も深層心理が悪影響したのではないかと思われる。人生なにも心配や悩みがなく生きていければそれにこしたことはないが、現代のように社会が複雑になり、情報や時間に追いまくられることによって精神的、肉体的にストレスが溜まり、いつしか精神的にも不安定になり、それが体だけでなく人相まで変えていくようである。“健全な肉体は健全な精神には宿る”ということわざがあるように、毎日を楽しく充実した暮らしをしていきたいものである。

Drの四方山日記(100)

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99.jpg この頃、車で走っているとセルフスタンドがあちこちで見られる。この間までフルスタンドだったものが突如セルフスタンドに名前が変わり、従業員も1人か2人しかいないようだ。おそらく石油価格の高騰からガソリンが値上がりし、経営が難しくなってきたのだろうと想像できる。
 セルフスタンドは私が27年前にアメリカに留学していた時、貧乏学生だったせいもあって一般のガソリンスタンドでは給油できず、いつもセルフスタンドというかガソリンの給油のみのサービスしかやらない「セミセルフ」方式のスタンドを利用していた。では、セルフとセミセルフとはどう違うか。セルフはガソリン以外にも洗車やタイヤおよびオイルなどを販売しているスタンドで、セミセルフはまさに給油のみのサービスしかやらないスタンドである。よってガソリンは安くアメリカでは通称「安売りガソリンスタンド」といわれたものである。

 それがなんとアメリカのハリケーンの影響で国際原油価格が高騰し、日本でもガソリンが高値になり、今や車を所有する者にとってはまさに悲鳴を上げたくなる心境である。日本にはガソリンスタンドは約56.000店あるといわれ、その内セルフスタンドは5000店に達しているといわれている。地方は積雪などの気候条件によりセルフスタンドの設置は難しく普及は遅れているが、都心ではどんどん増え続けている状況である。

 セルフスタンドは自分でやらなければいけないのでめんどうくさがり屋の日本人には抵抗があるのと、今まですべてスタンド任せであったせいもありなかなか普及しづらいのが現状である。安く給油したいが、めんどうくさいのと重なって車のオーナーはどうも悩まされている。私もその例に漏れず、セルフに切り替えてほしいといわれ必死になって給油の仕方を覚え、毎回自分で入れるようにしている。これも時代のせいだろうか。早く経済も落着き、特に石油価格も安定し、安心して車に乗れるようになって欲しいものである。

Drの四方山日記(99)

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98.jpg 日曜日朝、早く起床して、1時間のウォーキングを済ませてから、昼食まで時間があったので、昨夜買った人気漫画本(劇画)を夢中になって読みふけった。
 この漫画本は“人生の生きざま”“人間の性(さが)”“大人の恋”などを現実世界で描くもので日本全国の中高年に幅広い人気があるらしい。

 さて今回の物語は『五里霧の星域』と題し58歳の団塊の世代の真っ只中の4人が、40年ぶりの同窓会で出会ったことから高校時代の仲良し4人組に戻り、同窓会の後4人で2次会をやり、昔作った秘密結社「五里霧中」の話に花を咲かせた。4人はそれぞれ違った職域で主人公は鉄鋼会社のサラリーマン、他の3人は大手自動車メーカーのエンジニア、クレジット会社の支店長、そしてもう1人が小さな広告代理店の経営者である。話は盛り上がり、職場の話題、家族の愚痴からゴルフの自慢と多岐に渡った。折角出会ったのだから後日4人でゴルフをしょうということになった。プレイを楽しんで家路に帰ろうと車を走らせたら道に迷ったらしく、どれだけ走っても高速道路の入り口が見つからず、困っていたら突然、濃い霧が立ち込めてあたり一帯の視界が全く見えなくなって頼りのナビも消え、1時間後、霧が晴れたら全く違った風景が出現してきた。しかもその現れた村は自分たちが住んでいた昭和30年代前半のものであった。しばらくその村を探索したが誰一人いなく、そのうち村全体が霧の中に包まれた。自分たちがつくった秘密結社「五里霧中」をまるで地でいっているようである。

 そしてここで想念することが全て実体化する異空間となり、青春時代の秘密や実生活での経験が現実のようになり、彼たちにとって想像以上のトラブルとなって現れた。早くこの世界から抜け出し、現実の世界に戻ろうと念じた。そしてなんとかこの世界に立ち戻ることができた。そして彼たちはそれぞれ自分の生活に戻った。しかし、現実社会は彼たち4人にとっては日々、幾多の困難が降りかかり、この社会から逃げ出したくなった1人は「五里霧中」でかつて恋人であったと暴露された友人の奥さんとかけおちし、他の2人は異次元の世界に再び戻り、主人公ただ1人が現実の世界に残るというストーリーである。
 この漫画本にあるように団塊の世代は今まさに定年を迎えようとしている。老後のこの殺伐とした世の中で自分の安定した生活をいかに築いていこうとするかを考えると、おのずとこの物語の4人のように、現実から逃避したくなるのも私には分かるような気がする。団塊の世代の1人として何か考えさせられるものがある。

Drの四方山日記(98) 

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97.jpg 7月22日突然ヨーロッパのスウェーデンから国際電話がかかってきた。7月14日より21日まで首(頚椎)から左の肩甲骨の痛みと腰痛で通院していたMs.Marie K Rotsteinからである。

この時はご主人の仕事のため同行し、日本に数週間滞在した際ホテルの紹介で私どものクリニックに通院してすっかり良くなられた。
 1週間後、ところが、メールが届き、スウェーデンに帰国後、体の調子がすこぶるよくなったと喜んでいたところが、健康管理にと思いストックホルムの治療師に掛かったところ、せっかく調子良かった首が回らなくなって痛みだし、また同時に腰の筋肉が張り困っているので何とか治して欲しいということであった。来週の月曜日(31日)に日本に行って治療を受けたいので診察の予約と日本までの航空券をとりたいので返信のメールを下さいとのことであった。そこで診療の合間に返信メールを打っていたら、マリーさんから電話があり至急返事をして欲しいとのことだったので、OKの返答をして電話を切った。
 7月31日から8月5日まで集中的に治療し、回復してマリーさんが「遠かったが、早く決心して日本で再度治療してよかった」と感慨深く語られたのには、私を始めスタッフ一同はカイロプラクティックをして良かったと改めて思った。

 以前には確かにアメリカ、オーストラリア、香港、台湾、韓国など海外からわざわざ治療を受けに訪日されることがあったが、今回のように帰国後再度治療を受けられるケースはあまりないだけに感動した。ましてやメールや電話で私の予定を打診してお出でになる行為には頭が下がる。人間は本当に良くなると信じたらどんな遠方であっても関係ないものだなあと感じた。現在も岡山、兵庫、山形から毎日通院してくる患者さんや沖縄、九州、四国、北陸などから上京してホテルなどに泊り込んで私の治療を受けられる方々がいるが、その姿には改めてしっかり診療して帰してあげないといけないなぁと強く感じる。
 マリーさんは最終日にすっかり良くなったお礼にと素晴らしい生花を届けてくださった。
無事帰国されることを願いつつスタッフ一がクリニックより彼女を 見送った。

Drの四方山日記(97)

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96.jpg “ぼけ防止”にカレーが有効であることが、シンガポール大学の研究で分かったと英国の科学誌が報じた。それによると60?93歳の痴呆症を患っていないアジア人1000人を対象に調査を行なった結果、カレーを食べている人は食べていない人より“認識力が高い”ということが分かった。


 カレーというとこどもや若い人の人気商品のようであるが、それが意外にもお年寄りのメニューだということは知られていない。ただお年寄りに向いているのは辛さのないカレーで、いわゆる強烈なスパイスのないものが好まれている。

 スパイスというと胡椒や唐辛子が広く知られているようだが、このほかにも80?90種類があるという。スパイスの歴史は紀元前までさかのぼる、ローマ帝国が滅びたのも、この胡椒をめぐる争奪戦が原因していたといわれている。

スパイスにはいろいろな作用がある。体を温めて胃腸の働きを整え食欲を高める働きや、全身の新陳代謝をよくしたりするため、燃焼するカロリー量が増えてダイエットにも効果がある。その他では「抗酸化作用」やがんの予防にも役立つ。

 なぜカレーが痴呆症に有効なのか、それはカレー粉に様々なスパイスが入っており、カレールーに含まれる油脂に酸化を防ぐ効果があり、特にカレー独特の黄色を出すターメリック(ウコン)に含まれる“クルクミン”という成分が、体内で非常に強力な抗酸化力のある“デトラヒドロクルクミン”に変わり、活性酸素を除去した後に“ジヒドロフェルラ酸という化合物になって代謝されるようだ。これが痴呆症や老化の予防におおいに効果があるようである。

 またカレーは脳の血流を促すには最適なようで、食べた後に脳の血流量を測ると増加している人が多いという結果が出ている。年を取ってくると脳の血流がだんだん下がってくる。特に脳梗塞や脳血栓を起こすような人たちは下がっている。もちろんぼけになっている人は極端に血流が低下していることが分かっている。カレーを食べることで、脳の血流が徐々に増加してくるために“ぼけの防止”の予防食として期待されている。
 これからしばらく猛暑が続くので、自然と食欲がおちて、やたらとそうめんや冷奴など冷たい物が欲しくなるが、あまり冷えすぎると胃腸も弱り夏バテが心配になってくるので、時にはカレーなどを食べるのも夏バテ解消にはいいかもしれない。

Drの四方山日記(96)

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95.jpg 昨夜、待ちにに待った亀田興毅選手のWBAライトフライ級王座決定戦が横浜アリーナで行なわれた。結果は僅差の判定で19歳8ヶ月(日本史上3番目の若さ)の亀田選手が新チャンピオンになった。
 世界戦前にも「亀田一家の世界戦」と題してブログを載せたが、今回の世界戦で感じるものがあったので、私の意見を述べることにする。


 亀田一家の言動については、すでに誰もが知っていると思うので、今回は割愛しボクシングに対する亀田親子の考え方や姿勢について私が思うことを書いてみる。
 まず、ボクシングの階級について。亀田選手は今までフライ級(50.80kg以下)を主戦場として闘い、相手のランダエタはミニマム(47.61kg以下)で今回は2階級違う両者が中間に当たるライトフライ級(48.97?以下)で世界王者決定戦を闘った。確かに2階級上の亀田選手にとって体格やパワーの違いは一つの武器になる。それに対して相手はミニマム級で世界戦を4度戦闘った経験を持つ。この両者が闘うこと自体がある意味ではちょっと無謀なところがある。特に亀田選手は今までそれほどパンチを打たれたこともなく、試合中に負傷した経験もない。そのため、もし相手の攻撃で思わぬ事態に陥った時、果たして若さだけで対応できるのだろうか、という心配があった。それが案の定、現実のものとなり今まで経験したことのないパンチでダウンを奪われた。中盤何とか豊富な練習量で乗り切った。その根性は千金に値する。確かにこの一戦を見た国民やスポーツ関係者、特にボクシングの歴代チャンピオン達は一斉に彼の言動とは裏腹な試合に対し批判した。

 勝利は時の運である。たとえ僅差であれ勝利をするということは、勝負師にとってはもっとも大切なことである。つまり、まだボクシングを続けなさいという神様の教えだと思って、これから極めて厳しい状況の中ボクシングの幅を広げ自他共に批判を浴びないよう実績を積んでいくことが、今後の亀田一家の大きな課題ではないだろうか。

 この親子がここまでたどり着くには、いろいろな試練や苦悩があっただろうと思う。特に、この長男である興毅は幼稚園、小学校低学年まではいじめられっこであったらしい。それを見かねた父親が、いじめの克服と将来を考え空手を習わせた。そして、11歳の時にボクシングを教え現代に至っている。その子供に対する異常な親の愛情が、家庭を複雑にし現在の父史郎氏が出来上がったようだ。あまりにも強烈な父の性格に周りが心配したが、父の自分たち兄弟に対する愛情や親父の生き方に尊敬し、どんなきつい練習にもついていった。それらのことも踏まえて、国民は彼たちを暖かい目で見て、亀田三兄弟の成長を見守ってほしいものである。その時が自他共に認める世界王者である。

Drの四方山日記(95)

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94.jpg 新聞を読んでいたら、興味ある記事があった。それは父親と過ごす子供の時間が不足しているというものである。国立女性教育会館が6カ国(日本、韓国、米国、タイ、フランス、スウェーデン)で実施した「家庭教育に関する国際比較調査」によると欧米人に比べ、日本と韓国の子供と過ごす時間が極端に不足していると報じた。
調査は12歳以下の子供と同居する家庭を中心に行なわれた。その結果、日本の父親が平日に子供と過ごす平均時間が3.1時間で、6か国中韓国に次いで低いことがわかった。では、なぜ子供と過ごす時間が少ないかを私なりに考えてみた。

確かに統計重視も重要であるが、それよりもまず、その国の家庭環境や教育および生活をもう一度真剣に考えなければならない時期にきているのではないだろうか。
まず子供が親に対する見方、父親が子供に対する接し方、夫婦の関係を最優先に考え、どうしたら親子関係を円滑に保ち愛情を持ったしつけや教育ができるかが重要である。なぜ子供が父親になつかないのか。それは韓国でも同じようで、父親の過剰な労働力が影響しているようだ。もちろん父親の労働力はその家庭においてはもっとも大切であるし、豊かな生活に必要不可欠である。私の小さい時は親の働く姿を間近に見て育った。そのため父親に対し尊敬の念を持っていた。私自身家庭を持った現在でも子供には私の一生懸命に働く姿を見せるようにしている。その結果、子供との人間関係の希薄化だけは生じてこないようだ。

最近の若い世代の家庭では子供に対する異常な接し方や逆に子供に対して全く無関心になる親が多い。子供の問題行動の背景には大量の情報、人間関係の希薄化、知識偏重の教育などが子供の成長に大きな影響を与えている。例えば人間関係の希薄化について言えば、子供の集団での対立や協調、競争と共同の経験などの機会や地域から孤立する家庭が減ったことが原因として子供の成長をさまたげている。また教育においても高学歴が豊かな生活を保証する学歴重視が子供の精神的なゆとりや時間的余裕をなくしている。これらが両親、特に父親との溝を作って信頼関係が弱まり、一緒にすごす時間を減らしているようである。

父子の関係を論じる上で最も大切なのは子供との過ごす時間を増やしたり、教育に目を向けたり、しつけや挨拶などのマナーを教えたりすることはもちろん必要不可欠であるが、それよりもまず大切なのは家庭においての両親の円満な関係、母親が父親に対して優しさや尊敬の念を持つことが子供にとって最も大切なことではないか。もう一度日本の親たちも子供のことを真剣に考え、愛情ある家庭を築いて欲しいものである。

Drの四方山日記(94)

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93.jpg 昨日の午後、埼玉県ふじみ野市営プールで、7歳の女の子が流水プールの吸水口に吸い込まれ死亡する事故が起こった。夏になると当たり前のように子供のプール水死事故が何件か起こっている。どれだけ文部科学省のいう「水泳プールの安全管理」を徹底しても、人間のやることだから次から次に事故が起こる。では原因は一体どこにあるのか。それは人間の怠慢さにある。


 今回の事故は230名の客で賑わっている中、起こったもので、それも泳いでいる男性がプールの吸水口の格子状のふたが外れていたのを見つけ、監視員に知らせたという。知らされた監視員は現場責任者に報告し、すぐに緊急補修するよう指示した。そこまでは良かったが、その際なぜ泳いでいる客をプールから出るように指示しなかったのか。素人である監視員が直すには時間がかかっても不思議ではない。ふたが外れた時点でポンプを止め処置すれば十分事故は防げたのではないだろうか。こういう事故が起こると決まってトップが頭を下げるだけで、原因追求を徹底しようとしないであやふやにする場合が多い。

マスコミも事故の関係者だけを徹底的に叩き、ましてや悲嘆にくれている家族を引っ張り出し、たたみかけるように行なわれるインタビューにはいつも腹が立つ。もっときちんと調査をして二度とこのような痛ましい事故が起こらないように、口先だけではなく徹底して欲しいものである。日本のこういう事故の責任体制や行政は事が起った時のみに大騒ぎするだけだ。普段からきちんとした安全管理を徹底していれば起こらないものだと知るべきである。なにかこういう事件を聞くと、あわててやる行政には今更という感がある。犠牲者になった7歳の女の子の冥福を祈りつつ、この事故がきっかけとなって、本当の安全管理体制をしっかりしてほしいものと強く強く感じる。

Drの四方山日記(93)

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