脇役から主役へ

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164.jpg この頃スポーツで苦労しながら復活して勝利を得た日本選手が2人いる。1人がフィギアスケートの日本代表安藤美姫選手である。彼女は今年の2月に行なわれたトリノ五輪でメダルを期待されながら15位に終わった。当時彼女に対し日本国民のバッシングは強く「もう彼女は終わりだ。浅田真央をはじめ若いスケーターに主役は移るだろう」と言われていた。それに対して「どうしても自分の“最高の舞”をして見返したかった」という思いを込めて、五輪後彼女自身原点回帰を心に誓った。その手始めとしてスケートを最初に習ったコーチの下で再度ジャンプなどの修正を行なった。またロシア人の振付師に依頼してダイナミックなスケートを習い、食事などの管理も徹底した。そのせいで体もスリムに絞られスムーズな滑りができるようになった。その結果が今回の優勝につながりミキティの完全復活となった。

 もう1人、日の目を見た選手がいる。アメリカNBLのセントルイス・カージナルスの田口壮選手である。田口はプロ野球オリックス・ブルーウェーブでは攻・走・守そろった選手として鳴らした。同期のチームメイトにはイチロー選手がおり、2人はゴールデングラブ賞の常連であった。シュアなバッティングと好守の外野手としてプロ野球を代表する選手でもあった。2001年オフ、FA宣言し当時高額の契約金と年棒を用意した阪神タイガースと、低額年棒であった大リーグカージナルスのどちらに入るか選択に困った。“安全な保険”を取るか“苦難な道”を取るか悩んだ末、何苦楚(なにくそ)という意気込みで大リーガーの道を選んだ。しかし1・2年目は開幕ベンチすら入られず、マイナーからのスタートだった。3年目の2004年6月にやっとメジャーデビューを果たした。しかし現実は厳しくマイナーとメジャーを行き来するなどレギュラーに定着できずに終わった。しかし田口はこの不調の中でも負けなかった。自分のハンディキャップである語学力を向上させチームメイトと積極的にコミュニケーションをはかった。そのせいでラルサ監督の信頼を得て3年目には開幕ベンチ入りを果たせた。もちろんレギュラーではなく守備要員や代打であったが109試合に出場した。そして4年目には143試合に出場し2割8分8厘の成績を上げレギュラーとして定着した。そして5年目の今年は134試合に出場し2割6分6厘をマークし、昨年果たせなかったワールドシリーズにレギュラーとして出場しチームに貢献した。まさに苦難の末たどり着いた世界一達成であった。

164b.jpg ともに苦難の道を歩みながらたどり着いた結果であった。どの世界の分野においても基礎や努力なしにして成功はありえない。目的意識をしっかりすることで運がつき環境がつくられていくようだ。誰しも復活や成功を夢見るがなかなか到達し得ないものである。今回の2人の優勝に拍手を送りたい。

Drの四方山日記(164)

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2009年6月

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