2006年12月アーカイブ

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 今日も朝早く起き朝食をとり、ホテルを出発してバスで世界遺産ガジュラホ寺院観光に出掛けた。約1000年もの間鬱蒼としたジャングルに守られ続けた寺院群が発掘されたのは19世紀であるといわれている。この中にはヴィシュワナータ寺院、ナンディー寺院などいくつもの寺院が広い敷地内に散在していた。11世紀中ごろにシヴァ神を主神として建てられたカンダリヤー・マハーデーヴァ寺院のミトゥナ(男女交合)やアプサラ(天女)の彫刻が有名である。ここでもおそらくカメラのシャッターを押すのに忙しい頃と思われる。ガジュラホ寺院観光のあと、バスで4時間約200kmをかけてジャンシーへ向かった。ジャンシーでは特急シャタプディ・エキスプレスに乗り換えてし約2時間半かけてアグラへ向かった。いよいよ明日はインドでも有名なタージ・マハールに行く。今から楽しみだ。

Drの四方山日記(211)

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 第3日目(30日)朝早く起こされ、朝食の後インドの美味しいティーをご馳走になった後ガンジス川沐浴風景を見学に行った。インドの沐浴は一般的には身体の一部または全てを清める宗教的行為である。特に乳児の体を洗うといわれているのでちょっと興味がある。宗教上手や足及び体を清める行為はどの宗教も儀式に用いられているが、この沐浴は宗教上3つ挙げられているという。日本では神社の手洗い場に行為である。ともかく人、人の山に驚かされる。

 もう一ヶ所訪れるのは四大仏教サルナート観光である。サルナートはベナレスから10kmほど離れた小さな街で、昔鹿が住んでいたことから鹿野苑とも呼ばれている。この地は釈迦が初めて弟子に説法をした場所として特に有名である。ここも今回の目的の場所である。ここの考古学博物館にも立ち寄り、あとムルガンダ・クティ寺院、ダメーク・ストゥーバを訪れ、午後の便で次の訪問地ガジュラホへ向かった。

Drの四方山日記(210)

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 旅行2日目(29日)早めの朝食を終えてホテルを出発し再びデリー空港へ向かった。デリーを発ってベナレスに到着した。到着後、バスでベナレス市内観光をした。ベナレスはワーラーナシーといわれ、人口116万人住んでいるといわれているインドでも大都市である。ヒンズー教、仏教の聖地としてインド人のみならず外国人にとっても重要な宗教都市として発展していった。ガンジス川の沿岸に位置した都市で、絹のサリー生産が有名である。また、街の郊外には釈迦が初めて説法を行なったサルナートがある。ここでは有名なバラート・マーター寺院でバスを下車して見学した。ともかくインドは宗教の発祥地といわれるだけあって、どこへ行っても国民は神に祈りをささげている姿があるのには驚かされる。

 夕食は街でも有名なレストランでタンドリー料理を楽しんだ。タンドリーとは鶏肉を串にさしたものでタンドゥール(ヒンディー語)と呼ばれる壷窯で焼いたインド定番の料理である。おそらくこの料理に舌鼓を打っていることだろうと想像される。この日はベナレスで一泊した。

Drの四方山日記(209)

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 私が「世界探訪」の旅を始めて今回のインドで50カ国目となる。そこで前回の“南アフリカの旅”同様私が現地に行っていると想定して出発前に作成することにした。実際の旅行記は帰国してから改めてNMNの「世界探訪」で報告する。

 本日(12月28日)、出発の手続きを終えて12:00エア・インディアで成田空港第2ターミナルから出発し、一路インド・デリーに向けて飛行機は離陸した。今回の目的地はどちらかというとインドの中ではオーソドックスともいわれるデリー・ベナレス・アグラー・ジャイプールを周遊する旅である。特にデリーはIT関連の最先端をいくといわれ、世界でも今一番注目されている都市であり、その実情を見るのが今回の大きな目的である。またインド文明の遺跡ともいわれる四大仏跡サルナートや世界遺産であるガジュラホ寺院群観光、アグラーの世界遺産、インドの象徴ともいえるタージ・マハールとやはり世界遺産であるアグラー城をこの目で見てくることが今回のメインテーマである。最後にジャイプールのアンベール城を訪れて今回の旅は最後になる。ともかくこの国は貧富の差が激しく日本でも今騒がれている格差社会である。果たして私に今まで入ってきた情報がそのまま正しいかをこの目で実際に見るのが今から楽しみである。今まさに機上である。

外務省 - インドの情勢

Drの四方山日記(208)


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207.jpg 近年時が経つのが早いが、今年ほど早く1年が過ぎた年はないのではないか。おそらく私以外の人も同じ思いをしていると思う。それは近年ではめずらしく悪いことが多くあり、良いことがほとんどなかったからだと私は想像する。
良いことといえば今年の初めのWBCの王ジャパン優勝、トリノオリンピックの荒川静香の金メダル、それと紀子様の男子悠仁親王のご誕生ぐらい名者で、あとはいじめや自殺、不祥事などと奇怪な事件が多発したり、中央政権のみならず地方自治体の不祥事など暗い話題は挙げればきりがなく、社会のモラルが問われた年ではないだろうか。

こうして今年一年を総括してみると、今年はいい年ではなかったのではないだろうか。それが一年を早めた原因のように思えてならない。果たして来年は安倍首相のいう「美しい国・日本」に本当になるのか期待したいが、国民にとって素晴らしい年になれるかは皆目見当がつかない。

今年一年、日曜祭日を抜かして、世相シリーズ、健康コラム、話題シリーズ、そして四方山日記を書き続けたが、果たして皆さんにとって私のブログがお役に立てたのか心配である。しかし、このような時代だからこそ多方面にわたってブログを書き続けないと、と思っている。目標は1000回。

どうか来年は皆様にとって素晴らしい年になることを願ってやまない。私は明日からいよいよインドへ旅立つ。また、新しい知識や見聞を大いに蓄積して皆様に提供したいと思っている。ブログはインドへ行っている間は想定で書かせていただく。

Drの四方山日記(207)

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206.jpg 24日、実力日本一を決める競馬の有馬記念(G?)でラストランしたディープインパクトが見事に有終の美を飾り引退した。千葉県・中山競馬場にはこのレースを見ようと2週間前から徹夜組が出るほどだった。競馬をやらない私でもディープインパクトの名前は知っている。過去に名馬といわれた馬は多かったが、これほど体型が小さいのにも関わらず抜きん出た瞬発力を持つ馬は過去にいただろうか。よく競馬といえば古くはシンボリルドルフやハイセイコウ、シンザン、ミスターシービー、オグリキャップの名前があがるが、ディープのように「空を飛んでいる」と表現される馬は過去にいないのではないか。

2002年、競り市で7000万円で落札された馬で、父は名馬と謳われたサンディーサイエンス、母はウインドインハーヘアである。ディープはサラブレッドとしては小さな体型で今まで出走したG?競走馬の中でも最低の馬体重であったという。しかし、体は小さいが瞬発力は抜群で体が柔らかく、犬や猫などが後ろ足で耳をかく動作が出来るという。特徴は4本の脚のうち3本が靴下を履いたように白毛で覆われ「三白」と呼ばれている。サラブレッドとしては全体のバランスは極めて良く、スピード馬に特有である薄い蹄を持ち通常2週間で駄目になるといわれている蹉跌が、ディープの場合3週間使用しても減り方が少ないという。これは他の馬と違いかき込むような走り方ではなく、きれいな飛び方を持っている証拠だという。これが空飛ぶ馬といわれる所以である。過去にもアメリカの三冠馬といわれたセクレタリアトと同様の特徴を持っている。ディープのスピードの乗せ方は素晴らしく競馬ファンなら誰でも魅了されるという。

直接レースはテレビ中継では見られなかったが、夜の「ディープインパクトの特集」でレースを見て不思議な馬であるという印象をもった。なぜなら第3コーナーまで後ろから2番目だったのにも関わらず、第4コーナーを回る頃には2番手3番手の位置をキープし、あっという間に先頭に抜き出てそのまま空を飛ぶかのように快走する勇姿は、競馬ファンならずとも圧巻と言うしかなかった。

25日、引退レースを飾ったディープインパクトも中山競馬場から繋養先の北海道へ向けて旅立った。おそらく日本競馬史上最高額の51億シンジケート(種付料1200万円)が組まれているという。順調ならば2008年初めには2世が誕生し2010年にはデビューし、父ディープに劣らず素晴らしいレースをしてくれることを夢見ている。

Drの四方山日記(206)

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205.jpg 22日(金)診療を終えてから家族と久々の休日を楽しんだ。
行き先は長野県小諸の近くの東御市(東部町)にある当センターの保養施設であるエピックLOG HOUSEである。私も毎日患者さんに追われているため、年数回しか行くことが出来ないがたまに自然の空気をいっぱいに吸うことも体にとっては大切である。今回は私の大学時代の後輩で友人の家族と一緒に2泊3日の予定で逗留した。スキーを楽しむ人とウォーキングなど自然を楽しむものとに分かれてそれぞれ自由に休日をエンジョイした。

 この東御市は長野県でも中部に位置し、鳥帽子岳・湯の丸山・三方ヶ峰の浅間連山を背に緩やかに南斜面に傾斜した場所で中央に千曲川の清流、南に御牧ヶ原、八重原台地の広がる緑多い町である。特に湯の丸高原の春夏はつつじが一面朱色に絨毯を引きつめたように染め上がり、国の天然記念物に指定されている。またこの地から天下無双・史上最強と謳われた力士「雷電為右衛門」が輩出したり、北国街道の宿場町をいまだ残す「海野宿」などがあり、都会の雑踏から離れて静養するには最適地かも知れない。ただ冬の間は厳冬になるのでかなりの防寒が必要である。特に山々は氷点下になるので薪ストーブや床暖房頼りである。今回は金曜日の夜半についたので?2.5度であったが、友達が早く到着して薪ストーブを灯してくれていたので寒さを感じずにすむことが出来た。

205b.jpg 翌朝から起きるとウォーキングを楽しんだが、何しろ急斜面の場所だけに下りたり、登ったりとハードなコースではあったが、周りの景色の素晴らしさと空気のうまさは格別である。都会でのウォーキングとは趣も違い身体がリフレッシュした思いがする。
 この頃は診療や雑用に追われ中々自分の時間が取れずちょっとストレス気味であったのでこの週末の休暇は私にとって最高のものとなった。 

Drの四方山日記(205)

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204.jpg一体この国はどうなっているのだろうか!?国民に働かすだけ働かして、役人や政治家は税金でやりたい放題とはどういうことなのか。私でなくても国民の多くは同じ思いをしている。

 今回の政府税制調査会(首相直属機関)の会長である本間正明氏が国家公務員宿舎に愛人と同棲していた問題は国民として由々しき問題である。それなのに、総理をはじめ政府の執行部は今回の件を「プライバシーはプライバシーなのでそれ以上はいうつもりはない」や「ルールにのっとって官舎に入居されたと聞いている。本間氏の税制・経済に対する見識を生かし、職務を果たしてもらいたい」などと事の重大さに気付いていない。一体責任の取り方とはどういうことなのかと呆れ果てるばかりである。これが民間の出来事ならば一大事である。それすら分からない政府がこの国をコントロールしていることに疑問を感じる。本間氏はかつて、経済財政諮問会議で公務員宿舎売却を促す報告書をまとめた張本人であった。それなのに自ら格安の宿舎に平気で入居していては、納税者の理解は得られるはずもないのではないか。ここの場所は相場で50万円前後だというのに、なんと7万7000円の官舎に入居しているという事態は呆れるばかりである。これは本間氏の問題に関わらず、他の官舎でもあたかも当然のように利用されている状況は、何をかいわんやである。

 江戸時代、領主の重税に苦しむ農民の状況を幕府に直訴して刑死した佐倉惣五郎という人物がいた。彼は農民を救うため百姓一揆や明治の民権運動を鼓舞した英雄である。死後、怨霊となって苛斂誅求(かれんちゅうきゅう)する領主を苦しめたという。不当な税への民衆の恨みは、国民につもれば何百年も言い伝えられ怨念話となるという。税金の三大原則は「公平・中立・簡素」である。その中でも「公平」は最も重要であり、税制論議の核心といわれている。「中立」は税制が企業や個人の経済活動を平等にするためのもの。「簡素」は納税者に理解しやすくすること。これが原則である。またその税制をプランニングするのが政府税制調査会であり、そのトップが役人の特権といわんばかりに公務員宿舎を低家賃で入居すること自体が不合理である。ともかく一生懸命働き得た収入を厳しく納税させられ、その税金を権力者などが安易に使っていては、国民の生活を守ることにはならない。税金を上げることについては、上げるなりに理由を公にし国民の理解を得ることが最も大切なことである。
参考資料:毎日新聞

Drの四方山日記(204) 

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203.jpg 20日、突然訃報が入ってきた。それは一世を風靡した2人とお笑い界で我々を楽しませてくれた人気漫才師のことである。

 戦後の社会、文化、政治にと話題を振りまき続けた青島幸男さんが亡くなった。おそらく彼ほどいろんな方面において活躍した人はいないのではないか。放送作家でありながらタレント活動をし、はたまた参議院議員で国政にかかわり、最後には都知事までやった。こんな人生を送った人は過去にもこれからも出てこないのではないのだろうか。ただ、私の思う青島幸男は、政治家というよりも意地悪ばあさんのイメージとして強く心に残っている。“反骨精神”丸出しで日本の社会にセンセーションを起こし、庶民のために尽くしたことは素晴らしいの一言である。ご冥福を祈る。

 個性派女優として数々の舞台、映画、テレビと活躍した岸田今日子さんが76歳の人生を閉じた。この方も演劇界の中ではマルチ的な存在で、劇団女優として数々の文芸作品から喜劇まで幅広く演じ、60年代からはあの有名な「ムーミン」の主人公の声やドラマ「大奥」のナレーションを努め人気を博した。またエッセイストとして数々の著書を出している。岸田今日子さんといえば私の中に強烈に残っているセリフがある。それはミステリアスな雰囲気を漂わせながら「……かもよ」というセリフで、その作品の迫力をより増していた。それが「破戒」「砂の女」「八つ墓村」などの大作である。ともかく後にも先にもこんな個性派女優はおそらく二度と出てこないのではないだろうか。天国にいっても我々庶民を暖かく見守って欲しいと願うばかりである。

 もう1人、最近漫才ブームに乗って人気が出ていた「カンニング」の中島忠幸さんである。カンニングといえば竹山さんのキレ芸を絶妙なつっこみで中島さんが適当になだめて人気絶頂に上りつめた漫才コンビである。その辛口タレント竹山さんをうまくフォローしながら仕事をし実績を上げてきた矢先に白血病で倒れた。その後約2年間入退院を繰り返しながらこの春の復帰を望んでいたが、残念ながら病には勝てず35歳という若さで亡くなった。特に相方の闘病生活中に竹山さんは1人で必死に働き、コンビの相手である中島さんのために“ギャラを2人分”に分け治療費に充て、その姿には我々国民も心を痛めた。これからまだまだ活躍して欲しい1人でもあった。中島さんの気持ちが移ってこれからも竹山さんの演技を助けていくのではないだろうか。3人のマルチというか個性的な性格を持った人たちが亡くなることは寂しい限りである。

Drの四方山日記(203)

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202.jpg 今年も残すところあと僅かとなり、やりたいことがいっぱいあるのになかなか終わらない現実にヤキモキしている。もう年賀状も受付が始まり間も無くクリスマス、正月を迎えようとしている。

 その年賀状も電子メールの普及や個人情報保護の影響などで発行枚数が減っている。これも時代の流れかもしれない。ただ、年賀状にはいろんな思いがある。会社関係はもちろんであるが、プライベート特に友人との近況を交換するという意味合いからも大切だし、日本の風習や文化を守る上でも重要な役割をしている。そのお年玉年賀はがきは平成11年がピークで42億枚あったという。それが平成18年には38億枚に落ち込んだという。その原因は若者を中心とするパソコン利用者(日本のネット人口7361万人?インターネット白書2006)の拡大や個人情報保護法により住所録の公開できなくなったりの影響で年賀状離れが進み減少したようである。年賀はがきに関わらずこの傾向は出版関係でも同様で、本離れが進みインターネットによる情報収集や知識を得る人たちが増えているのも現状である。これらは私に言わせれば、ほとんどと言っていいくらいアメリカ寄りの国の方針がそうさせているように思えてならない。いじめなどの教育問題から介護などの医療問題、保険や貯蓄などの金融に至るまで、どうもアメリカの影響が大きいのではないか。戦後60年余り経っているのだから、もう日本古来の政治経済・文化に至るまで日本人の手でつくり運営して欲しいものである。日本は情緒や風習を大切にする国である。どんなに科学が発達した時代になっても日本独自の“こだわり”がある。何と言ってもメールでは味気がない。自分の直筆でメッセージを送ることはぬくもりがあり真心が伝わり、仕事の上においても友人との絆においても大切だと思う日本人もいまだに多いのではないだろうか。

 年賀状は明治維新以来、我が国の「人のえにし(縁)」を維持する要である。それを我々の時代を含めて若い世代も引き継いで欲しいものである。

Drの四方山日記(202)

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201.jpg このところテレビ番組でやたらと魚肉ソーセージは健康に有効性があるとうたっている。魚肉ソーセージといえば我々が子供の頃の学校給食や遠足には必ず出され、家に帰ってもよくおやつに出されたものだ。ただ包装フィルムがむきづらくイライラしたのを子供心に覚えている。

 魚肉ソーセージは1970年代までは普通に食卓に並べられ健康を意識せずに食べられていたが、1970年代以降徐々に肉食に取って代わられた。その理由は欧米人から「日本人は魚ばかり食べているので魚くさい」といわれ、その後肉食が食卓に入り込んできたという。もともと魚肉ソーセージの有効性は叫ばれていたが、あまりにも大量生産のため食品としての価値が低く見られ国民の認識が薄れていた。魚にはドコサヘキサエン酸(DHA)などの成分が含まれ、“脳の働きを高める”“中性脂肪の減少”に効果があることは分かっていた。しかし、昭和45年以降欧米による食文化が入り込み、蓄肉中心のソーセージが出回り魚肉ソーセージの需要が急速に減少していった。それがBSE問題で「牛肉が危ない」「魚が安全」という風評が広がり再び魚肉ソーセージがクローズアップされてきた。もちろんマスコミなどの後押しにもよるが、最近では中性脂肪を減らす目的でDHA入り特定保健用食品が発売され、コラーゲン入りソーセージ、サプリメント成分配合のソーセージ、あるいはいちごミルクフィッシュソーセージなるものまで現れた。肌をしっとりさせ新陳代謝を促進、中性脂肪を減らす効果がメタボリックシンドロームに有効、その他子供の肥満を抑えるなど健康効果を医療専門家が高く評価しているようだ。長年の「代替商品」から「健康食品」として見直されつつある。

 日本人というのはどうも商売の天才のようである。商品の価値を見つけそれをうまく利用し伝える技術はどこの国の人よりも長けている。ともあれ肉に飽きた日本人がもう一度魚に目を向けることは、健康を維持するには最良の方法ではある。

Drの四方山日記(201)

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200.jpg サントリーオールドといえば団塊の世代を中心にその前後の年代の人なら誰でも、ああ“ダルマ”だと気付くくらい有名なウィスキーである。そのウィスキーが7年ぶりに全面リニューアルして売り出され、現在まで前年の同時期より10%増の伸びを記録しているという。我々団塊の世代には嬉しい限りである。


サントリーオールドは1940年に日本に誕生していたが、第二次世界大戦により販売することができず、1950年にやっと世に出た。当時はあまりにも高価なウィスキーであったため庶民は愛飲することはなかなかできなかった。しかし、高度経済成長の流れと共に徐々に一般の人も手に入れることができ、高級であることに違いはなかったが庶民にも憧れのオールドを味わうことができるようになってきた。1994年にラインナップが一新され、従来のリッチ&メローからマイルド&スムーズという口当たりのまろやかなものにリリースされた。そして2006年3月にリニューアルされ、中身とラベルのデザインを一新し、さらにオールドの印象を強くするため商品名を「THEサントリーオールド」と名付けた。味も団塊の世代を強く意識し、樽で熟成したモルト原酒の比率を上げてよりまろやかさを高めた。またCMキャラクターも団塊の世代である歌手井上陽水を起用し、全国の販売店の店頭には特別専用棚を作るなどして積極的な宣伝に努めた。その甲斐もあってか販売も好調が続いているという。まさにかつてのオールドファンをもう一度復活させるための戦略である。

最近国産ウィスキー市場は健康志向のせいか飲む人が減り、日本酒の地酒や焼酎ブームに押されて2005年には69000キロリットル飲まれていたものが、1983年のピーク時の4分の1までに減った。オールドもその例に漏れず、ボトルを店にキープして飲むバーやスナックなどの衰退もあって、1980年の1240万ケースあったものが2005年には50万ケース以下にまで激減していった。1970年代?1980年代にかけて愛飲していた若者は、今や団塊の世代になっている。その団塊の世代の中には若い時代簡単に飲めなかった独特の風味を醸し出す樽原酒であるオールドを、もう一度舌先で感じて重みと深みを味わいたいと思っているオールドファンが多いのではないだろうか。ともかく我々の世代には嬉しいニュースである。

Drの四方山日記(200)

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199.jpg今年はいいことより悪いことが圧倒的に多かった年でもあった。特にいじめによる子供の自殺、飲酒運転による交通事故、竜巻による自然災害で命が奪われるなど厄年といわれていてもおかしくない。そのせいか、毎年12月12日に行なわれる恒例の京都・清水寺での森清範貫主による揮毫は全国公募で選ばれた2006年「今年の世相を表す漢字」一文字は『命』であった。『命』が選ばれた理由は4つあり、1つ目は”生まれた命”皇室に40年ぶりの親王「悠仁さま」ご誕生。2つ目が“絶たれた命”いじめによる子供の自殺、生活苦による高齢者の自殺。3つ目が“奪われた命”飲酒運転による交通事故死、竜巻など自然災害で命を奪われた人たち。4つ目が“膨らむ命の不安”北朝鮮の核実験、高齢者の医療費負担の増大、臓器移植問題など命に不安を覚える出来事などの理由で決定された。

この“一文字”が始まったのは10年前の1995年の「震」であった。その後「食」「倒」「毒」「末」「金」「戦」「帰」「虎」「災」そして昨年の「愛」である。各年いろんな出来事や世相を反映した漢字が選ばれてきた。

まさに庶民の願いを込めた一文字である。清水寺ではこの一文字を「奥の院」のご本尊・千手観音菩薩に奉納する儀式を行い、この儀式により一文字に託されたその年の世相が清められ、くる年が明るい年になることを祈願するものである。また日本人に漢字に対する関心を深めてもらうのと同時に、日本文化への認識を強く深めてもらうために一年に一日『漢字の日』設けられている。このところ日本人の漢字離れが進み、四字熟語や文章を作れない若者および中年者が多いのには驚かされる。幸い私は毎日文章を書いているので、漢字力は人より優れていると自負している。是非日本人であるみなさんも大いに漢字に愛着を感じ、素晴らしい文章を作ってほしいものである。

Drの四方山日記(199)

W6.jpg このところの地方行政の腐敗は目に余るものがある。各都道府県の長でありながら県民のことを考えない自分本位の政務には呆れるばかりである。今回タレントのそのまんま東氏が出馬する宮崎県も官製談合事件の競売入札妨害容疑などで前知事が逮捕され、それに伴う出直し知事選が一月に行なわれる。

 出馬するそのまんま東氏は、いうまでもなく昭和、平成におけるお笑いタレント、俳優、作家として全国的に名を馳せている。特に世界の北野武(ビートたけし)氏の一番弟子である。彼はこれまでタレントとしてお笑い旋風を起こしながらも講談社殴り込み、イメクラ事件、暴行事件などの不祥事を起こし世間からそっぽを向かれていたが、自分自身をもう一度見つめなおし、更に人生を見直し再出発するため、禅寺で修行しながら早稲田大学(第二文学部)で学び卒業後、さらに2004年社会人AO入試を受験して合格、早稲田大学政治経済学部に再入学した。その後はメディアから遠ざかり政治家になるべく勉強を重ねた。そして今回の宮崎県出直し知事選に出馬することになった。既に2006年12月13日付でオフィス北野との契約を解消、事実上の引退宣言をし今回の出馬声明に至った。今回の出馬は宮崎県政の混乱による腐敗で健全なる政治がなされない状況に、見るに耐えない気持ちから宮崎県出身者として出馬することを決めた。既に12ページからなるマニフェストがつくられ、その中には教育から入札制度改革まで14項目が含まれている。「新しい宮崎、クリーンな宮崎、おもてなし日本一の宮崎をつくる」をテーマに掲げ旧態依然にとらわれない政治家そのまんま東を見せるため、無所属で出馬した。ビートたけし氏を初め、タレントを選挙活動に招くことを拒否し、独自の選挙活動を見せていくようである。並々ならぬ心構えだ。

 最近の都道府県の首長による事件や不祥事は後を絶たない。それは長く県政を保持する間に徐々に官僚出身者による中央や業者との癒着が平然と行なわれ、地方行政に綻びが表れ始めたからである。長野県の田中康夫前知事のように新しい旋風を起こすことにより健全なる地方行政が行なわれることは、我々国民や当の県民にとっては素晴らしいことである。過去の事件を反省し新たに宮崎県民のために彼の知識やバイタリティを大いに駆使して欲しいと、陰ながら応援している。

話題シリーズ(6)

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198.jpg 地球温暖化が叫ばれてから数十年経つが、年々地球の温暖化は進み今や世界中で環境破壊やその弊害が現実になってきている。特にその原因である温室効果ガスがクローズアップされ、今マスコミの脚光を浴びている。


 『温室効果』とは大気圏にあって地表から放射された熱(赤外線)の何割かが大気中に吸収され、宇宙に出ていかずに再び地表を温める働きのことである。そしてこの熱を吸収するのが二酸化炭素(CO2)やメタン、フロン、一酸化二窒素(N2O)などで「温室効果ガス」といわれている。地球温暖化はこの温室効果ガスの増加によって生じるとされているが、実際には温暖化の原因は二酸化炭素増加によるものなのか、オゾン層の破壊によって起こるものか意見が別れるところである。気候変動による各国の報告によると、過去100年間に地球全体の平均気温は0.3度?0.6度上昇し、それによって海面は10?35cm上昇しているという。気温が高くなると水温も高くなり、極地の氷山が溶けて海水の量そのものが増え海面が上昇する。それが地球そのものに影響を与えるのだ。具体的には水不足や水害、沿岸域の水没、伝染病、危険地帯の増加、公害問題などが生じてくるのだ。もっと具体的にいうと身近な農業への影響、自然生態系への影響、健康への影響が考えられる。

 文明や科学が発達すればするほど地球上には大量の二酸化炭素が排出され、その他冷蔵庫やエアコンなどに使われているフロンや、生ごみ・水田などから出るメタンも温暖化の原因となる。二酸化炭素は主に石炭、石油、天然ガスなどの化石燃料を燃焼させることにより発生する。その大量の化石燃料が使われているのが、我々の生活に不可欠なエネルギー発電だ。また自動車に乗っても化石燃料であるガソリンが燃焼されるために二酸化炭素が発生する。まさに科学技術の発展が温暖化を進めているようなものだといっても過言ではない。我々が日常のシャワーを節水したり夏の冷房を少なくするだけで、この温暖化を和らげることができる。延いては健康への疫病の蔓延を少なくしたりすることもできるということを忘れてはならない。一人ひとりの心がけが大切になってくるのだ。

Drの四方山日記(198)

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197.jpg最近、日本の行政の酷さには不信を通り越して腹立たしささえ感じるこの頃である。ましてや地方の不祥事(裏金問題、、談合事件など)に至っては何をか言わんやである。この国を良くしょうとするならばもっとオープンに国民に情報を流していかないとそのうちに国民からそっぽを向かれるのではないだろうか。何故こういうことをあえて言うのかというと行政においてはあまりにも秘密主義に物事を片付けてしまうことが多いからである。確かに日本国民は単一民族のせいかもしれないが、何か政務を行なおうとすると良い事でも反対をする人が必ず現れる。立案、協議、決定寸前までいっておいて初めて我々国民が知るところとなる。いわゆる“寝耳に水“状態で進行するためいろいろな問題が起きてくる。道路問題しかり耐震強度偽装問題しかりである。

 東京湾沖に『東京国際空港』2009年より着工の情報も今やっとマスコミを通じて知らされてきたが、この計画は既に十数年前には決定されていた事項である。私もある官僚から聞いて知っていたので余り驚かないが、国民の80%以上の人が知らなかったのが実状である。全てこれが日本の行政のやり方であるようだ。アクアラインや首都圏環状道路の整備、高速道路の建設などはその為につくられているものである。今、発表したにはしたが、それも何か羽田空港の拡張工事のように装っているが実際には、羽田空港とは分離した国際空港である。それも羽田空港の南海上につくる空港である。この空港と羽田空港をアクララインをまたいで国際線と国内線に分ける計画のようだ。必要な空港であれば建設することに何ら問題はないと思うが、ただ国民特に首都圏の人々にとって航空輸送が足として定着し、都市と地方の交流や国際交流の拡大、経済社会の活性化、国際競争力のアップに本当につながるかどうかは疑問だ。また空港周辺の水質や生態系への影響、航空機の騒音、埋め立てによる漁業への影響は最小限に留めなくてはならないのは言うまでもない。国として納得の行く行政をして欲しいものである。

Drの四方山日記(197)

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196.jpg この時期になると、1年の疲れを取るため温泉にでも入りたいなあという心境に不思議にさせられる。
先日来よりマスコミで流れているニュースに次のことがある。
それは破格待遇で『温泉救世主』公募というものであった。観光客の減少に悩む静岡県の東伊豆にある稲取温泉協会が全国から総合プロデューサー的事務局長を公募したところ、なんと400件を超える問い合わせが殺到したという。
なぜこの不景気にこれだけの応募があったのかというと理由は「年収700万、成功報酬100万、庭付き1戸建て無償提供」にある。稲取温泉に関わらず全国の温泉街はさびれ、なかなか観光客が来てくれないという状況に追い込まれている。そこでどこよりも早く稲取温泉が“町の活性化と観光客の誘致”を展開したものだ。この温泉はピーク時の90年頃は年間約82万人訪れた宿泊客も、今では約48万人にまで落ち込んだ。旅館も32件あったが、現在では23件にまで減少している。そのためもう一度最盛期の夢を見るべき温泉にするため観光客目線で働ける人材募集となった。

 この応募には年齢、性別、学歴は不問であるが、決めるための条件に採用試験がある。それは400字詰め原稿用紙に1000字以内の自己アピール文、2000字以内の論文が通ることが必要である。書類審査をパスすると次にグループ面接、ここでは“飲み会面接”を行なうという。また、一番の条件は「東伊豆に居住できること」である。過去の経歴や学歴は必要なく、実力主義を貫くところにこの公募の意味があるようだ。
稲取といえば伊豆の中でも温暖な気候で、海が美しく潮風を直接肌に感じられるなど素晴らしいところでもあり、私も稲取の温泉には過去に何度となく訪れたことがある。稲取は風光明媚だけでなく日本一の味を誇る金目鯛の水揚げや魚介類、特にアワビなどの食材を扱った料理は絶品である。またこの温泉町は「雛のつるし飾りまつり」や家庭の円満や子供に恵まれることを願う「どんつく祭り」で有名である。この時期になると毎年20万人を超える観光客が集まるという。

 ともかく伊豆温泉に関わらず、全国の温泉町はどこも観光客の減少から温泉町の活性化や町おこしを狙っていろいろなイベントやアイディアを駆使して観光客の誘致を行なっている。例えば長野県の恵那峡温泉の“温泉入浴と遊覧船によるバードウォッチング”を低料金で提供するところや、大分県別府市ではオンパクタウンに長期滞在型の宿泊施設を建設したり、大正期から昭和初期の建物を生かして改築する商店街の中に温泉神社をつくるなど、いろいろな試みがなされている。

果たしてこのような構想によって温泉町に活気が戻ってくるのだろうか。何はともあれ日本人の温泉好きに変わりはないのだから、焦らずいろいろな試みにトライして欲しいものである。

Drの四方山日記(196)

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195.jpg 土曜日、クリニック情報を広げるため、インターネット情報の会社を訪れた。
東京の中心にある高層ビルの一角にオフィスを構える『All About』である。
この企業はすでにインターネットを扱う者ならほとんどの人が知っているといわれる情報サイトである。

ただ、他の情報サイトと違いこの会社の企業理念は「システムではなく人間」であり“個人をより豊かにしたい”をテーマに、専門家ならではの信頼できる“こだわり情報”を数百に渡る分野で展開している。“皆さんの生活をもっと豊かにもっと簡単に情報を入手できる”をキャッチフレーズに、社会全体がより元気になるための情報を送るべく努力をしている会社である。私も毎日のブログを書くのに情報を幅広く集めているが、その時にこの『All About』のガイドを利用している。

特にこの企業のガイドは各分野の専門家が中心となってウェブ上の記事やリンク集の更新、メールマガジンなどを提供している。その中でも働く女性向けウェブマガジン、30?40代男性向けウェブマガジン、更に時代を反映して団塊世代向けセカンドライフ応援ウェブマガジンなど、今まであまり利用されていなかった分野に相関し消費者に支援をしているようだ。これからのIT産業はいろんなアイディアや考え方を駆使して生活情報を提供していかないと生き残れないようだ。少ない従業員やスタッフで効率よい成績を上げるのがメディア企業である。ライブドアや楽天ばかりではなく、このような新しい考え方をもった企業が出ることは、我々消費者にとってありがたいことである。私ももっともっと、この企業のようなこだわりのある情報を皆さんに提供したいと思っている。

AllAboutのWEBマガジン
女性向けWEBマガジン ForL
ミセス向けWEBマガジン ForF
男性向けWEBマガジン form
50代男性向けWEBマガジン DORON

Drの四方山日記(195)

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194.jpgアフリカに棲息するゴリラが絶滅の危機に陥っているというニュースが耳に入って驚いた。今年の夏に南アフリカの旅に行って動物たちと触れ合い貴重な体験をしたばかりで、もし次にアフリカに来るなら中央部のコンゴ、ルワンダ、ウガンダのゴリラが棲息するジャングルに行きたいなぁと旅仲間と話したばかりである。その赤道直下の樹林に棲息するゴリラにエボラ出血熱が流行して絶滅の危機にあるという。


 アフリカに棲息するゴリラは3種が存在し、カメルーン、コンゴ共和国など西海岸地方に棲息するニシローランドゴリラ。コンゴ民主共和国のカフジの森に棲息するヒガシローランドゴリラは現在ほとんど絶滅に近い。コンゴ、ルワンダ、ウガンダの三国の国境地帯に棲息するマウンテンゴリラは絶滅に近かったが現在は以前の3倍までに回復した。今回のエボラ出血熱の感染が広がったのがニシローランドゴリラである。平成2年10月から4ヶ月間の間に143頭中130頭がエボラのため死んだと見られている。致死率は90%を超えている。その大きな原因は食用コウモリからの感染が疑われている。絶滅の危機の大きな要因は森林伐採や農業などの影響で生息地を奪われ、繊維性植物を中心とした雑食のゴリラにとっては、地上性草本類や新葉が食べられないことが致命傷となる。また多くの果実、昆虫を食物としているニシローランドゴリラにとっては棲息そのものを不可能にすることであり、ゴリラを絶滅の危機に追いやっている。ゴリラの出産は4?5年に一度あり、一度個体数が減少すると回復するまでに長期間が必要である。また国際自然保護連合(IUCN)の絶滅危惧種に登録されているにも関わらず、密猟する不心得者によって減少の一途をたどっている。

 アフリカのゴリラ、特にコンゴ共和国のゴリラは、1933年最初の怪獣映画『キングコング』という映画に取り上げられるくらい有名であり、1995年のアメリカ映画『アウトブレイク』ではエボラを連想させるウィルスによる感染が取り上げられ反響を呼んだ。また日本では1995年マンガ『ゴルゴ13』で密猟された緑猿からエボラウィルスが感染するストーリーが出版され問題提起した。
 機会があったら是非ともアフリカ中央部のゴリラが棲息するジャングルを訪れて、ゴリラと一晩を過ごしたいなあと楽しみにしているが、果たしてその機会があっても、それまでゴリラが生きのびていてくれるか疑問である。

※エボラ出血熱 エボラウィルスを病原体とする急性ウィルス性感染症で、体内で大量出血し致死率が高い。空気感染はしないが血液、分泌物、排泄物、唾液などの飛沫が感染源である。

Drの四方山日記(194)

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193.jpg最近公衆電話のボックスをトンと見なくなった。あまりにも携帯電話が普及して公衆電話は少なくなっているとは聞いているが、その変貌ぶりには驚かされる。田舎はともかく都心では探さないとなかなか見つからないし、もし見つかったとしても何とかカード専用とか、テレホンカードが使用できなかったり、もし使用できても長電話をかけられたりで困ったことを覚えている。9月11日の公衆電話の日に利用率を調べたところ、公衆電話を利用するが2.8%、時々利用するが11.5%、ごくたまに利用するが39.4%、まったく使用しないが46.3%という結果が出た。いかに利用していないかがこのデータでわかる。

193b.jpg公衆電話には最低限の通信手段を確保するために電気通信事業法で設置が条件付けられている第1種と、任意で設置できる第2種がある。第1種は市街地で500m四方おき、それ以外では1km四方ごとに1台を設置しないといけないという決まりがある。これは災害や緊急通信に使用できるように規制されたものだ。それに対し第2種は駅や船舶、航空機などの交通車両内に設置されているものである。両者とも元電電公社や現NTTが統括している。公衆電話は一般電話と違い、交換機を経由する優先電話である。携帯電話と違ってつながりやすいのが特徴である。例えば過去の福岡沖玄界地震や阪神大震災などの被災地では通話の殺到に対応しきれなく、発信規制が出されてほとんどつながらなかったという。そのため被災者が公衆電話に殺到したことが記憶に新しい。しかし、携帯電話の増加によって公衆電話の収益が伸びず大都市を中心に地方でも台数が削減されて、84年度のピーク時に93万台あったものが2005年には39万台に落ち込んだ。そのため我々の身近ではなかなか見つけるのが大変になった。しかし、もし東京などの大都市で直下型の地震が起こった場合、携帯電話が使えないときどう家族や職場などに緊急電話をかけるのだろうか。NTT東日本のシミュレーションによると、もし首都直下地震が起こった場合を想定すると固定電話は約110万回線が不通になるという。阪神大震災では2週間程度で復旧したものが、復旧には1ヶ月かかると予測が立てられているという。つまり光ファイバーケーブルの導入が進む中、大半の固定電話で使われている銅線ケーブルの調達や導入が困難になるためである。公衆電話は災害時を考えた場合、なくてはならない通信手段であることを忘れてはならない。政府もそれに対応するための適切な手段を今から講じなければ間に合わないのではないだろうか。携帯電話の普及はある意味では国民の共通の通信手段を断つことでもあるので、国も無駄な政治資金や行政に使わず公衆電話に目を向け設置して欲しいと国民の誰しもが願うことである。

参考資料:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedeia)』
参考文献:毎日新聞、NTT東日本

Drの四方山日記(193)

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192.jpg 12月1日より開幕されている第15回アジア競技大会も6日目を向かえ、日本選手の活躍も華々しく中国に次いで第2位の成績を上げている。有望選手のみならず、これから伸びる選手が唯一オリンピック大会やワールドカップ前に力が出せる競技大会である。今回のドーハ2006年は今までの大会と違い、チェスやボードゲームが加えられ“知力で闘うスポーツ”も新たに認知されたことは、今後のオリンピックの飛躍に一躍買うのではないだろうか。アジア競技大会の歴史は、第2次世界大戦後初のロンドンオリンピック(1948年)に日本は不参加だったが、アジアから参加した6カ国の代表が一同に会し、4年に1度アジアでも競技会を開こうではないかと決められたのが最初の発端である。3年後の1951年インドのニューデリーで第1回大会が開催された。この時日本は57種目中24種目で金メダルを獲得し、参加国の中で最高の成績を収めた。その後のアジア大会はバンコクで4回、ニューデリーで2回、日本では東京と広島で2回行なわれている。最初のうちは日本がアジアでは圧倒的な強さを見せ付けていたが、近年では中国、韓国が日本のライバルとして急速に台頭してきたため、簡単にメダルを取ることができなくなってきた。やはり13億人を有する中国の力はアジアでは脅威である。毎回競技種目が増え第1回当時は6競技57種目であったが、13回あたりからカバディ、セパタクロー、スカッシュ、ビリヤードが増え36競技が実施された。今回の大会では更に2競技増え38競技で熱戦が繰り広げられている。

 以前はアジア大会といえばオリンピックの肩慣らし程度に思われていたが、中国、韓国、旧ソ連から独立した新しい国々が力をつけ、オリンピックでも十分メダルを狙える選手が増加してきた。今やヨーロッパ大会、アメリカ・オセアニア大会に負けず劣らずレベルが向上してきた。まさに国際総合競技大会の一端を担っている。日本選手もアジア大会と侮らないで真剣に闘ってメダルを狙ってほしいものである。それが次のオリンピックや国際大会の素晴らしい成績につながるであろうということを忘れてはならない。各国切磋琢磨してこのアジアの地で行なわれるアジア大会を盛り上げて欲しい。

Drの四方山日記(192)

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191.jpg昨日、毎年年末に行なわれるISK経営塾の合同研修会及びイヤーエンドパーティーに参加した。今回のゲストは法政大学・大学院教授である小川孔輔氏で『消費者の視点から見た経営とは』をテーマに講演された。今の日本の悪化した経済の中、いかに消費者に合う経営ができるのかを熱心にパワーポイントを入れて話され、我々参加者を魅了した。
特に「ブランド」とは何かを起源、定義、価値観、伝承などについて通常我々の理解しているブランドをより掘り下げて講義され、いろんな意味で我々の問題を抱える経営に助言となった。

経営とは力を尽くして物事を営む、つまり経験、体験を営むことを意味する。その上で確立したブランドを継承し発展させていくことは、従業員の体質と大いに関わりを持つ。良い経営とは消費者を満足させ、従業員によりよい働きの場を与えることである。それが経営者と会社をつなぐ大きな力になる。そのことはインターネットの時代に入っても中小企業の大きな力となるのである。ブランド(Brand)の意味は英語のBurned(焼印を押す)から派生した言葉である。例えば馬などに焼印を押す、つまり品質の保証や所有権を主張するために使われたのがブランドである。我々はブランドというとファッションではシャネル、ルイヴィトン、時計でいえばロレックスやカルティエ、自動車でいえばベンツ、トヨタなどをイメージするが、どんな企業でもブランドを有することは優良企業であることを意味し、消費者とのコミュニケーションをはかる手段として最高のものであると力説された。まさに経営を営む者としては最も大切なことである。191b.jpg

第2部ではパネリストが3名、コメンテーターとコーディネーターが1名ずつ加わり『我が経営を語る』と題してパネルディスカッションが行われた。

第一線で働く中小企業の社長さんの熱っぽいディベートには感心させられ、やはり伸びる企業は違うなあと出席者一同改めて勉強させられた。その後パーティが行なわれ盛大なうちに終了した。

私はこの経営塾に7年間お世話になり、経営のみならず人生とは何かを含めた人間形成を大いに学ばせていただいた。年1回のこの合同研修会で再度勉強することは、自分のみならず従業員に指導する上で大いに役立つ。それが患者さんとの最高のコミュニケーションにつながると自負している。

Drの四方山日記(191)

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190.jpg 昨日日本ハムからFA宣言した小笠原道大選手が、巨人への入団を発表した。その記者会見の席でみんなが驚いたことに、彼のサムライ魂の象徴ともいえるヒゲをばっさり剃り落としていた。小笠原自身は「ゼロからのスタート。男のけじめとしてきれいにした」と述べた。ただ、気がかりなのは入団したのが巨人というチームである。あまりにも伝統に押しつぶされ大成しない選手が多いのも事実だからである。かつては大砲と期待されながら落合、清原、広沢、江藤ら各チームを代表するスラッガーが巨人の敷居をまたいだが、結果は入団する前を上回る成績を残せないで移籍および引退する選手が多かった。その意味からも身も心も巨人色であるオレンジに染まる覚悟でヒゲをそったのだろう。まさに“武士(サムライ)の一分”である。確かにパ・リーグからセ・リーグへ移籍すると、きまってセ・リーグの投手の特徴がわからず思うように成績が上げられなかったが、幸いなことに2シーズン前からセ・パの交流試合が行なわれるようになったため、彼にとっては追い風になるのではないだろうか。ともかく地味でありながら野球に対する姿勢や天性のバッティングセンスは他の選手より抜きん出ており、独特なサムライ(神主)打法や豪快なフルスイングがセの投手にとっては威圧感を与えるのではないだろうか。今までの移籍選手と違い、彼の実績は首位打者2回、本塁打・打点王それぞれ1回、ベストナイン5回、ゴールデングラブ賞6回、オールスター8回などともかくタイトルを9回受賞するという彼のバッティングセンスはまさにミスターサムライといわれる所以である。巨人が彼に4年契約で16億円を提示したのをみても、いかに彼に対する期待が大きいかが伺える。日本の代表する選手が大リーガーを目指し渡米する中、彼のように日本のプロ野球のために命をささげる情熱とガッツは、これからの日本の選手の模範となってほしい。その意味からも球界を代表する巨人軍に入団することは大きな布石になるのではないだろうか。来年の東京ドームでの彼の勇姿を期待している。

Drの四方山日記(190)

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189.jpg 米国マイクロソフトのビル・ゲイツ氏と妻メリンダさんらが運営する慈善団体「ビル・アンド・メリンダ・ゲイツ基金」は財団の資産3兆7000億円(319億ドル)を夫婦の死後50年以内に全額寄付すると発表した。と同時にビル・ゲイツ会長(Microsoft創業者)が2年後の2008年で当社からの第一線を退くことも発表した。その後は主要開発プロジェクトの顧問を務めるという。


 ビル・ゲイツといえば、米国のみならず世界中の誰しもが自他共に認める世界一の資産家であると同時に、最も多くの慈善財団に寄付している人物でもある。
 ウィリアム(ビル)H.ゲイツ3世は1955年10月28日米国ワシントン州シアトルで生まれ、公立小学校を卒業したのち私立レイクサイドスクールに進学した。パーソナルコンピュータ向けソフトウェアはこのスクール在学中13歳の時にプログラミングを始めたという。1973年ハーバード大学に入学。そこでマイクロソフト・コーポレーションの現CEOのスティーブ・バルマー氏と出会った。大学3年の時に幼ななじみであるポール・アレンと共にマイクロソフトに全力を注ぐため大学を中退する。その後の彼のすさまじい活躍ぶりは語るまでもない。彼の当時の夢は、全ての職場のデスクの上および全ての家庭において最も有益な機器になるだろうということを信念にし、パーソナルコンピュータ向けのソフトを開発した。まさに先見の明が開花したといえる。

 コンピュータやソフトウェアで富を得たゲイツ氏は、妻のメリンダさんと一緒に世界規模での健康と学習分野への慈善運動をすべく288億ドルを寄付した。その後財団をつくり世界中のより良い健康を目指す協会に36億ドル、また教育や技術へのアクセスを提供する団体に20億ドル、さらにその他米国およびカナダの低所得地域の図書館にコンピュータ、インターネットの接続を提供したりして莫大な資産を寄付している。

 そのビル・ゲイツ氏が第一線を退いた後、発展途上国のエイズ、マラリア、結核の根絶のためや、教育問題改善を目指す慈善団体のために自分の全資産を寄付するという。世界の慈善財団にとっては願ってもないことである。今までいろいろな点で世界を変えてきたゲイツ氏であったが、儲けることもうまいが最後の引き際も彼流の演出には頭が下がる思いである。ゲイツ氏の晩年はメリンダさんと3人のお子さんとで好きな読書やゴルフをしたりして、今までの超多忙な生活から離れ、悠々自適な生活をおくるのではないか。

Drの四方山日記(189)

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188.jpg 今年の流行語大賞が発表された。1年の世相を反映してか今年の大賞はインパクトの強い言葉が選ばれたようだ。1つが「国家の品格」で200万部の超ベストセラーを記録した藤原正彦氏(東京・お茶の水大教授)の『品格』で、もう1つがトリノ五輪フィギュアスケートで大活躍しゴールドメダルを取った荒川静香さんの『イナバウアー』が選出された。
私も「国家の品格」を読ませてもらったが、アメリカ一辺倒の日本にもう1度国家とはどうあるべきか再認識させ“論理より情緒”“英語より国語”“民主主義より武士道精神”を提言して、日本人に誇りと自信を取り戻す画期的書であったように感じた。荒川静香さんはトリノオリンピックで日本がなかなか思うようにメダルが取れないときに、思い切ったスケーティングで見事に日本国民の期待に答えた。特にイナバウアーを取り入れた演技は世界中の人たちを魅了し感動を与えた。

今までのおちゃらか的言葉を流行語大賞としていた選考から世相を反映した事は素晴らしいことではないかと私は思う。もちろん駄洒落的な言葉も今の世の中には必要ではあると思うが、もう少し品のある流行語を期待したい。参考までにベストテンの一部を挙げると「エロカッコイイ」「格差社会」「シンジラレナ?イ」「たらこ・たらこ・たらこ」「飲酒運転」などであった。以前のように毎回トップテンに入っていたお笑い芸人の持ちネタは、一発勝負的なせいか今年は選出されなかったようである。ただ意外だったのがライブドアの元社長堀江氏の「想定外の予想外」が流行らなかったのは、やはり事件が影響したためだろうか。IT関連では「ググる」「GyaO」「脳トレ」、ネット関連の用語では「ミクシィ」と「ユーチューブ」が選出された。

188b.jpg暮れのこの時期に話題になるのが流行語大賞やベストドレッサーである。どちらもその一年に発生した言葉やファッションはその時代の世相や移り変わりを顕著に表わしている。果たして来年はどんな新語・流行語やファッションが飛び出してくるのか楽しみである。

Drの四方山日記(188)
All About スタイルストア_クリスマス特集

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187.jpg 1963年名門料亭「星ヶ岡茶寮」の跡地に、日本初の外資系ホテルとして「東京ヒルトンホテル」が開業した。その後84年に「キャピトル東急」に名称を変更した。その間ビートルズが66年の初来日時に泊まったほか、世界的オペラ歌手ルチアーノ・パバロッティやマイケル・ジャクソンなど有名人が多く泊まったホテルとして名を馳せた。また東京の中心、特に永田町に立地するせいか政治家の利用も多く、歴代の総理や大物政治家たちが常連として利用したホテルでもある。

このホテルは昭和の雰囲気を残した昔懐かしいホテルで、何かクラシックでありながらモダンな古き物を大切にするちょっと和洋折衷っぽいところがあり、その中に高級感のある雰囲気をかもし出している。特にエントランスには大きな「欅」文字があって、この地にあった「星ヶ岡茶寮」で実際に使われていた欅材が天井や柱などに使われ、自然をモチーフにしているところがいい。まさに文化遺産である。この43年間さまざまなドラマを見続けたホテルも11月いっぱいで閉館し、2010年には地上29階、地下4階に生まれ変わるという。今流行のホテル、オフィス、レジデンスが入居するタワー型複合ビルとなる。
 私もこのホテルを経営者グループの集まりやセミナー、大相撲の千秋楽打ち上げパーティーおよび人との待ち合わせなどに利用させてもらった。思い出としては私の恩師の呼び出しでコーヒーハウス「オリガミ」に行った時、とてつもない大きい人がいたなあと思っていたら、あの有名なプロレスラー故ジャイアント馬場さんであった。

ともかくこの場所にはいろいろな著名人が集まり、行くと必ず誰か知った顔を見かける驚きのホテルである。2年前に用事で行った時もお忍びで、韓国大スター・ヨン様が宿泊していたのを見かけた。このホテルを利用したお客や常連たちは一同に名残惜しさを感じるのではないだろうか。確かに古いものは必ず消滅する。それは仕方がないことではあるが、一抹の寂しさや哀愁を感じさせる。これが時代の流れである。文化遺産として残すものは、私の故郷にある世界遺産で合掌造りの家のように、実際に人が住みながら残す建物こそ本当の建築物ではないだろうか。そういうものをもっとつくり、後世に残して行きたいものである。

Drの四方山日記(187)

2009年6月

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