2007年6月アーカイブ

K17.jpg 先日、新聞のトップで報じられた記事に、次のようなものがあった。
それは病院の効率化や専門医の紹介、勤務医の労働状況の改善を考えた「総合科」なるものを新たに創設すると厚生労働省が発表したものだ。

今、日本の医療現場には日常の診療を行う開業医と、救急救命で入院と専門治療にあたる病院がある。例えば熱があったり、動悸や息切れ、血圧が高いなどの症状があっても一体どの科にかかればいいのか迷ってしまう。そのためおのずと専門性の高い病院に集中してしまうのが現状である。
また医師も過酷な勤務が強いられ、中には医療過誤や重大なミスを犯すことも最近では多発している。そこで、厚労省は的確な診断で適切な治療を施すため、新たな診療科として「総合科」を設けるという。

この科は患者さんを専門医に振り分ける診療科にあたり、いずれ開業医の多くを総合科医とし、どの医療機関にも連絡のつくかかりつけの医師として地域医療を目指すという。ただし、総合的に診察するため、能力の高い医師を養成し初診の患者さんに安心して診察を受けられる環境をつくることを信条とする。
また、今までの「3時間待ちの3分診療」と言われた医療機関の混雑緩和にも役立つように考えたようだ。
ただ、医師が総合科医になるためには、厚労省の審議会の資格審査や研修制度を設け、許可制にするという。今まで技量について制限した診療科は麻酔科しかない。

今回のこの「総合科」は西洋医学の分野での医療システムであるが、これからは西欧諸国、特にイタリアのように患者が病院に行くとまず最初に熟練した医師が診察(問診・検査・診断)を行い、その結果に基づいて患者の症状に応じて各科に振り分け、そこでもし治療が合わないと再度初診に戻り診察し直し、患者さんに合った専門科に再度回して治療するシステムである。要するに、患者さんは病院へ行けば自分にとって最も必要な治療を受けることが出来る仕組みである。但し、今回の日本の「総合科」と違い各専門科の中には外科、内科、消化器科、精神科、鍼灸科、カイロプラクティック科、理学療法科などがあり、患者さんが医師と同じ目線で治療を受けられるようなシステムになっているという。
日本も今世界中の医療制度を持つ医療を集めた「統合医療」が法制化になろうとしている。西洋、東洋、アメリカ医療を結合した病院が開設されれば、まさに患者さんにとっては夢の病院である。
いかなる医療でも人びとの“病気を治す”のが唯一の目的である。そのため原点に戻って枠組みを取り払った21世紀への医療の活性化が今の日本には必要ではないだろうか。その意味からもいって国、特に厚労省が真剣に検討し実現してくれることが患者さんのみならず医療界の人びとにとっても素晴らしいことではないだろうか。

健康コラム

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334.jpg 時代は変わるもので、最近の中学校で、携帯小型ゲーム機「ニンテンドーDS」を英語や数学の授業に使う学校が増え効果をあげているという。
一体このゲーム機はどんなものか私なりに調べてみた。DS (Double Screen)とは折りたたみ式の本体の両側に2つの液晶画面をもっていることを意味しているらしい。何しろこのゲーム機はいろんな機能がついているらしく、我々の年齢にはなかなか理解できないところがある。
ダブルスクリーン、タッチスクリーン、ワイヤレス通信、音声認識、時計機能、ダブルスロットなど数え上げればきりがない。そこに2004年ゲームに無関心だった層への普及をはかるため、『Touch! Generation』というシリーズが発売された。これには学習ソフト、電子辞書、料理レシピなどの枠に留まらず、脳の活性化を促進できる『脳を鍛える大人のDSトレーニング』が発売されヒットしたのをきっかけに、『えいご漬け』『やわらかあたま塾』などのヒットソフトが続々と販売された。

そこに目をつけたのが京都の中学校で、英語教育に組み入れた。そして2005年には『もっと脳を鍛える大人のDSトレーニング』が販売され大ヒットした。その中には数学のトレーニング法が加えられたため、多くの学校で「DS授業」として採用されてきた。

最近は日本の数学のレベルもインドの2桁九九に負け、トップの座を奪われている。情けないことである。我々が学生の頃は数学といえば日本というくらい日本人は人間コンピュータとも言われたのに、最近では他の国、特にインドに先を越され、肩身の狭い思いをしている。国としても教育にいいものはどんどん取り入れ学力向上につながれば、社会に出ても十分通用するだろうし、戦力になることは間違いないようである。この“魔法のゲーム機”が学力の落ちた中学・高校の救世主になってくれれば最高である。
参考資料:フリー百科事典 週刊朝日 より

Drの四方山日記(334)

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333.jpg 国際宇宙ステーションからのニュースとして報じられたものに「宇宙食」がある。
宇宙食は1961年ヴォストーク2号に搭乗した旧ソ連のチトフ飛行士が宇宙空間で初めて食べ物を口にしたのが最初だといわれている。その後1962年、アメリカ・NASAのマーキュリー計画において、米国人として最初に宇宙軌道上を飛行したジョン・グレンがロケットのカプセル内の宇宙空間で食事をした。その時はアルミチューブに入ったビーフグレービー・野菜ペーストなどが使われた。その後のジェミニ計画やアポロ計画では乾燥食品やお湯を使った温かい食事が可能となった。
しかし、最近では米国とロシアが中心となりフリーズドライ食品、温度安定化食品、自然形態食品、生鮮食品などが登場してきた。

宇宙食としての絶対条件は長期保存が可能、出来るだけ軽量、臭いを伴わない、飛散しないことだとされている。特にカプセル内は精密機器が多いだけに、汁が飛んだり砕けた食品が飛んだりして機器にトラブルが起こったり、飛行士にやけどを負わせたりしないように選考は厳しくしているようだ。
今までは2ヶ国のものが中心に採用されていたが、今度新しく日本食が登場することになった。ラーメン、おにぎり、レトルトカレー、栗羊羹など12メーカー29食品が採用されることになった。この採用に当たって、宇宙航空研究開発機構では4年掛りで審査を行ったという。現在、アメリカ製が200食、ロシア製100食、日本製が100食になるという。
来年秋の若田光一宇宙飛行士から日本食が加えられる。何しろ一回飛行すると6ヶ月という長い滞在になるため、日本人宇宙飛行士のホームシックを防ぎたいというのが今回の狙いのようだ。
特に主食の他お菓子やスナック類も認証され、ドライフルーツやナッツ、チョコレート、はちみつケーキやタピオカプリンなど多くのものが宇宙で食べられるようである。また、お菓子と一緒にコーヒー、紅茶、緑茶など好みに合わせて選べるのがユニークである。もちろんコーヒーのカフェインは抜かれるようだ。

未来は宇宙での生活を考え、徐々に宇宙ステーションでは栄養のバランスやカロリーあるいは精神面や健康面も想定して選んでいるようである。
参考資料:今月の視点 フリー百科事典 宇宙航空研究開発機構

Drの四方山日記(333)

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S47.jpg 最近の女性進出は政治・経済・教育を問わずめざましいものがある。
やはり「女性パワー」は強いと改めて認識させられる。先日、開催されたサミット参加国首脳の中にも、ドイツの女性首相アンゲラ・メルケン氏がいた。
また、フランスの大統領選にも女性候補がもう少しのところで選出されそうになった。
それに、再来年の米国大統領選挙にもヒラリー・クリントン氏が最有力といわれている。
しかし、日本では女性天皇や女性宰相はまだ時期尚早であるが、大臣など女性リーダーも徐々に増えてきて、今や政府も国是として取り組みだしている。上場企業も経営のトップとして女性の就任が相次いでいる。

最近ではダイエーの林文子氏、ドクターシーラボの石原智美氏、ブックオフコーポレーションの橋本真由美氏などが現在活躍中である。その企業のトップの中に三洋電機の野中ともよ氏、テン・アローズ(旧シャルレ)の三屋裕子氏がいた。
野中氏はご存知のようにテレビキャスターやジャーナリストとして活躍し、各種社会団体の委員や企業の社外取締役(ドコモ・アサヒビール)などの役員として活躍し、2002年に三洋電機の取締役、2005年には同社の会長兼最高責任者(CEO)に就任した。三屋裕子氏はロサンゼルス五輪の銅メダリストで、長く女子バレーボール代表として活躍した。2004年にテン・アローズの創業者に頼まれ、同社社長として就任した。
確かにこの2人の女性は知名度というか広告塔としては抜群であったが、経営面ではどうも全く素人だったようで、会社にとってはお飾り以外の何ものでもなかった。

ではなぜ素人の女性を使ってまで企業のトップにしたのか。
それは両者とも共通しているのが、創業者のカリスマ性や求心力が会社の体制に影響力を持っていたため一種の創業家の発想から生まれたものであるようだ。
しかし、現実は厳しく経営者として知識、才覚、手法が備わっていないとなかなか思うように業績を上げられないのは当然である。確かに企業のイメージアップへの狙いはよかったが、必要でなくなった時点ではその地位を追われるのが目に見えて分かっている。ただ、女性だからといって軽く言うのではなく、女性経営者の中にもトップとしての手腕をはっきして大成功を収めている会社も存在していることは確かだ。
また、女性に限らず著名人の企業進出は株式市場やマスコミを賑わせているが、多くはどうもお飾り的になりおのずと駄目になる。身内や企業として経験を積んだ著名人はそれなりの成果を上げているのも事実である。もっとトップとして起用するにも慎重に行わないと会社のみならず招聘された者にとっても迷惑になりかねない。
参考資料:とれまがファイナンス 産経新聞 磯崎哲也事務所HP より

世相シリーズ(47)

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332.jpg このところ、国民年金問題、コムスンの不祥事、住民税引き上げ、そして食肉偽装事件と次から次へと明るみに出て、国民は最早ストレスを通り越しうんざりしているのが現状である。そのストレスを解消するために個々にいろいろなことにトライしうっぷんを晴らしているようだ。
そこに身近で簡単にできる解消法が登場した。それはおもちゃメーカーが9月に発売する「∞プチプチ」である。「プチプチ」は通常壊れやすいものを包む緩衝材でポエチレン製の無数の気泡をシート状にしたものである。
一般名は「気泡シート」と呼ばれ、日本には製造会社が5社あり、今回の開発した会社は何と50%のシェアを持っているという。この「気泡シート」がマーケットに登場したのは日本とアメリカが同じ時期で、「プチプチ」として商標登録をとったのは1994年だと言われている。

今回のおもちゃの目的は“暇つぶし、ストレス解消”であり、20代?30代の男女を中心に子供から大人まで幅広い年齢層をターゲットとしてデパート、おもちゃ専門店、雑貨店などで販売するようである。
その種類も14種類あるといわれ、抗菌・保冷がほどこされている。なぜ「プチプチ」が多くの人に愛用されているのか。
332b.jpgそれは「アフォーダンス」と呼ばれる心理学的現象があるようだ。
プチプチの粒を指で壊す感触と心地良さは誰しもが経験できることにあるようだ。最後は仕上げとして雑巾のようにして絞ることも出来る。これはまさにストレス解消法の一つである。今、物価が高い世の中に、安価で手軽にストレスを解消できるので、おそらく販売すれば爆発的な人気商品になるのではないだろうか。欧米人のようにヒステリックに行動することができない日本人は、まさに謙虚で慎ましい人種である。

Drの四方山日記(332)

※アフォーダンスとは:アフォード(afford)という言葉から、アメリカの知覚心理学者によってつくられた造語。環境や状況下から誰に教わるでもなくその情報をキャッチし、自分独自の情報として取り込むこと。

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331.jpg23日(土)、診療を終えて私の出身大であるアメリカパーマー大学の集まりがある外国特派員協会に行った。

最近は何かと忙しく、母校のOB会には中々参加できなかったが今回はスケジュールがうまく空いて、出席することが出来た。会場であるレストランではすでに7名と外国人ゲスト2名が和やかに歓談していた。私も1977年にパーマー大学を卒業して早いもので29年が過ぎた。今回参加した8名のうち、私はもう2番目に古く、長く診療してきたんだなあと改めて実感した。
現在、欧米の大学を卒業したカイロプラクティック・ドクターは約120名に達し、そのうち60%は母校パーマー大学出身者である。(米国には15校のカイロプラクティック大学が存在)

 今回は同じパーマー大学の卒業生で、現在パーカーセミナー(全米で最大の学会)の日本代表者として来日しているDr.Denise Perronがゲストとして招かれ、我々と歓談した。全員がアメリカ大の留学生だったため、食事をしながら英語でスピーチやミーティングが行われた。
卒業年代は違っていても、お互いカイロプラクティックを最高の職業とし、誇りを持っているため話にもついつい熱がこもり時が経つのも忘れるくらいだった。

最近は若手のドクターも増え、われわれ年長者との話題も少しずつ食い違ってはきたが、同じ志を持ち苦労をして留学生活を送った経験から先輩・後輩に問わずお互い気持ちに合い通じるものがあった。留学前は先人から「若いときに苦労した者が必ず後になって実を結ぶので目的のため頑張りなさい」と周りの年長者からアドバイスされたことが、後の私の人生を素晴らしいものにしてくれたようだ。今となれば留学生活は2度と経験できない思い出である。参加した全員も同じ気持ちではないだろうか。
会の終りに全員で記念写真を撮り、お互い握手やハグをして別れた。久しぶりの楽しい集いに満足した夜であった。

Drの四方山日記(331)

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330.jpg 2年前、東京・世田谷区の小田急沿線にある祖師ケ谷大蔵駅に地域おこしの一環として、3つの商店街が一緒になって『ウルトラマン商店街』をつくった。
以前(2006年9月6日の四方山日記124)にもこの商店街のことについて紹介したことがあるが、あれから発足2年、町はどう変わったのか。

先ず駅を降りて改札口を出ると、各電柱にウルトラマンやウルトラセブンと怪獣たちの大きなポスターが貼られ、駅の右手には地球儀の上に立つ約4メートルのウルトラマン像が訪れる客を迎えてくれる。
また西、南、北 の商店街の入り口には空飛ぶウルトラマンジャックがアーチに取り付けられ、いやおうなしにウルトラマンの町を印象付けている。
もともとは区職員が“地域おこし”のため思いついたものだ。それが都の「地域連帯型モデル商店街事業」に指定され、今では都や区から補助金が交付されるようになったという。

330b.jpgこの商店街は飲食店を除き160商店が立ち並び活気ある雰囲気を作っている。私も毎日のウォーキングコースなのでこの商店街を通り抜けているが、両側の街灯の力強いウルトラマンの絵が描かれた旗を一つ一つ数えながら進んでいるので、毎日軽やかに足が動く。
ウルトラマン商店街として発足して2年経ったが、今では週末は親子連れや、隣の成城からの買い物客に来るようになったようだ。また、イベントも盛んに行われ、ウルトラマンとの握手会には長蛇の子供の行列が出来る。そのせいか、110種類あるウルトラマングッズや、各店舗の売り上げが2倍以上になり、町おこしとしては大成功であるようだ。

日本全国を見ても小売商中心の商店街はさびれ、人が集まらなくなってきている。この商店街のように漫画のキャラクターやテレビ・映画の主人公の名前を使った通りをつくって地域活性の一環となれば、地元民のみならず訪れる人を楽しませてくれるのではないだろうか。やはり、ウルトラマンは強かった。

参考資料:毎日新聞 小田急沿線生活情報 世田谷区ホームページ より

Drの四方山日記(330)

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329.jpg 21日、テレビやラジオで住民税の増税及び所得税の減税が発表された。
しかしその説明は我々国民には分かりづらく、一体何がどう減税して何がどう増税するのかまったく分からない状況である。なぜもっと国民に分かりやすく解説し理解を得ないのか納得いかない。せっかく国民投票なるものを採決したのだから憲法改正のみならず、増減税についても国民に問うべきである。
どうも最近の国の行政をみていると政治家個々人と、安倍内閣の手法そのものに問題点が多いようである。今回の増減税に関しては年金問題(年金記録漏れ)やコムスンの不正申請問題よりも国民にとっては大変重要な問題である。なぜなら“暮らしに直撃の負担”を生じるからである。安倍内閣は6月から定率減税の廃止による住民税の増税を強行しようとしている。どうも小泉前内閣の強引なやり方に似てきたように思えてならない。もちろん当時の内閣の官房長官であったのだから前小泉首相の手法を真似てもおかしくない。いいことは継承してもいいが、国民にとって不利益なことについてはきちっと委員会などで審議して国会に提出して欲しいものである。

今回の住民税増税には税源移譲の影響もあって国民の多くは約2倍に跳ね上がる。高齢者にとっては4倍近くにもなるという。一体どう暮らしを立てていけばいいのか途方にくれる。このままではいわゆるワーキングプアや貧困の拡大がますます生じてくる。特に今回の住民税増税の裏には所得税の相殺を交換条件にして国民を欺いている。増してや今回の住民税の増税の道筋を開いたのは公明党だという。今問題になっている介護保険も同じである。どうも自民党は責任政党でありながらいつもパートナーを組んでいる少数政党の意見を通すにはいろいろな政治的意図があるように思えるのは私だけだろうか。今年は国民年金保険料の値上げを実施し、健康保険料も高くなっている。このままでは参議院選挙が行われる頃にはガゾリンもおそらく高くなることが想定される。しかし自民党はそれも計算しつくして参議院で負けて次の衆議院では負けないという自負があるようだ。安倍内閣が発足したときに高々と掲げた『美しい国』は我々国民にとっては『暮らしづらい国』である。

Drの四方山日記(329)

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328.jpg 自分の夢を追いかけてアメリカ大リーグ入りしたオールドルーキー桑田真澄投手が初めて勝ちゲームに抑えとして登板した。
過去の2試合は負けゲームだったが、今回はれっきとしたチームの勝利に貢献した試合である。喜びもひとしおだったせいか、ベンチでガッツポーズをしたしぐさを見てもいかに嬉しかったかが伺える。今や日本人メジャーリーガー(31人)はたくさんいるが、桑田のように日本で実績(173勝)を上げた選手が原点に戻ってマイナーから挑戦し、メジャー昇格を勝ち取った姿は今後の日本人選手の模範になるのではないだろうか。巨人を退団した時はもはや野球界から去ると思われたが、彼には夢があった。
アメリカ大リーグのマウンドで投げたいという願いが強く、何度となく怪我をしてもその気持ちを念じ続け、夢を一つの形とした。そのせいかこの試合では対戦相手である大打者イチローをもうならせた。
イチローは「すごく力が抜けている。がむしゃらな感じがない」「僕らが勝つためにあそこで桑田さんを打たなくてはいけなかったが、その反面ちょっと抑えて欲しい気持ちもあった」と素直な気持ちをコメントしていた。
何しろイチローが小学校4年生の時に、桑田はPL学園の1年生投手として甲子園のアイドルだった。イチローにとって桑田はいわば伝説的存在である。過去においてもイチローと桑田は日本シリーズで一度も対戦したことがない。今回対決するのを楽しみにしていたようだが、桑田の力投でイチローの前の選手をぴしゃりと抑えたので実現しなかった。
確かに「イチロー対松坂」ほどの注目度はないが、違った意味で注目の顔合わせであることは間違いない。それだけ野球界では存在ある選手である。そのせいか地元ピッツバーグでは近郊に住む日本人約2000名が集まり、桑田選手のためのファンクラブつくるという。まさにファンの声援あっての野球選手である。もっともっと活躍し40歳でもこれだけできるということを、日本のみならずアメリカ国民にも見せて欲しいものである。更なる飛躍を期待したいものだ。
参考資料:産経新聞 サンケイスポーツ

Drの四方山日記(328)

K16.jpg ある新聞で信仰上の理由で輸血を拒否したため、帝王切開の手術中に大量出血し輸血を受けないまま死亡したという記事があった。過去にも何度となく宗教上の理由から輸血拒否で亡くなった問題がある。
この輸血拒否による惨事は、今や世界各国で起きており現代社会においての輸血の問題は人道上あるいは救済上などで非常に難しく、何を尊重し何を優先するかは法律での解決は難しい。
古代、中世では、血液の問題は民族間のつながりを最も強く意味するものであり、他と交わることを拒否し続けてきた。それが近代社会に入り医学の進歩、発達のためには輸血は患者を救命する上で最優先され、それを行うことで命の復活を遂げてきた。

我が国では1952年に最初に輸血医療の指針ができ、医師および歯科医師による「輸血に関して医師または歯科医師の準拠すべき基準」ということになり、37年間改定されずに今日まで引き継がれてきた。
その間、輸血の理論を学ぶ機会も少なく「出たら入れる」という認識がまかり通ってきた。しかし、輸血行為は全国いたるところで行われていてそれが強いてあげれば新しい輸血療法への脱皮の足かせになっていると言えなくもない。
確かに輸血検査の進歩などは目覚しいが、輸血後の副作用や感染症が避けられないのも事実である。今回の宗教団体もこの分野を焦点に輸血拒否を行っているようである。
人間の尊厳を重んじて輸血をすべきか、はたまた輸血を避けるべきかは、最終的局面に達しないと決断できない状況にあるようだ。

K16b.jpg普通の人間の血液の総量は体重のおよそ8%と言われ体重60kgの人ならば約5リットル程度である。それがどの程度出血したら人間の命を絶ってしまうのかというと、出血前の健康状態・性別・体重・出血の出方によって異なり一概には言えないが、およそ全血量の30?40%と言われている。それから計算すると体重60kgの人で1500?2000ミリリットルの出血があると、当然失血死してしまう。
今回のように、帝王切開の手術中に大量出血した場合、輸血は当然必要になるし、それを拒否した場合死を招くことは明白だ。
法律上は本人の同意書か親族の同意書があれば問題は生じないが、医師として瀕死の患者さんを見殺しにした思いではないだろうか。この問題は当然続くだろうし、どこかで決着をつけないと必ずといっていい位、同じ惨事が起きるのは明白である。早く解決して欲しいものである。
参考資料:岩手医科大学臨床検査医学 Jehovah’s Witnesses Press Club 毎日新聞

健康コラム

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327.jpg 最近、どうも20?30歳代以下の人達に元気がないように思う。特に女性より男性がそうである。
私の若い頃の20代は、大半を学生として過しただけに勉強で精一杯であったが、元気だけはあった。30代に至っては仕事、レジャー、趣味は一通りこなし、毎日張り切っていたものである。
しかし、このところの若者を見るとどうも生気がなく活気がないように思う。それを見越したかどうか分からないが、今度お笑いの「よしもと」が“漫画界に殴り込みや”と、「ワニブックス」と共同出資して出版会社を設立した。


その創刊号が来月19日に異色のコミック誌として販売されるという。そこには今人気絶頂の島田伸助、関西落語会の看板・桂三枝、若者に人気の千原ジュニア、漫才の次長課長などが登場するという。この雑誌は20代?40代をターゲットに25万部を月2回書店やコンビニなどで販売するという。
ユニークなのが雑誌にとどまらず映画界にも進出し、短編映画(30分)として人気お笑い芸人が監督・主演するらしい。時代に乗った商法で延び続ける「よしもと」が、今度20?30代を対象にもっともっと笑いを元に元気になってもらおうと大金を投入して大プロジェクト行う。非常にいいことである。

このところ、出版界もちょっと下降気味で不振を極めているときだけに、お笑いとの結合は業界に活気を与えてくれるのではないだろうか。時代は日々変化している。以前、80年代にも同じような状況があったが、どちらかの協力で乗り切っていた。歴史はまさに繰り返すようである。
参考資料:読売新聞 スポニチ 朝日新聞

Drの四方山日記(327)

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326.jpg 土曜日、仕事を終えて東京都営地下鉄・大江戸線に飛び乗り、田舎の友人たちが待つ月島へ向かった。
新宿から10駅目の月島に到着した。地下鉄から地上へあがると西仲通り商店街、通称「もんじゃストリート」に出た。古くて新しい街といわれる月島はもんじゃ焼き屋さんが数多くある町として、東京のみならず全国に知られている。
この町は隅田川河口の中洲を埋め立ててできた街で、数多くのもんじゃ焼き屋さんが軒を連ねており以前は75軒あったといわれる店も徐々に減り、現在は59軒になったという。

 もんじゃ焼きの歴史は1819年頃、江戸にこれに類するものを食したものが最初らしい。焼くときにタネで文字を書いて楽しんだことから「文字焼き」といわれ、それがもんじゃ焼きになったらしい。東京では台東区浅草近辺が発祥地と言われている。しかし、それ以前に群馬県東部、栃木県南部、埼玉県東部、特に群馬県で地元の特産であるうどんを作ったときに、あまりのうどん粉を水で溶いて焼いたのが起源であるようだ。もちろん、地域によって混ぜるものや隠し味はそれぞれ違うらしいが、基本である土手を作ってタネの水分を入れ、それを混ぜて外部はパリッとし中はとろっとした方法は同じらしい。地方によっては「ぼったら」という名称で親しまれているところもあるという。

今回は連なるもんじゃ焼き屋さんでも、老舗として有名なで海鮮もんじゃの「けい」を訪ねた。ここは旬の魚介・鉄板用海老・明太子・いか・たこ・ホタテ・カニに、キャベツやねぎ・コーンが入ったボリュームたっぷりのもんじゃが有名である。コースで頼んだせいか次から次ともんじゃやホタテの鉄板焼き・焼きそばなどが出てきて、最後が、この店の自慢のアイスクリーム入りシューアイスで終了した。帰る時はみんなお腹をかかえて立つのがやっとだった。もんじゃには海鮮もんじゃ・ステーキもんじゃ・魚介もんじゃ・クリームもんじゃ・あげくの果てにはチゲ鍋風もんじゃまであるという。まさに、下町を彷彿とさせる魅力を持つのが月島である。毎回東京近郊を田舎の気の合った仲間で散策したり食べ歩きしたりするのが唯一の楽しみである。さて、次回はどこへ訪ねるか今から楽しみである。
参考資料:フリー百科事典 いらっしゃい!「月島」より

Drの四方山日記(326)

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325.jpg 2007年初めのユニークビジター(重複しない訪問者)数が世界で7億4700万人に上り、前年度と比べ10%も増加しているという。その中でもインドやロシア・中国などの増加が著しく、国別のビジター数を見ると米国のネット人口が1億6575万人、中国が9500万人、そして日本は8000万人、次いでドイツ・英国と続く。ユーザー一人当たりのインターネット接続時間が最も長いのはカナダで、月間39.6時間、2位がイスラエルの37.4時間、3位が韓国34時間、そして米国の31.6時間と続く。


サイト所有企業別のユニークビジター数ランキングは1位がMicrosoftのサイトで5億1000万人、2位がGoogleで5億200万人、そして3位がYahoo!4億6800万人であるという。

インターネットはどうして作られ発展していったかは意外と私を含めて知らない人が多いと思うので簡単にまとめてみた。
インターネットの歴史は1961年米国のユタ州で3つの電話中継地が何者かに爆破されアメリカの国防回線が停止したことをきっかけに核戦争にも耐えうる通信システムの研究として始まる。
1964年電信システムから情報をパケット化する分散型通信、そして1969年にIMPが開始する。1970?1980年ARPANET,USENET,CSNETなどのネットワークが誕生。1990年全米のNetworkが接続されてインターネットの通信網が形成された。
1992年スイスでインターネットに繋がるサーバーのディスクにある文面が簡単に閲覧、転送のリンクが可能になった。(URL,HTML,HTTPが考案される)また自作プログラムであるWorld Wide Web(WWW)が開発された。1993年WWW閲覧プログラム「モザイク」を作られ画像表示も可能になった。1995年マイクロソフト社がインターネット・エクスプローラーを開発しWindows95が完成、日本でもブームになる。
1997年、日本のパソコン保有台数はアメリカに次ぐ第2位の73万台になりドイツ・イギリス・カナダを抜いた。
1998年日本のインターネット人口が1000万人を突破。それが2007年の今年は8000万人を越えた。また、ブロードバンド(ADSL以上)の世帯普及率も50%を超えてきた。それに伴いインターネットによる“ネット中毒”も3割を超えたという。

現在はインターネットユーザーもモバイルが普及し、ノートPC・PDA(電子手帳くらいの大きさのもの)・携帯電話に分かれ、最近ではPDAと携帯電話が1つになってきた。果たして日本のみならず世界のインターネットの台数はどこまで延びるのか。また新たなインターネット機器が登場するか。我々の年代には全く見当がつかない。

参考資料:インターネットの歴史 オリコン 世界のデジタル・デバイド より

Drの四方山日記(325)

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324.jpg どうも日本は平和であるようだ。なんとトイレットペーパーが黒、赤、オレンジ、グリーンといったカラフルなロールが15日販売されたのだ。

ちょっと前には一箱1500円と言う超高級ティッシュが販売され話題を呼んだ。それが今度は同じ紙でもトイレットペーパーというのがいかにもユニークである。このトイレットペーパーは2005年ポルトガルの製紙メーカー『Renova(レノヴァ)』社によって製造販売されたものだ。最初は黒いトイレットロールのみであったが、ヨーロッパの富裕層で話題になりあっという間にヒット商品になった。その後さらに三種類のカラーが販売され、今日までロングセラーを続けているという。

現在はヨーロッパにとどまらずアメリカ・オーストラリア・あるいは世界のセレブの集まるドバイなどで販売されているという。そのカラートイレットペーパーがいよいよ日本に初上陸し発売されるという。日本国内は毎日のように犯罪や不祥事など問題が多発し世の中が殺伐としている中、こういう商品が出るのも皮肉なものだ。我々団塊の世代はトイレットペーパーを使い出したのが確か小学校高学年くらいだったと記憶している。
それも今みたいに質が良くなく、引っ張ればすぐに切れてしまい苛々したのを今でも覚えている。今はトイレットペーパーの質もよく環境配慮型の古紙トイレットペーパーが主流を占めているが、今回のようなカラフルなトイレットペーパーをたまに使うのも気持ちを入れ替えるのにはいいのではないか。私も一度は使ってみたい。
参考資料:オリコンHP より

Drの四方山日記(324)

W13.jpg テレビのコマーシャルやユニークな勉強システムで急成長していたNOVAが、特定商取引法違反をしたとして経済産業省に一部業務停止命令を下された。2002年には東京都から既に行政指導を受けていたが一向に改善せず、逆に営業トークを巧みに使い業績を上げていった結果だ。利用者や国民生活センターからNOVAに対して苦情や不満の声が多く寄せられ、社会問題として発展していった。


NOVAは1990年、駅前留学サービスを業務として株式会社ノヴァとして設立。
92年こども英会話をスタート。95年現在の株式会社NOVAに社名を変更。その頃からNOVAうさぎを使ったテレビコマーシャルで人気を博し、若者、サラリーマンおよび子供たちにうけ、一種の社会現象を起こした。その後97年テレビ電話を使ってのお茶の間留学をスタート。2003年には関西電力グループと業務提携し、光ファイバーによるお茶の間留学を開始。まさに日の出の勢いの急成長だった。
現在国内に約1000店舗、昨年からは台湾に1店、今年は中国にも展開していくという。会社には企業理念というものがあり、NOVAの場合も「いかに良いレッスンを」「いかに安く、長く」「一人でも多くの人に」などである。
今問題になっているコムスンもしっかりした企業理念がありながら、実際は全く正反対のことをやろうとしていたところに問題があるように思えてならない。

W13b.jpg急成長する企業も創業当時は社会のため、会社のため、家族のためをうたい文句に一生懸命業務に励むがいつの間にか商業ベースに乗っけられ、企業理念とは程遠いものになっていくようだ。それが社会通念違反になったり、行政指導を受けたり、挙句の果てに法律を犯すことになっていく。いつの世にも人の弱みに付け込んでうまい汁を吸う人間はたくさんいる。詐欺を働く人ほど世間の流れに敏感で、あっという間に儲け話をつくるというのがセオリーのようだ。今回のNOVAの一件では、純粋に外国語を勉強しようとする人達の心をずたずたにしたことには変わりないようだ。“欲張らず、少なからず、ちょうどいいあんばい”がいいのは世の中の理想であるが、いかにせん人間は欲の塊でありもっともっと欲しくなるのが常であるようだ。
参考資料:産経新聞 フリー百科事典 NOVAホームページ より

話題シリーズ(13)

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323.jpg 今、日本の企業を騒がせている人物がいる。
一寸前ならライブドアの堀江貴文氏、村上ファンドの村上世彰氏、ソフトバンクの孫正義氏などが注目されたが、それよりも大物が登場してきた。それも“顔のない投資家”としてメディアには今までほとんど顔を出さないことで有名だった。その人の名は米国のスティール・パートナーズのウォレン・リヒテンシュタイン代表である。

この投資家はニューヨーク・ウォール街で働き、1993年投資ファンドのスティール・パートナーズを設立し、軍事、医療、農業部門の理事を務める傍ら、日本企業買収に力を入れている人物である。以前、NHKで『ハゲタカ』というドラマが放送されたことがある。M&A(Mergers and Acquisitions:企業の合併・買収)を主題にしたドラマで、米国投資家が直接日本企業の合併・買収、いわゆる「企業提携」を行うというストーリーであった。それを地でいっているのがリヒテンシュタイン氏である。
しかし、ドラマと違い現実は厳しく日本企業の買収防衛策によって抵抗されている状況である。それに堪り兼ねた“顔のない投資家”が急きょ記者会見を開いた。その言い草がいい。「投資家を教育したい」「我々は経営陣を助けに来た」「経営陣に任せる」「日本を啓蒙したい」などと述べ、日本企業の理解を得るにはほど遠い会見であった。
ある経済評論家もリヒテンシュタイン氏の会見には半ば首をかしげている。現経営陣を信頼するとしながらも何の通告もなしにTOBを始め、経営する能力もないのに100%株を収得して利益を得る方法にはどうも我々日本人は理解しがたい。日本には日本のルールがあり、アメリカ手法が全て日本に通じるとはいかないのである。いみじくもこの日に同じ投資ファンドの村上氏の公判が行われたのも、何か因果めいたものを感じる。確かに株式会社は社員や経営者のためのものではなく株主のものであることには間違いないが、ただ、健全な方法で経営して欲しいものである。
参考資料:産経新聞 より

Drの四方山日記(323)

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322.jpg あと2日で関東も梅雨入りすると気象庁が発表した。
通常ならばもうすでに沖縄・九州が梅雨入りしているのだが、梅雨前線が南西諸島付近で停滞していてなかなか北上する気配がないらしい。
中国地方もやはり梅雨入りが遅れ、梅雨前線による雨は14?15日ごろまで見込めないらしく、過去20年間で最も遅れているようだ。このままでは空梅雨で1994年の大渇水の再来になるのではないかと心配されているようだ。

 なぜ例年のように南西である沖縄・九州・中国・関西と梅雨が明けてこないのか。どうもそれはエルニーニョ現象とラニーニャが影響しているようだ。エルニーニョ現象とは太平洋赤道域の中央部(日付変更線付近)から南米沿岸にかけての広い海域で海面水温が平年に比べて高い状態が一年ほど続く現象をいう。それに対して同じ海域で海面水温が平年より低い状態をラニーニャ現象という。
この2つの現象によって梅雨入り、梅雨明けの時期、猛暑、冷夏が決まるようだ。今、南米ペルー沖のラニーニャ現象によって6月?8月にかけて太平洋高気圧が強くなり、梅雨前線を北に押し上げる傾向にあり梅雨に入ってからの降水量が少ないため、梅雨明けが平年より早まり、太平洋の西側で水温が高くなるため水蒸気が発生して梅雨前線が活発になる。日本付近では夏場に太平洋高気圧の勢力が強まり、それに伴って晴天が続いて雨が少なく、猛暑になるようだ。そのため夏場は渇水になるため、水不足から農作物に影響がでそうである。また全国の水がめが減少するのが怖い。そのためにも国民の節水意識が必要になると気象関係者が述べている。
参考資料:気象庁 時事通信 四国新聞社 読売新聞 より

Drの四方山日記(322)

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321.jpg 4月7日から5月12日までNHKで放送されていた土曜ドラマ『病院のチカラ』をDVDに撮っていたものを、この土日の2日間で全6話を観た。以前同じNHKドラマ『ハゲタカ』や『ウォーカーズ』を観て感動したことを覚えている。今回は今、医療過誤や院内感染、医療倫理など日本社会で問題になっている現代医療、特に「地域医療」の現場においての医師としての責任感やモラル、患者さんとのコミュニケーション、大都市と地方病院の格差を一人の女性医師が傷つきながら体験し、その中から医師としての苦しみ、素晴らしさ、心のふれあいを体で感じながら医者として成長していく姿に感動し、私自身の医療への取り組み方に何か1つの光を与えてくれたドラマであった。

以前は医師や弁護士の仕事は最高の職業であり、社会から尊敬の目で見られていた。しかし、現実は厳しく、弁護士の世界はあまり知らないが、医療の世界は私自身が現場で診療し、直接患者さんと接する立場にあるので、ドラマと言えども考えさせられる面が多かった。中でも主人公の女医さんが若い女性の入院患者に約束している言葉が素晴らしかった。「私、そんな立派な先生ではないの。患者さんを救えないことに傷ついてばかりいた。そんな弱いお医者さんなの」と語り、最後に「私も本当の医者になる。救えなくて傷ついたから医者をやるのではない。患者さんを救うことを喜ぶために医者をやる。本当の医者に私なるから!!」と患者さんに約束しているシーンに何か目に潤むものがあった。
そしてこの海岸病院の院長の「今日を出しきるから明日がくる」という言葉がすべてを物語っている。日本の医療関係者もこの物語に出てくる医師たちのように真剣に患者さんと向き合い、医学の父ヒポクラテスが教える本当の医療を実践して欲しいものである。
参考資料:NHKドラマ 病院のチカラ より

Drの四方山日記(321)

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320.jpg 最近テレビ、新聞、雑誌などマスメディアで頻繁に使われているものに“○○王子”という言葉がある。「ハンカチ王子」、「ハニカミ王子」、果ては「ぽっちゃり王子」というのまで出てきて世間は大騒ぎしているようだ。もともとは今年の夏の高校野球甲子園大会で優勝した東京・早稲田実業のエース斉藤祐樹投手が、試合中に汗を拭くため青いハンカチを取り出したのが最初である。それもクールな顔で汗をぬぐったことから、マスコミは「ハンカチ王子」と命名した。それが“祐ちゃんフィーバー”として未だ人気を博している。高校時代の最後の試合であった兵庫国体では、高砂市野球場の最後の試合で投げた際、投球の合間に高砂染によるハンカチを使用したことから、なんとこの球場が「ハンカチ・メモリアル・スタジアム」の愛称がつけられた。まさに、球場と高砂染の知名度アップの便乗商法と言わざるを得ない。これくらいならばまだ許されるが、今度国内の男子プロゴルフツアーで史上最年少の15歳で優勝した石川遼選手に、またまた「ハニカミ王子」なるものをつけ騒動になっている。この彗星のごとく現れたヒーローにテレビ局やパパラッチ、あるいは将来のプロ入りを見据えてクラブメーカー数社が“ハニカミ詣”と称して追いかけ、フィーバーもまさにヒートアップしている。そこに更にゴルフの東北アマチュア選手権で首位に1打差の2位に入った古田幸希君に「ぽっちゃり王子」なるものを命名した。確かに斉藤投手のように実力を徐々につけ、誰しもが認める選手に命名することは良いだろうが、何も一試合で優勝したからと言って、マスコミが安易に同じようなニックネームをつけることはいかがなものか。あまりにも騒ぎ過ぎ、せっかくの良い素質を持った若者をつぶすことはゴルフ界のみならずスポーツ界としても損失ではないだろうか。過去にもアメリカやヨーロッパなどで同じように若い有望な選手がマスコミによってつぶされた例がいっぱいある。斉藤投手、石川選手、古田選手などがその二の舞にならなければ良いがと願うばかりである。もっと実力をつけてから愛称やニックネームをつける方が良いのではないだろうか。
参考資料:日刊スポーツ スポーツ報知 より

Drの四方山日記(320)

W12.jpg 米国第2位のバーガーキングが、今日東京・新宿に第1号店をオープンした。以前1993年に西武鉄道グループと組み店舗展開を開始し、その後96年に日本たばこ産業と合弁会社を設立し店舗運営を行ったが、マクドナルドの安売り競争の中で価格の高いバーガーキングは売り上げが伸びず2000年に撤退した。そのバーガーキングが再度日本一のハンバーガー市場である新宿に乗り込むという。


前回の失敗を教訓にし、誰にでも愛される商品作りを目指すという。その1つが今回の目玉である“とてつもなく大きい”「WHOPPER(ワッパー)」を日本人向けに「WHOPPER Teriyaki(テリヤキワッパー)」を販売するという。バーガーキングの特徴はしゃきしゃきレタス・完熟トマト・直火焼きビーフをサンドした口当たりのいいバーガーで私が米国留学時代よく食べたものだ。どちらかと言えばマクドナルドよりお世話になったかもしれない。その美味しいハンバーガーに国産のしょう油や生姜で味付けした日本限定商品として売り出すという。これは米国ンバーガーキングとしては異例のことである。

今回の進出に際して、ロッテリアを再生させたリヴァンプと契約を結び共同出資して事業を行うという。リヴァンプはあの「ユニクロ」の社長を務めた玉塚氏と副社長沢田氏が起こした会社で、今話題の「クリスピー・クリーム・ドーナツ」を日本一行列のできる人気店にした人物で、一時不振だった「ロッテリア」の再生に成功した会社だ。その実績をかわれて今回の登場となった。今までは半ばマクドナルドの1人勝ちであったが、バーガーキングの参戦により、不振であるモスバーガーも初の割引クーポン配布や24時間営業店拡充など、まさになりふり構わぬ追撃に出た。果たして日本のハンバーガー王であるマクドナルドの一角を崩せるのか楽しみである。
参考資料:FujiSankei Business i iza 新宿経済新聞 より

話題シリーズ(12)

S46.jpg 今、世間で問題になっているものに、年金問題と介護事業のコムスン問題がある。
年金については国側の問題であるため、今回は民間企業の悪徳業者が絡むコムスン問題を取り上げることにした。

 “コムスンといえば介護サービス”と言われるくらいコムスンという名は全国に浸透し、今や介護のエキスパートと言われるくらい成長した企業である。そのコムスンが雇っていないホームヘルパーを働いていると称して、嘘の申請をして事業所指定を不正に取得していたと厚生労働省に指摘され、新規指定・更新を認めない方針を決めたというもの。
コムスンは1988年北九州市にて日本で最初の介護事業として創業された。その後、在宅介護・入浴サービス・夜間巡回介護などを手がけ、1996年には当時の厚生省から訪問介護員養成研修機関の認定を受けた。いわば介護事業の先駆けとして国民の信頼を受けた。そこに目をつけたのが人材派遣会社グッドウィルグループ(GWG)である。資本参加しコムスンを関連会社とし、その後GWGが介護事業のチェーン化を狙いわずか数年で急激な成長を遂げた。
この会社の会長である折口雅博氏は、90年代前半に当時若者に人気のあったディスコを全国的に有名にした“ジュリアナ東京”を経営し大成功を収めた人物である。その折口会長は介護事業に資本参加した時に次のようにコメントしている。「ディスコも介護もいかに喜んでいただくかという意味で考え方は同じである」と話していた。それを裏付けるように、コムスン事業は当初は「1人でも多くの高齢者の尊厳を守りお客様第一主義に徹する。明るい笑顔、愛する心、感謝の気持ちを大切にする、真心を持って介護サービスを心掛ける」を企業理念として資本参加する前の精神を継続していたが、いかにせんベンチャー企業の申し子とも言える折口氏にとっては、ビジネス最優先にならざるを得なかったようだ。
その結果、東京、岡山、青森、群馬、兵庫の5都県8ヶ所において訪問介護の虚偽申請を行い、厚労省の行政処分対象になった。

ともかくGWGのしたたかさは並大抵のものではなく、社会福祉事業の一端である介護をビジネスチャンスと考えていたらしく、国の行政処分が来る前にコムスンの全事業をGWGの子会社に譲渡し処分逃れをしたほどであった。まさに行政側は後手に回った格好だ。

何よりも現在コムスンに頼る人達は全国に6万5000人いると言う。その人達に今まで以上のサービスを提供させることは大変なことである。高齢者にとっては死活問題である。数年前まで私の妻の両親がコムスンの世話になり、当時大変な恩恵を受けた。何しろ親切で明るかったことを今でも覚えている。以前の精神にのっとった介護事業を今後も継続して欲しいと全国の高齢者の方々は祈っているのではないだろうか。
参考資料:産経新聞 フリー百科事典 読売新聞 より

世相シリーズ(46)

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319.jpg 夜、テレビを観ていたら爽やかなニュースが流れていた。
それは東京・昭島市にある健康ランドで生まれたカルガモの赤ちゃん9羽が、母鳥と一緒に敷地内にある露天風呂ですくすくと育っているという内容であった。それも貸し切り状態で露天風呂には一般利用者の利用を中止し、カルガモ親子のために仲むつまじく子育てする様子を利用客が温かい目で見守っているというものである。

4月の中旬、健康ランドの清掃員が露天風呂の植え込みに1羽のメスのカルガモが卵を温めているのを見つけた。当初は平常通り営業を続けていたが、しばらくして11羽のひなたちが孵化した。しかし、興味本位の利用客が孵化したひなを捕まえようとしたため、11羽いたひなが9羽に減ってしまった。
そこでやむを得ず支配人が露天風呂の利用を急きょ中止した。さらにひなたちが無事育つように、風呂の温度を通常の40℃から36℃まで下げるなどの対策を講じた。その甲斐あってひなたちはすくすくと育っているようである。この健康ランドでは巣立つまでの1ヶ月をカルガモの親子のために貸し切り状態にして温かく見守っていくという。

世の中に赤ん坊を捨てたり子供を殺したりしたりする悲惨な事件が多い中、カルガモの母鳥のように親が一生懸命子育てする姿を人間も見習わなければいけないのではないだろうか。人間より動物の方がよっぽど利口だと改めて感じさせられた。
参考資料:産経新聞 癒しのニュースたち

スパ昭島ホームページ
かるがも日記

Drの四方山日記(319)

K15.jpg 人間の記憶の仕組みは不思議なものである。なぜなら知る前と知った後ではその人自身が違ってくるからだ。つまり、ものを知るということは自分自身が変わることである。もっと分かりやすく言うと、新しいことを記憶することは“脳が変わる”ことを意味する。人間の脳には神経細胞が1000億個以上あるといわれている。新しいことを記憶するとき、脳の中の何かが変化してくる。つまり、神経細胞の状態が変化すること。ただし、神経細胞の数は歳をとるごとに減少していくので、神経細胞を増やさせて新しい記憶をつくることは不可能である。では、記憶は脳のどこの場所によってコントロールされているのか。それは『海馬』というところで構成されている。海馬でつくられた記憶は過去の記憶と神経ネットワークでつながり、必要であると判断されれば側頭葉の大脳皮質に移行して貯蔵される。これが記憶のメカニズムである。

 人間の脳は大切な記憶をすぐに思い出させるために関連する相対的に必要でない記憶を忘れ、脳の活動を効率化しているようだ。では、記憶を強化するにはどうしたらよいか。アメリカの神経学会で先頃報告されたのが記憶に睡眠が関わっているということだ。物覚えが悪い人は睡眠が不十分であるという結果がでた。十分な睡眠をとった人は記憶がはっきりしているようだ。それはドイツの大学でも証明され、人間の脳は深い睡眠中に記憶を反復させ定着させているとみられている。大人は1日7?9時間の睡眠が必要だと訴えている。先進国であればある程十分な睡眠をとっていないのが現状である。アメリカのある大学の研究チームは電子版を通じて発表したのに、物忘れには悪いイメージがつきものである。そのためには頭の中身も整理が必要だと訴えている。確かに睡眠は脳の記憶に強く結びついていることは間違いないようだ。記憶が低下するということはアルツハイマーや認知症になる要素にもつながる。そうならないためにも十分な睡眠が必要だということだ。
参考資料:てんとう虫5月号 iza 時事通信 日経ビジネス

健康コラム

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<研修旅行2日目>
318.jpg翌日3日(日)は早めに起床して全員で朝食の準備をした。
自然の中での食事は格別なようで、普段味わったことのないスタッフたちは生き生きとしていた。私と吉祥寺センター院長はウォーキングを兼ねて散策を楽しんだ。

朝食を終えて全員で食事の後片付けやログハウスの清掃をして、お昼前に軽井沢に向けて出発した。東御市から軽井沢までは車で30分足らずで行ける距離で、私も休養でログハウスに来たときは必ず軽井沢に寄ることにしている。今回も全員軽井沢に行きランチを楽しんだ。ランチは昔の別荘地を思わせる旧軽井沢の一角にある「コクーンガーデン」というレストランで、そこの食材は近くの農家で採れた野菜や肉が中心だ。やはり地元で採れた食物は美味しいと改めて感じた。
次に駅の反対側にある軽井沢プリンスホテルのアウトレットモールに行った。ここで1時間余りを自由行動としてそれぞれショッピングを楽しんだ。
その後、プリンスボールで全員4チームに分けて対抗戦でボウリングをすることにした。これはお互いのチームでの連帯感や全員での規律を養うためのもので、娯楽を兼ねて行った。入賞者はそれぞれ景品が出された。
これが意外とみんなが真剣になり、手の痛くなるのも忘れて夢中で2ゲームを行った。
318b.jpg一路東京に向けて軽井沢を出発した。

今回のログハウスでの研修旅行は一致団結してものを行う、お互いの連帯感を持つ、及び助け合いの精神を養うことにおいては非常に有意義だったのではないかと思う。スタッフ同士強い絆で結ばれていないと、患者さんに最高のもてなしや治療ができないものだと改めて感じた。当センターのモットーは“安心・信頼・勇気”であり、それを遂行するためには「一体感」が必要であるということが今回の研修で改めて強く感じた。

Drの四方山日記(318)

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<研修旅行1日目>
317.jpg 当センタースタッフ全員は2日(土)午前8時45分新宿を出発して、信州にある東御市へ向けて車を走らせた。途中関越道の高坂サービスエリアで一時休息し、関越道から上信越道に入り30分位して佐久インターに到着した。

「峠の釜めし」で有名なおぎのやセンターに立ち寄り、昼食予定であるそば処「やまへい」で美味しい信州そばを堪能して一路保養所のあるログハウスのある奈良原へ。

ここは元々、千曲川を挟んだ東部町と北牧村であったが2004年に合併して東御市となった。あまり知名度はないが小諸市と上田市の中間に位置し、南には蓼科・霧が峰・美ヶ原の遠景が見渡せる。また浅間山も望める立地にある。
当センターのログハウスは標高1.000mくらいの場所にあり、マイナスイオンたっぷりの緑の木々の中に建つ。
到着後スタッフ全員で白樺林の庭でバーベキューをした。
男子は火をおこし、女子は食材を準備した。都会生活慣れしたスタッフにとって、この共同作業は全員の“一体感”を持つのに非常に役立ったと思う。

317b.jpg夕食後、バスで20分くらいのところの日帰り温泉の「湯楽里館」に行き日ごろの疲れをとった。夜は私の講話を1時間くらいスタッフに話し、その後全員でディスカッションを行った。これは、全員が同じ気持ちで行動し一体感を持つためのもので、日常のクリニック業務を円滑にし、患者さんと同じ目線で診療できることを目的とするものだ。
いわゆる「全即一」という考え方である。話の後、全員で娯楽に興じた。私は疲れて早めに寝たが、若いスタッフ達は夜遅くまで楽しんでいたようだ。

Drの四方山日記(317)

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316.jpg 最近、首都圏や大都市に人が集まるようになり、地方特に町村が寂れてきたようである。ところがどっこい地方の中にはいまだ伝統芸能を守りつつ人々が生き続けているところがある。その中でも、福島県南会津郡檜枝岐村は寛政・文化の頃より伝わった伝統芸能『檜枝岐歌舞伎』を200年以上農村歌舞伎として受け継いでいる。この歌舞伎は狭い高冷地に閉鎖され生活苦に喘ぐ村民の唯一の娯楽として、春と秋に神社に奉納されているものだ。

起源は江戸時代、お伊勢参りの村民が上方で見た歌舞伎を忘れられず見よう見まねで伝えられ“桧枝岐芝居”として発展していったものである。現在の座長は9代目で、団員は40名くらい所属しすべて村民で成り立っている。演目はなんと11もあり、その年々で演目を変えて演じられているという。昔から舞殿(まいでん)という場所で行われ、これは鎮守神に向かって建てられている。昔から五穀豊穣、災難除け、戦争の必勝祈願として崇められ、例祭には奉納歌舞伎として使われている。昭和51年国の重要有形民俗文化財に指定され、地元民のみならず観光客も多く訪れるという。ただ、他の歌舞伎の観客席と違い、ギリシャの野外劇場を思わすような石段で、観客席が作られている。3年前には東京国立劇場で民俗芸能公演として、昔のままを再現すべく浄瑠璃語りで演じられたという。

 檜枝岐村は尾瀬の福島県側の玄関口でもあり、近くにはミニ尾瀬公園があり、今の季節は純白の水芭蕉が一面に咲き誇っているという。だんだん地方も少子化と共に人口減少に伴い寂しさを漂わせているが、この地方のように昔から若者によって歌舞伎を受け継がれていることは素晴らしいことである。福島県以外にも地域に息づく伝統地芝居は多く、廃れることなく後世に残して欲しいものである。
参考資料:産経新聞 桧枝岐歌舞伎 より

Drの四方山日記(316)

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