K16.jpg ある新聞で信仰上の理由で輸血を拒否したため、帝王切開の手術中に大量出血し輸血を受けないまま死亡したという記事があった。過去にも何度となく宗教上の理由から輸血拒否で亡くなった問題がある。
この輸血拒否による惨事は、今や世界各国で起きており現代社会においての輸血の問題は人道上あるいは救済上などで非常に難しく、何を尊重し何を優先するかは法律での解決は難しい。
古代、中世では、血液の問題は民族間のつながりを最も強く意味するものであり、他と交わることを拒否し続けてきた。それが近代社会に入り医学の進歩、発達のためには輸血は患者を救命する上で最優先され、それを行うことで命の復活を遂げてきた。

我が国では1952年に最初に輸血医療の指針ができ、医師および歯科医師による「輸血に関して医師または歯科医師の準拠すべき基準」ということになり、37年間改定されずに今日まで引き継がれてきた。
その間、輸血の理論を学ぶ機会も少なく「出たら入れる」という認識がまかり通ってきた。しかし、輸血行為は全国いたるところで行われていてそれが強いてあげれば新しい輸血療法への脱皮の足かせになっていると言えなくもない。
確かに輸血検査の進歩などは目覚しいが、輸血後の副作用や感染症が避けられないのも事実である。今回の宗教団体もこの分野を焦点に輸血拒否を行っているようである。
人間の尊厳を重んじて輸血をすべきか、はたまた輸血を避けるべきかは、最終的局面に達しないと決断できない状況にあるようだ。

K16b.jpg普通の人間の血液の総量は体重のおよそ8%と言われ体重60kgの人ならば約5リットル程度である。それがどの程度出血したら人間の命を絶ってしまうのかというと、出血前の健康状態・性別・体重・出血の出方によって異なり一概には言えないが、およそ全血量の30?40%と言われている。それから計算すると体重60kgの人で1500?2000ミリリットルの出血があると、当然失血死してしまう。
今回のように、帝王切開の手術中に大量出血した場合、輸血は当然必要になるし、それを拒否した場合死を招くことは明白だ。
法律上は本人の同意書か親族の同意書があれば問題は生じないが、医師として瀕死の患者さんを見殺しにした思いではないだろうか。この問題は当然続くだろうし、どこかで決着をつけないと必ずといっていい位、同じ惨事が起きるのは明白である。早く解決して欲しいものである。
参考資料:岩手医科大学臨床検査医学 Jehovah’s Witnesses Press Club 毎日新聞

健康コラム

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