昭和「無責任男」の終演

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271.jpg 昭和の高度成長期時代の日本を代表するエンターテイメント(俳優・コメディアン・歌手・ギターリスト・司会業)として1960年代に一世を風靡し、数々の流行語を生み出した植木等さんが昨日天国へと旅だった。植木さんといえば昭30年代後半の高度経済成長の真っ只中、颯爽と登場し敗戦で暗くなった日本人に新たな笑いを提供した。その代表的なものが「スーダラ節」である。
この曲の楽譜を渡された時、彼は「こんなふざけた曲」と歌うのをためらい、父親(三重県の浄土真宗の住職)に相談したところ“分かっちゃいるけどやめられない”は崇拝する親鸞聖人の教えに通じると諭され迷いが吹っ切れたという。ともかく植木さんの活躍は先般亡くなった盟友青島幸男氏以上である。
植木さんは寺の息子として生まれながら歌手のディック・ミネに憧れ「クレーイジーキャッツ」に参加した。その後の活躍については皆さんがご存知の通りだ。彼が芸能界に与えた影響は大きく特に芸能プロダクションの存在を大きくし、これにより歌手や作詞・作曲家が作りたい音楽を自由に製作できるシステムができあがった。
また彼自身音楽家としても超一流で正式に声楽のレッスンを受けており当時の歌手の草分け的存在であった。その証拠が還暦をすぎてのベストテン、ランクインである。
70年代後半から本格的俳優として活躍し数々の名作に出演した。85年の黒澤明監督「乱」での渋い演技は今も語り草となっている。彼の演技に日本アカデミー・毎日映画コンクール助演男優賞などが贈られている。93年、99年には長年の功績に対して国から紫綬褒章、勲四等旭日小綬章が授与された。

 植木さんは住職の息子だけあり根は真面目で、酒タバコもやらない人で、その彼が自分を消してまでその役になりきり、軽薄な主人公になりきることは並大抵のことではなかったかと想像できる。多くの曲を担当した宮川泰氏、青島幸男氏が相次いでなくなったことでショックを受け、ここ何ヶ月は元気がなかったという。一昨年の渡辺プロの50周年パーティーでのクレージーの仲間3人との出演が再現し、「また残ったメンバーでドラマでもやりたいね」と話していたがかなわぬ夢と終わった。
参考資料・日刊スポーツ・産経新聞・スポーツニッポン・フリー百科事典 より

Drの四方山日記(271)

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