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1960年から70年代にかけて一世を風靡したプロレスラーが26日慢性腎不全のため亡くなった。その伝説のプロレスラーの名は大木金太郎(キム・イル)である。
1958年同郷の英雄「力道山」に憧れて漁船で韓国から日本に密入国した。しかし1959年入管法違反で逮捕された。その時拘置所から手紙で力道山に身元引受人を依頼し、同郷のよしみで身元引受人となり釈放された。そして力道山の主宰する「日本プロレス」に入門した。その翌年にはその後大活躍したジャイアント馬場、アントニオ猪木が入門し「若手三羽烏」として活躍した。その後アメリカ武者修行をしWWAヘビー級世界王座を獲得するなど活躍したが、1963年12月力道山が暴漢に襲われ死亡し、それをきっかけに彼は心のよりどころを失って祖国韓国へ帰国し「大韓プロレス」を旗揚げして韓国プロレス界の発展に尽力した。
大木金太郎は真面目なくらいまっすぐな人間で力道山を崇拝し、どんなことでも耐え抜き朝鮮半島出身の英雄となっていた。現役時代、彼はほとんど反則をしなかった。それについてのある逸話がある。当時の大統領朴正煕(パク・チョンヒ)が青瓦台に大木をたびたび呼んでは「小さな韓国人が外国の巨人をやっつけることは、我々がやればできるという精神を植えつけてくれる。しかしプロレスは反則がとても多いので子供たちの教育上よくない」と解いた。それをきっかけに彼は反則を一切しなかったという。
大木金太郎といえば「頭突き」といわれるくらい強烈な頭突きで対戦レスラーを恐怖がらせた。もともと大木金太郎という選手はキーロック・回転海老固め・X固めなど多彩な技を繰り出すテクニシャンで知られたが、ある日試合中にガラスの灰皿で頭を叩かれた。しかし彼が平然としていたら、それを見た力道山は「お前の得意技は“頭突き”だ」と進言された。それ以来彼は頭突きをメインに数々の名勝負をこなしていった。特に彼は野球のピッチャーが剛速球を投げようとするフォームをまねた一本足頭突きを編み出し、レスラーとして名を馳せた。当時世界チャンピオンであった名レスラー、ルー・テーズに頭突きを連発しテーズの怒りを買い、逆に額にパンチを受け大けがをおって病院送りにされたこともあった。またブッチャーやブラジルとの頭突き合戦も当時のプロレスファンを沸かせた。しかし、皮肉にもこの頭突きが元で脳血管疾患などの後遺症に苦しみ、彼の寿命を縮める結果となった。日本プロレス時代、下積み生活で苦楽をともにしたアントニオ猪木とは義兄弟の契りを結んでいた。ともかくこのレスラーはプロレスを愛し力道山を人生の師と仰ぎ、死ぬ間際まで日本及び韓国のプロレスの発展に尽くした。現在活躍しているプロレスラーや格闘家も彼の存在を忘れてはならない。
Drの四方山日記(161)
大木金太郎氏の逸話少し”ほろっと”ときました。私は、氏の現役時代を知らないのですが
ぜひ、大木氏のDVDを見ようと思います。
心熱くする文章ありがとうございます。
(私自身、馬鹿正直に生きていたいと思う人間なので・・・)