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愛知県出身である琴光喜がご当地名古屋場所で素晴らしい成績を上げ大関に推挙されることになった。
琴光喜は社会人相撲部の監督だった父の指導で小学生から相撲を始め、中学では彼に相手をするものがいないほど強くなり、高校に進学してから2年生で高校横綱となり、さらに日本大学へ進学しアマ横綱・学生横綱など史上2位の27タイトルを獲得した。卒業後は鳴り物入りで佐渡が嶽部屋に入門した。
1999年春場所、幕下付け出しで初土俵、以後負け越し知らずで、2000年初土俵から8場所目で入幕するという異例の出世を果たした。しかし、入幕直前の場所で怪我をし全休したが、実力のある琴光喜は再入幕の場所でいきなり13勝2敗という成績を上げ3賞を総なめにした。
これが評価され、前頭九枚目の位置からいきなり小結を飛び越えて関脇に昇進した。
2001年9月場所には再び13勝をあげ初の幕内優勝を果たした。以後、連続3場所素晴らしい成績を上げたにも関わらず、内容が評価されず大関昇進を見送られた。その後の場所で顎を骨折し大関取りは夢と消えた。
さらに怪我が重なって不遇の場所が続き、当時ライバルだった朝青龍(現横綱)にも水をあけられ、上位で安定した成績が続けられず幕内下位まで下がってしまった。誰もがこの時「琴光喜はもうだめだ」と思ったものだ。
しかし、弟弟子で外国人力士の琴欧州が大関に昇進し、それに刺激されその後精進を重ね、関脇で安定する成績を残すも2桁勝利に届かず大関昇進は難しくなっていた。
ところがここ3場所、素晴らしい成績を残しこの名古屋で全勝を続け、かつてのライバル朝青龍に土を付けられたものの、その後連勝し、夢の栄光を自分の手で取り掛かったが、不運にも若手成長株の稀勢の里に破れ優勝を逃した。過去の記憶を思い出し、花道で涙を飲むシーンは土俵を見ていたファンのみならず、視聴者の感動を誘った。
もともと琴光喜の四股名は「光る相撲で観客を喜ばせる」という意味があり、元横綱で親方であった琴桜が「強くなって欲しい、そしてみんなに喜ばれる相撲取りになった欲しい」という熱い思いで付けたという。成績が上がらないときは道路で泥酔しマスコミに叩かれたりして腐った時期もあったが、それを克服して大関に昇進した意気込みは何物にも変えがたい。やはり不屈の精神で立ち上がった琴桜の愛弟子である。もっともっと精進して横綱を目指して欲しい。
参考資料:フリー百科事典 毎日新聞 スポーツニッポン より
Drの四方山日記(349)
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