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252.jpg 落語界の重鎮の一人で「円楽一門会」を率いる三遊亭円楽が25日、東京・国立演芸場での国立名人会を最後に落語界の第一線から退くことを表明した。

円楽といえば「笑点」といわれるくらいこのテレビ番組で茶の間の人気を博した噺家(はなしか)である。円楽師匠は東京・浅草で生まれ、6代目圓生に弟子入りし、62年5代目「円楽」を襲名し真打に昇格。67年スタートの「笑点」の最初からのメンバーで、端正な顔立ちと博識な答弁で“星の王子様”の愛称でお茶の間の超人気者となった。

しかし、当時メンバーだった立川談志さんとの対立したことと落語に専念したいということで一時降板したことがある。70年、「笑点」に復帰。その後78年、師匠の圓生とともに落語協会を脱退し「落語三遊協会」を創設。79年、圓生の死去と同時に円楽一門を引き連れて円楽独自の協会を設立した。その後落語に専念し立川談志、古今亭志ん朝、橘家円蔵と共に「落語四天王」と呼ばれた。

 円楽は圓生没後、落語に精進するかたわら「笑点」4代目の司会者としてゆるぎない地位を築いた。05年10月に脳梗塞で倒れたが、リハビリなど本人の努力で一年後に高座に復帰した。しかし、脳梗塞の後遺症ほか人工透析を受けるなど最近は体調がすぐれず、高座も体調と相談しながら勤めていたという。
しかし、落語界での円楽は名人の域に達し、彼を見るためにどこの演芸場もたくさんのファンで満杯だったという。今回の名人会は自分にとって今後を占う上でもっとも大切な高座と位置づけていたため、半年前から1日3回の稽古を重ねてこれに臨んだという。

出し物も円楽自身、母親との思い出の多いネタ『芝浜』を選んだ。彼の落語55年の集大成とも言えるものであった。その得意な小噺でありながら思うようにろれつが回らなくて2?3分で引っ込みたくなるような心境になり、こんな調子でお客様の前で噺をするのは情けないと引退を決意したようである。まさに甘えを許さない円楽らしい決断である。

円楽自身は17歳のときに肺を患い医者からも余命10年と言われた。
その時、滅入る気持ちを晴らそうと寄席を見に行ったのが落語家になるきっかけであった。以来55年、これ程落語一筋に自分を磨いた落語家は過去にいただろうか。余力を残した男の引き際として素晴らしいと私は思う。

この男の美学を居座り続ける政治家や役人およびスポーツ選手に学んでほしいものである。まさに落語家らしく男の引き際を“オチ”としたところが円楽が名人たる所以だ。
参考資料:毎日新聞 読売新聞 夕刊フジ 産経新聞 産経抄より

Drの四方山日記(252)

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