南アフリカのアパルトヘイト

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112.jpg 今日はいつもの世相をちょっと離れて、今回訪れた南アフリカのアパルトヘイトについて記してみようと思う。
 南アフリカのアパルトヘイトについては私も少しは分かっているつもりだったが、実際に該当国南アフリカに訪れて取材してみると、意外なことが分かってきた。

 まず、アパルトヘイトの話題に入る前に南アフリカの国旗について興味深いことが分かった。アパルトヘイトが廃止になる前の国旗はオレンジと紺色の上下の横線に真ん中に3つの国の国旗が載っているものであった。その後アパルトヘイトの終焉と同時に人種差別主義から決別すべく1994年に現在の「レインボーフラッグ(虹の旗)」が正式な国旗として制定された。国旗に色分けで、赤は過去の民族の対立の中で流された血、青は空と2つの海、緑は南アフリカで代表される農場と自然、黄色は金、黒はアフリカ諸国の黒人を意味し、白は南アフリカの白人であり、アフリカの伝統と歴史を表している。

 さて、アパルトヘイト(Apartheid)はアフリカーンス語で隔離、分離を意味し、白人と非白人の諸関係を差別的にした人種隔離政策のことである。1948年法制化され、以後43年間にわたって推進された。しかし、アパルトヘイトそのものは1913年の原住民土地法に明記されている。なぜこの隔離政策が制度化されたか。少数白人には政治的経済的特権を保持し、安価な労働力を白人以外から供給するためである。黒人を白人の10分の1の賃金で、白人が経営する農園や鉱山、工場で働かせ、居住区もホームランド(10地区を種族別の区分)や黒人専用の住居(ソウェト地区)の空き地に粗末なバラック小屋を立たせて生活をさせた。白人の何倍もいる多数派である黒人を、国土の13%に当たる辺地で不毛の地に追いやり、市民権を与えず白人に依存せざるを得ない黒人を外国籍の労働者として扱おうとした。またレストラン、ホテル、電車、バスの交通機関などに至るまで白人用と白人以外用に区別した。特に白人専用の公園などに黒人が入れば、すぐに逮捕した。また人種間の結婚を禁止した。これがアパルトヘイトである。

 1989年、大統領に就任したリクラークが今までの政府の方針を変え、黒人たちとの交渉によって新たな南アフリカをつくっていくべき道をとった。その1つとして黒人指導者ネルソン・マンデラ氏を釈放した。そして91年2月にアパルトヘイト法を廃止した。1994年4月に全人種が参加する選挙によって、ネルソン・マンデラ氏が大統領となった。その後、民族和解、協調を強く呼びかけ、白人と黒人との対立や格差の是正などの回復に努めた。今や南アフリカはアフリカ第1の経済大国で1999年のGNPはポルトガル、フィンランドを抜き世界28位になった。ともかく、この国は鉱物物質に恵まれ、金、マンガン、ダイアモンド、石炭、プラチナなどが大量に産出されるため、今後の経済の状況によっては世界有数の国になるとされている。

 今回、南アフリカを訪れて感じたことは、いまだ黒人と白人との確執が少なからずあり、我々「名誉白人」という地位にある日本人でも容易に黒人地域に入ることは難しく、治安も悪いようである。
 私が思うには、今でもまだアパルトヘイトの「負の遺産」が残っているように思える。
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参考図書:『南アフリカ「虹の国」への歩み』 峯 陽一 著 

Drの四方山日記(112)

2009年6月

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