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長年国民の問題になっていた「国旗掲揚・国歌斉唱」について司法(東京高等地方裁判所)の判決が出たと報道各社が報じた。マスコミの各社は“思想や価値観”の違いから表現・定義付けにそれぞれ相違があり、この問題は根が深く善悪というレベルでは解決が付かないとしている。
20?30代、40?50代、60歳以上と年齢層によっても考え方がおおいに違ってくるのではないかと思える。
では、なぜこうも「日の丸・君が代」問題が論議されるのか。それはこの問題が国家としてきちんと法律に明記されていないところにある。例えばアメリカの国旗は国旗法として明文化され、祝日は「旗の日」として国民に広く知れわたっている。国家についても法律に如何なるものか明記されている。イギリスの国旗は詔勅で、国歌は慣習である、ロシアの国旗・国歌はともに大統領令で規定されている。中国の国旗は憲法で明記され、国歌は全国人民代表大会で決定されている。隣の韓国の国旗は大極旗で正式な国歌はないが、「愛国歌」が国歌の代わりをしている。一方わが国の国旗は明治30年の大政官(政府の最高官庁)布告の「商船規則」に基づいて寸方と様式を決めただけで、国歌も明治26年文部省告示に準拠して証していて法制化はされていない。いわゆる慣習のままである。このような曖昧のまま今日に至っているのが現状であるようだ。
戦前までは日本には道徳や修身が教育の中にあり自国に対する「愛国心」、「祖国愛」が育まれた。しかし現在の小・中学校の教育にはあまり組み入れていないようで自国に対する愛国精神が薄れてきているように私は思う。
今回の東京都の教育委員会に対する判決ではあるが、もっと全国でこの問題に対して教育者や関係機関だけでなく広く一般者を入れて論じていれば君が代に過敏になる教育者の“君が代神経症”や以前広島で起こったある高校の校長の自殺も未然に防げたのではないだろうか。東京都が国に、国が東京都に責任のなすりつけあいをするのではなく、お互いが歩み寄ってこの重要な問題に取り組んで欲しいものである。日本国民であれば誰しも「愛国心」があるはずである。もし「憂国の情」がなければこの国から出て他の国に行けばいい。国も責任を持って「国旗・国歌」を法制化するように、国として威厳をもって臨んで欲しいものである。そうすれば国や都道府県が教育委員会を通じて学校に押し付けた儀式を遂行しなくても、本当に小・中学生が喜び素晴らしい思い出の学生生活に感謝するのではないかと思うのは私だけだろうか。司法の手を借りず国が責任を持って解決してくれることを期待したい。
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Drの四方山日記(135)