2007年8月アーカイブ

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378.jpg 29日、米国ホワイトハウスの職員駐車場でブッシュ大統領の側近を務めてきた次席補佐官カール・ローブ氏の愛車で英国のジャガーが、何者かに透明ビニールでぐるぐる巻きにラッピングされたあげく、米国の国鳥である白頭鷲と共和党のシンボルである像のぬいぐるみを貼り付けられるという事件があった。

この駐車場は、よりによって大統領を警護するシークレットサービスが警備する区域で、どうもホワイトハウス関係者による者の仕業でないかとのもっぱらの噂である。
その根拠は、ローブ氏がブッシュ大統領の父親ジョージ・ブッシュ時代に頭角を現し、その手腕を買われて、2000年ブッシュ政権誕生と同時に側近メンバーとなり、選挙戦を仕切る陰の立役者として活躍したが、政権運営に強い影響力から、政権中枢のからむ政治疑惑が発覚し今月の末、辞任を表明していたからだ。
もともとローブ氏は愛車のバンパーに「民主党の大統領候補のバラク・オバマが大好き」という選挙ステッカーを、いわゆるアメリカンジョークで貼っていたが、このことに腹を立てた誰かがイタズラしたのではないかと思われている。

ホワイトハウス付近では「早く辞めて引っ越せ」という意味をこめて、行われた行為ではないかと受け止められている。ただこれはイタズラではなく、あくまでも犯罪だということを、やった本人は認識すべきではないか。日本だとジョークではなく、完全に犯罪である。
もし、ぐるぐる巻きにラッピングするなら、旅行用スーツケース程度にして欲しいものである

参考文献:産経新聞 より

Drの四方山日記(378)

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377.jpg 日本人なら必ずといっていいくらい使う、「使い捨てカイロ」が、発熱時間の表示より3?7時間短いとして、公正取引委員会の景品類および不当表示防止法で「ロッテ健康産業」に対し排除命令が出された。

対象となったのは「ホカロン」「ホカロン貼るタイプ」などの4商品で、通常40℃以上の発熱効果が持続する時間を商品別に(20時間)(14時間)(6時間)(9時間)と表示して販売していた。
しかし実際には、有効期限が近づくと3時間?7時間も持続時間が短くなっていたことが分かった。「ホカロンミニ」タイプは標示が(9時間)なのに、実際わずか2時間というものもあった。

ホカロンの歴史は江戸時代にさかのぼる。
ふところに入れて暖をとるとして火鉢などで加熱した滑石などを布にくるんで温度を調節して使用したのが最初だといわれている。なかには塩と糠を混合して布に包んだ物も使用されたようだ。その後、改良されて木炭末に保温性の強いナスの茎を混ぜたものを通気孔のついた金属容器に入れて、燃焼させるカイロも作られた。

大正末期には、プラチナの触媒作用を使って気化したベンジンをゆっくり酸化・発熱させたものが作られた。それが“ハッキンカイロ”のはじまりである。そして1978年、鉄粉の酸化発熱作用を利用した“使い捨てカイロ”をロッテが「ホカロン」の商品名で販売した。

カイロといえばおじいちゃんおばぁちゃんが湯たんぽ代わりに腰や体の痛いところにいれて温めていたのを子ども心に覚えている。
今は、私も「ホカロン」の愛好者の一人で肩や腰が張ったりすると必ずというくらい使っている。貼ると緊張からくる筋肉の酸欠が改善し、溜まった乳酸が減少して楽になる。
また、簡単に貼れるので非常に便利である。不思議に私が使うときは9時間ではなく丸1日効き目があるように感じる。海外に行くときなどは大量にスーツケースに入れて持って行き、重宝している。
私のように全国にはホカロンの愛好者が沢山いるのだから不正をせず、利用者にとって安心して使えるものを作って欲しいと願うばかりである。
参考資料:フリー百科事典 読売新聞 時事通信社 より

Drの四方山日記(377)

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376.jpg 昨年ごろより、『ネットカフェ難民』なる造語がテレビ、ラジオ等マスコミで聞かれるようになってきた。『ネットカフェ難民』とはいわゆる“ホームレス”の一種で、定住する住居を所有せず寝泊りでインターネットカフェを利用する人をいうらしい。

確かに、このような人は大勢いるとは聞いてはいたが、実態がはっきりしなかった。
では、一体どの位いるのだろうか。
厚生労働省の2007年の初調査によると現在5400人いるという。驚いたことに、50代が20代に次いで多い。家族と離れ永住する所もなく、狭い空間で朝を迎えるおじさんたちの心境を考えると複雑である。
また、この難民の中には「マック難民」と称する人もいて、ハンバーガーショップ「マクドナルド」の24時間営業店舗に寝泊りする人をいうらしい。
この多くは日雇い労働者や高校生・定職を持たない若者たちだ。もちろん若者は通常「まんが喫茶」に寝泊りするが、お金が無くなると安いマックに移るようだ。
この人達の必需品は派遣会社との連絡を取るための携帯電話・コインロッカーであるらしい。まさに世の中は変わったものだ。普通働きたいけど働けなくて職を求める人や、高齢者、働く意思・意欲を失った人達を難民(ホームレス)と言う。

国は「景気回復」をうたい、安倍首相も「美しい国」と自信を持っていっているようだが、私たちの仕事や生活を取り巻く環境は年々厳しくなっていることも確かだ。
非正社員の大幅増加、ワーキングプア、年金問題、国保の引き上げなど数えればきりがない。一体全体、誰のための政治なのかと首を傾けたくなる。
ホームレスやネットカフェ難民が増えてきても致し方ない状況に今日本は陥っている。
大企業の要求に沿って進めてきた労働法制の規制緩和策を見直して、仕事を求める人に職を与えることがこの現状を打破できる解決策になるのではないだろうか。
参考資料 産経新聞 Webウォッチ フリー百科事典 奇人変人フレンドパーク より

Drの四方山日記(376)

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375.jpg 近年の日本女性、特に若い世代の人達はものの考え方が変わってきたようだ。
しぐさやマナー、口の利き方など言動が10数年前と極端に変化しているように思えてならない。
例えば結婚についても、恋愛したり遊んだりしたいが夫はいらない。しかし子どもは欲しい、という若い年代の女性が多いようだ。これは母子家庭を意味する。それはどうも、女性の考え方の違いによるようだ。

子どもができれば生活も制限され、経済的にも大変である。親の援助があれば何とかなるが、世の中そんなに甘くはない。ましてや育児は大変である。それも考えずに、まるで子どもを“ペット”のように考えている女性が増えてきている。そのため、理想と現実が極端に食い違い、不幸な道をたどる若い女性が最近目立っている。
ましてや親の言うこともまともに聞かず自分勝手にしてきたため親も口が出せず、これからの人生をどう生きたらいいか思い悩む女性が多い。

そのため、新たに恋愛をしてもすぐに別れ、そのうち歳をとって出会いがなくなってきた頃には若い男性を求める。つまりあくまでも「母親」ではなく「女性」でいたいと言うのである。
そして子どもが成長した時その母親の姿を見て、その子もおのずと同じ道を歩んでいく。これが悲しいかな日本の現状である。

どうも日本人と欧米人とは習慣や考え方が違うのに、何んでも白人のやっていることが素晴らしいと勘違いしていて困ったものだ。
もちろん日本の若い女性の全てがではない。しかし、一部でないことは確かである。
もっと日本の歴史や文化を知り、マナーや行儀作法を身につけた女性が増えることを願ってやまない。戦後生まれの親がもっと厳しく子どもを教育することが、中途半端な女性をつくらない元である。大和撫子よもう一度蘇れ!!

Drの四方山日記(375)

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374.jpg アウトレットと言うと、何でも安く手に入るショッピングセンターと思われてきたが、最近では軽井沢のプリンスホテルにあるアウトレットや御殿場のアウトレットなど、ブランド物を主体にした店舗が出店しているものが登場してきた。

昨日、その1つである御殿場のプレミアムアウトレットに行った。
2000年のオープン当時、一度訪れたことがあるが、その時はまだ出店数も少く雑貨や一般的な衣料を売る安い店が多かった。
だが、驚いたことに大半が世界のブランド、日本のブランド店および製造小売型が直接出店するアメリカ生まれで全く新しいスタイルの訴求型モールとなっていた。それも市価の2割?5割で手に入るとなれば、静岡県だけではなく東京・神奈川・山梨など県外からも大勢押しかけるようだ。

アウトレットも最近市民権を得たらしく、東京郊外や東京から100kmほど離れたところに続々オープンしている。この御殿場アウトレットは現在165店舗を集めた東日本最大規模のショッピングセンターで駐車スペースも1700台分もあり、富士山を背景に美味しい空気と自然を満喫でき、一日過ごすには打って付けである。

サービスや付帯施設も他では見られないほど多く、首都圏発のバスや御殿場駅から直通バスも出ており、道案内もたくさんいるので車でも迷わず行ける。
車椅子やベビーカーそれにペットのサービスも充実しており、週末ともなると都心の混雑を思わせるくらい買い物客が集まる。
また、今現在ウェストゾーンとイーストゾーンがあるが、2008年3月には新たにゾーンがつくられるという。
私たち家族も欲しいものがたくさんあり、ちょっと立ち寄るつもりが、4時間も滞在してしまった。たまの休日もこういうところに行くのも良いものである。
ただ、帰りの道が大渋滞で、家に着いたのが夜遅くになってしまった。
参考資料:御殿場プレミアムアウトレットHP フリー百科事典 より
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Drの四方山日記(374)

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 ある新聞に「ロシアのエルミタージュ美術館の分館設置を断念」という記事があった。6年前に世界でも超一流だといわれるエルミタージュ美術館を日本の広島に分館して設立する計画が発表された。しかし県議会と民意の同意が得られず、やむなく断念したという。
その大きな理由は、県民に多くの負担金がかかることと、国からの地方交付税の減額、経費が莫大にかかる上、ハコモノを造ることへの県民の抵抗で頓挫した。

この記事を読んで、ちょうど私もロシア旅行から帰ったばかりで、サンクトペテルブルクのエルミタージュ美術館の魅力にとりつかれたひとりである。
この美術館はロシアが世界に誇る超一流の美術館で、観光客のほとんどが訪れるといわれるくらい豪華絢爛な宮殿である。ロマノフ朝時代の財宝とソ連誕生後国有化されたコレクションを加えなんと300万点に上るもので、絵画、彫刻、陶器が400室に収蔵されており、絵画だけでもレオナルド・ダ・ヴィンチの『リッタの聖母』、レンブランドの『放蕩息子の帰還』など、世界的有名な作品が4000点以上展示されているのには驚いた。普通の美術館は絵画主体だが、この美術館は元宮殿だったために、美術品もさることながら、栄華の結晶といえる各ホールはまさに豪華そのものである。
2時間半見学に時間を割いたが、ほとんどハイライトのみしか観れず、後から全て観るのになんと一週間かかるとガイドさんが教えられた。私も世界中のいろいろな美術館を訪れたが、こんな巨大とも言える建物は初めてである。なにしろ見学を終わって裏門に出たら、なんとそこが中庭だった。あと大・小エルミタージュ、新エルミタージュの宮殿ギャラリーの棟で構成されているらしく、ただただ驚きの連続であった。
この美術館の分館を日本で造るとなれば莫大な建設費や運営費がかかることは目に見えており、一県が主導で行うことは到底不可能ではないだろうか。

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参考資料:中国新聞 より
Drの四方山日記(373)

S51.jpg 証券会社、銀行、自動車会社、スーパーマーケットなどの相次ぐ統合で落ち着いたかに見えた日本経済界も、人口減少による市場規模の縮小や大型ショッピングセンターなど他業種との競争激化で大手百貨店も規模拡大で生き残りを図らなければならない状況にきた。
そんな中、百貨店の老舗で売上高4位の三越と若者やファッション分野に強い売上高5位の伊勢丹が経営統合することになった。これは今年9月に大丸と松坂屋の経営統合以来、2番目に大きい合併である。この経営統合で売上高1兆5800億円と業界トップに躍り出る。果たしてこの両社の統合が相乗効果となり得るのか先行きは分からない。

どの業界でもそうだが、ある程度の売上高を上げないと維持できないのが現状で、百貨店も売上高1兆円を目安として維持していくことが条件になるようだ。ただ、他の業界と違い集客のために店舗立替や増床、商品管理・顧客システムなどに投資がかかるため債務負担が多くなりそうだ。三越と言えば世界の有力ブランドも一目置く銀座や日本橋に店舗を構えることが他の百貨店より魅力的だし、メリットも大いにあるようだ。伊勢丹も名鉄百貨店や東急百貨店などと業務提携し拡大してきた。単品管理のしくみや商品企画力、またそれを支える情報システムは抜群であり、若者に強くアピールするところが魅力だ。偶然にもこの両者は東京を発祥とし呉服百貨店としてスタートした。両社長も同じ開成高校の同窓で、かねてから親しい関係にあったという。両百貨店とも10?20年先を考えての合併だという。百貨店戦争の東京・新宿は伊勢丹が強いため強敵高島屋と十分闘うことができる。合併することは消費者にとっては大きなメリットになることは確かであるようだ。

今の時代、老舗だけではやっていけず、お互いの経営手腕の良い部分を出しあってこれからの生き残りを模索していかなければ、激動を迎えた業界の今後を生き残ることはできないのではないだろうか。この危機迫る百貨店の統合は、今一つのブームにある大型スーパーマーケットに対応するためにも必要なのかもしれない。どちらにしても国民にとって自由に幅広く買い物ができることは嬉しいことである。
参考資料:産経新聞 毎日新聞 フジサンケイ より

世相シリーズ(51)

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372.jpg 朝、起き掛けにラジオでスペシャルオリンピックスの世界大会について放送していた。
そう言えば、知り合いの音楽家・湯川れい子さんに以前誘われた長野の冬季世界大会のことを思い出した。
最初、スペシャルオリンピックスとパラリンピックは同じものかと思っていたが、パラリンピックは身体障害者の大会であるが、IOC(国際オリンピック委員会)とは直接関係ない大会である。
一方スペシャルオリンピックスは知的障害者の大会で、こちらの方はIOCの傘下に入っているという。では、一体あんまりなじみのないスペシャルオリンピックストはどんな大会なのか。

1962年、ジョン・F・ケネディの妹ユニス・ケネディ・シュライバーが自宅の庭を開放して35人の知的障害者を招いてデイキャンプを行ったのがその最初だといわれている。その時は、プールで泳いだりトラックを走ったりバスケットボールを楽しむ程度の簡単なものであった。その後、全米に広がり1968年第1回の冬季国際大会がアメリカで開催された。その年の12月に新たにスペシャルオリンピックスINCが設立された。

日本では1980年聖ミカエル学院によって鎌倉市にジャパンスペシャルオリンピック委員会が設立され、世界で42番目の組織としてスペシャルオリンピックス本部に登録された。83年の6回大会に初めて日本選手団が送られた。日本では1993年、長野で国際大会が開催された。競技は夏冬合わせて26種類あり、3名?8名のディビジョンに組分け競技を行う。ただし、普通の競技と違い、全員が表彰台に上がって1位?3位には金銀銅メダル、4位以下?失格となった競技者も含め参加賞のリボンが送られる。
それは、他の国際大会と違い“参加することに意義”があることを重要視し、みんなが平等に勇気と喜びと感動を分かち合うことを目的としているからだ。つまり各個人のあらゆる障害に負けない精神を作り上げることを大前提にしているということである。

日本でも文部科学省を主体に新たにオリンピックのみならずこのスペシャルオリンピックスを含めた大会に臨むスポーツ省(庁)を設立しようという運動が高まっている。これは素晴らしいことである。ぜひ、期待したい。
参考資料:フリー百科事典 産経新聞 より

Drの四方山日記(372)

W17.jpg 毎日暑い日が続き、もはや猛暑ではなく酷暑のような陽気である。
何も暑いのは人間だけでなく、恒温動物であるペットたちも暑さや苦しみに耐えているようだ。
人間の場合は、体温を下げるため汗をかき体温調節することができる。一方、ペット(犬猫)の場合は汗腺が足の裏にしかなく、夏場の犬は舌を出し「ハーハー」と呼吸をして舌の表面から水分を蒸発させている。その時出てくる気化熱によって体の中にたまった熱を体外に出し体温をうまく調節する。
ただ、日本の夏は欧米などに比べて湿気が多いので唾液が蒸発しにくく、体から熱が放散しにくい。よって、パグやシーズー、ペキニーズ、ブルドッグなど鼻が短い種類や年老いたペットは特に体温調節がうまくできず、熱中症(熱射病)にかかりやすい。
そのため体温調節が苦手な動物は、環境温度を下げることで体温を下げる必要がある。

体温が上がっているか確かめるには、耳の毛細血管が真っ赤に見えるときは、体温が想像以上に上がっているので、すぐに体温を下げさせることができる。

では、この猛暑をどうしのぐかの対策としては、
犬の場合、散歩は日中の暑い時間帯を避け早朝の涼しい時間や夕方の暑さが和らいできた頃にするとよい。
ただし、夕方であってもアスファルトに熱が残っている場合は避けるようにする。
人間より地面に近いので、もろに地面の熱を受けやすく、熱いアスファルトの上を長時間歩くと足の裏の火傷の原因になるので注意が必要だ。
また、室内で長くいるペットの場合は、部屋の換気が最も重要で換気が悪かったり室内が高温だと熱中症にかかりやすい。
その対策として、窓に遮光カーテンなどで日よけをしたり、クーラーを弱めでつけっぱなしにする。
ただし、こまめに窓を空けて換気をして冷えすぎないように気を付ける。
クーラーによって空気の乾燥で皮膚や粘膜などにダメージを与える可能性があるからである。

あと、車で外出する場合は、留守番させ、連れて行かないようにする。
もし、連れて行く場合は日陰に駐車し、短時間で用事を済ませて戻るようにする。
車内はあっという間に50?60℃まで温度が上昇し、10分くらいで命の危険にさらされる可能性があるからである。
外出のときは必ず水分と栄養のあるものを持参するのも愛犬家としては忘れてはならない。

我が家の愛犬も、この猛暑でちょっとバテ気味である。よって極力外出する時は家で留守番させ、エアコンで調節している。運動不足にもならないように2部屋続きにしたりしている。ペットも人間もこの酷暑では生きるのに必死である。
参考資料:gooペット All About 河北新聞 愛犬のハッピーLife百科 より

話題シリーズ (17)

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371.jpg 昨日の朝、沖縄・那覇空港で台北発中華航空機(ボーイング737-800型)が41番スポットに停止した直後、爆発炎上した。事故機には乗客乗員165名が搭乗していたが、間一髪90秒以内に4ヶ所の脱出用シューターから機外に出たため難を逃れた。まさに恐怖の1分30秒である。

今回の事故は、右翼付近から燃料漏れが起こり爆発炎上したらしい。それも中華航空の整備士が右翼第2エンジンから煙が出ているのに気がつき連絡したため、エンジンの停止と消火装置の作動・緊急脱出を要請し、通常の事故よりも早く処置できたため難を逃れた。
もしこの連絡が遅れて行動を起こさなかったら、大惨事になるところであった。

 中華航空は別名ブラックキャリアと称される航空会社で、1994年名古屋空港で着陸に失敗し墜落し乗客乗員264名が死亡し7人が負傷した。この時は副操縦士が誤ってゴー・アラウンド(着陸をいったん中止しやり直すこと)スイッチを作動させたため起こった大惨事であった。
過去にも20年間で6回も飛行機事故を起こしている。その大半が人為的なミスだったらしい。特に名古屋の墜落事故は機長と副操縦士が飲酒していたためだといわれている。
我々飛行機を利用する者としてはとんでもないことである。私も海外はもちろん国内でも数多く飛行機を利用するが、いつも乗る時はこれで最期だと覚悟しつつも安全を願って搭乗している。私はこの世の中人間のやることだから、人為的ミスや整備的ミスが万に一つ起きてもおかしくないと常々思っている。しかし、人間は誰しも事故に遭いたくないと思って飛行機に搭乗するわけだから、航空会社も十分乗客の安全を第一に考え整備はもちろんパイロットの質の向上を目指して飛行機を飛ばして欲しいものである。
今回の炎上事故は幸いにも危機一髪で乗り越えられたが、いつなんどき何が起こるかわからないのが世の中である。
参考資料:フリー百科事典 産経新聞 時事通信 より

Drの四方山日記(371)

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370.jpg 昨日の日曜日はロシア旅行の疲れが出たせいか、朝11時頃までグッスリ睡眠をとった。
この猛暑なのに“よく寝られるね?”といわれそうだが、時差ボケが残る私にとっては暑さもあまり関係ないようだ。
起床してすぐにウォーキングウェアに着替えて日課のウォーキングに出かけた。しかし、この日はとてつもなく暑く33?34度あり、腕を振ったり足を運んだりするとムンとした熱風が当たり、額には汗が吹き出て拭くのに大変だった。そんな時私に一時の“やすらぎ”を与えてくれたのが蝉(セミ)の声である。

蝉は、ややもするとうるさく騒音に聞こえるが、この時ばかりは私に暑苦しさを忘れさせてくれる。何しろこのところの暑さは「猛暑」を通り越して「酷暑」といっても過言ではない。
暑ければ暑いほどアブラゼミやクマゼミのオスがメスを求めて愛の歌を奏でるらしく“ミーンミーン”や“ジージー”と鳴き声が高くなるらしい。
私がウォーキングする川沿いの道はこの日ばかりは2種類の蝉以外にニーニーゼミやツクツクボウシなどが加わり、何か混声合唱のように聞こえた。

世界には3000種類の蝉がいるといわれ、日本にはその内30種類生息している。成虫になるまで土の中で6年間過ごし、7年目に初めて抜け殻から羽化(7月上旬?9月下旬)して蝉になる。
通常は人里から山地に幅広く生息し、都心部では果樹園や緑の多い公園、川沿いなどの木々に姿を見る。ただ、蝉が地上に現れて鳴くときはもうすでに命が終末に近づいている。この時が命の終わりを告げる寂しげなひと時であるようだ。

私もウォーキングをしながら木で鳴く蝉を見つけ“ご苦労さん”と声を掛けた。
外国では蝉は単なる騒音に過ぎないようであるが、日本では文化の1つとして考えられ、いろいろな俳句や川柳などに謳われている。やはり日本文化は素晴らしいと改めて感じさせられる。
ただ、あまりの酷暑で一時間くらいしたら熱中症にかかりそうになり、慌ててペットボトルを買って飲み干した。こういう暑さは美味しい水が格別である。
参考資料:産経新聞 ふらり道草『蝉の夏』より

Drの四方山日記(370)

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369.jpg今回の研修旅行でインド同様に経済成長著しい大国ロシアを訪れた。
ロシアというと我々日本人、特に50代以上の人にとっては“いわば敵国”というイメージがあった。しかし1982年のゴルバチョフ書記長(のちの初代大統領)のペレストロイカ(建て直し)政策、1991年のソ連崩壊、エリツイン大統領の市場経済とめまぐるしく変化を遂げていく中、ロシア国民は力強くこの激動を乗越え、人間としての生活を取り戻してきた。そのせいか首都モスクワや第2の都市であるサンクト・ぺテルブルグでは若い人の自由奔放な言動や中高年の“いきいき”した姿が私の目に焼きついた。
ただ、一般市民に現在のプーチン政権についてインタビューした時だけは一同に顔が厳しくなり何も話してくれなかったのがわたしには気にかかった。これも急激に社会主義から自由主義に変革したせいであるから仕方がないかもしれない。

369b.jpg現在ロシア連邦の国家予算は30兆円であるといわれている。これは日本の企業トヨタ自動車の決算額と同じである。かつてはアメリカと並び称せられる超大国であったとは信じがたい。今回の訪問でロシアの歴史や文化・芸術の良い面と、栄華とその終焉(しゅうえん)・革命の理想と挫折などの悪い面をこの目でつぶさに見られたことは大きな収穫であった。
確かに今はウランや石油の発掘で潤っていることはすごいことであるが果たして国民にとっては喜ばしきことなのか今現在ではロシア国民にとっては何もその恩恵が感じられてないようである。

研修旅行の紀行文は後日NMNの「世界探訪」で詳しく報告しようと思う。

Drの四方山日記(369)

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(旅行8日目)
361.jpg モスクワから成田に無事到着し、そのまま東京の自宅に戻った。
今回のロシアの旅は結構ハードスケジュールであったが、ソビエト崩壊後のロシアの状況をつぶさにこの目で見られたことは私にとって大きな収穫であった。特にロシアはプーチン大統領になってから経済が急上昇し、アメリカに匹敵する経済大国になろうとしている。その状況を今回少なからず知ることができた。
詳しくはNMNの紀行文「世界探訪」の中に書こうと思う。乞うご期待。



Drの四方山日記(368)

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(旅行7日目)
361.jpg この日は遅めの出発で空港に向かった。途中スーパーマーケットに立ち寄り、市民の暮らしを覗いてみた。
ソビエト連邦崩壊後、一時はスーパーマーケットの棚から食料がなくなったのをテレビの画面で見たことがあったので、豊富な品々が並んでいるのには驚いた。
帰りにキャビアを買おうとしたが、280グラムしか持ち出せないので、やむを得ず他の品物に切り替えた。“ロシアといえばマトリョーシカ”といわれるくらいこの有名な民芸品を多く買うことにした。
その他、グジェリ(陶器)、ホフロマ(塗物)、ショールなどが多く販売されていた。ともかくサンクト・ペテルブルグの全日程を終え、3時30分発でモスクワに向けて離陸した。
モスクワでは乗り継ぎに約2時間半を要したが、無事モスクワを出発して一路東京に向かった。

Drの四方山日記(367)

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(旅行6日目)
361.jpg いつもより早く起こされ、慌てて朝食を終え8時にホテルを出発した。
まずサンクト・ペテルブルグから南に25キロ行ったところに、豪華な宮殿群を中心に緑豊かな庭園が広がるところがある。四季折々の美しさが感じられる名所・エカテリーナ宮殿がそれだ。
この宮殿はピョートル大帝の妃・女帝エカテリーナ1世のために建設されたもので、バロック様式の外観が美しく内装には贅が尽くされその豪華さに目を見張った。特に琥珀の間は広く美しく、思わずため息が出た。慌てて写真を撮ろうとしたが、案内人に制止され撮ることができなかったのが返す返す残念だった。

2時間見学した後、昼食にキエフ風カツレツを頂いた。これはウクライナ料理の1つでバターを鶏肉で包んで揚げたもので、味は格別であった。
午後から、ベルサイユ宮殿を模したといわれる大宮殿を見学した。宮殿もさることながら「ロシア芸術の真珠」と称される噴水で有名な庭園を訪れた。この噴水の地下には洞窟があり、特別に案内してくれた。日が落ちそうな時間に夕食に行った。ここでは牛肉の煮込みを詰め込んだ壷焼きを食した。
この時、ブリヌイというものをデザート代わりに食べた。
これは一種のホットケーキ風のもので中にはキャビアやイクラ、はちみつ、ジャムなどが詰め込まれているという豪華なデザートである。お腹も満たされ、そのままホテルに帰り爆睡しようとしたが、明日はいよいよモスクワに向かわなければならないので、荷造りに時間を費やした。 

Drの四方山日記(366)

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(旅行5日目)
361.jpg 旅も5日目に入るといろいろな建築物に慣らされ、ちょっと疲れもあってどれを見ても同じに見えてきた。
今日はお昼に中華料理が出ると聞かされたので、何か元気が出たような気がする。9時にホテルを出発して、サンクト・ペテルブルグ市内観光に出た。

まず最初は、金色のドームを悠然と頂く教会イサク聖堂を訪れた。
これは外からの見学であったが、ドームと円柱の調和が美しい建築物で、何かロシア帝国のすごさを改めて認識させられた思いがする。
その足で宮殿広場を訪ねた。ここはいつも街のイベント会場にもなるらしく、たくさんの人々で賑わっていた。この広場の四方にはいろいろな建物が建つが、西側には元老院にちなんで元老院広場というものがあった。また、その他ピョートル大帝像が悠然と立つ青銅の騎士像が見られた。この像の台座には3行に渡ってロシア語とラテン語で「エカテリーナ2世からピョートル大帝へ」という文字が大きく書かれていた。

次にネフスキー大通りをゆっくり車から見学しながらエルミタージュ美術館へ向かった。
この美術館はこのサンクト・ペテルブルグに来た観光客は必ず訪れる美術館で、ロシアが世界に誇る超一流美術館とされている。この美術館は3つの建物と劇場からなっている。ロシアの歴史的な絵画はもちろん、フランス印象派絵画とルネサンス絵画が多く収蔵されていた。ここでは、なんとレオナルド・ダ・ヴィンチの「リッタの聖母」が展示されているのには驚いた。

2時間半の見学後、昼食はいよいよ待ちに待った中華料理に舌鼓を打った。お腹いっぱいになって、午後から水の都ならではの運河巡りを1時間楽しんだ。確かに素晴らしかったが過去にベネチアを訪れていたので、どうしても比較するとちょっと感激が薄れたように思う。夜、オペラまたはバレエを楽しんだ。(残念ながらこの文面は行く前に書いているので、どちらになるかは行ったときしか分からない。10時過ぎ、ホテルに帰宅した。1日長かったせいか、ぐったりして知らずのうちに眠りこけてしまった。

Drの四方山日記(365)

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(旅行4日目)
361.jpg 朝早めに起床しモスクワ空港に行き、11時ごろの飛行機で「北のベネチア」と称されるサンクト・ペテルブルグへ向かった。1時間半くらいの飛行時間でサンクト・ペテルブルグの空港に到着した。

ここはかつてのロシア帝国の首都でヨーロッパで最も美しい街の一つに数えられている。
優美な貴族文化の栄華が息づく街で、300年前は何も無い一面の沼沢地だと聞かされビックリした。水路も多くイタリア・ベネチアのゴンドラを思わせる小船が多く行き交い、何か幻想的な雰囲気を漂わせる街である。

昼食は名物サリャンカとペリメニを食べた。サリャンカはトマト味の酸味のあるスープでペリメニはシベリア風水ギョーザでサワークリームをかけて食べた。味は後日紀行文で報告する。

午後からチャイコフスキーの墓のあるアレクサンドル・ネフスキー大修道院を訪れた。ここはアレクサンドル・ネフスキー公を祀るためピョートル大帝によって建設された。この中では黄色に塗られたトロイツキー聖堂が目を惹いた。特に祭壇の右側に置かれた銀の箱には歴代の皇帝たちの遺体が一部納められていた。しかしチャイコフスキーやロシアを代表する作家ドストエフスキーの墓を探すことが出来なくて残念だった。
そのあとモザイク画が美しいとされる血の上の教会を訪れた。名前だけ聞くと何か物騒なイメージを浮かべるが、実のところその通りだった。
この教会は皇帝アレクサンドル2世が暗殺された場所に建てられた。この日泊まったホテルは街の中心のホテルであった。

Drの四方山日記(364)

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(旅行3日目)
361.jpg 朝食を摂ってから、9時にロシア美術の殿堂であるトレチャコフ美術館を訪れた。
ここにはロシアの古美術や18世紀以降の絵画が収集され、ロシア美術の傑作が数多く展示されており、我々旅行者は驚嘆した。
私はこの美術館の前に颯爽と腕を組むトレチャコフ石像が強いロシアを象徴するように思えたので、シャッターを押し続けた。見学後昼食のためレストランに向かい、名物ボルシチや羊の肉の串焼きシャシリクをいただいた。しかし羊の肉を嫌う私は何口か食べてやめた。どうも好き嫌いのある私の口には困ったものである。ロシア料理に謝らなくてはならない。
ゆっくり昼食を済ませたあともうひとつの有名な場所であるメトロ(地下鉄)を見学した。メトロは「地下宮殿」とも言われ超豪華で何か美術館に来ているような錯覚さえ覚えた。やはりロシア帝国はすごかったのだと改めて感心した。おそらくここはソ連時代の地下壕ではなかったかと想像される。
案内人に実際体験乗車しませんかと勧められたが、ロシア語のわからない私は遠慮した。その後お決まりのロシア人の一般家庭訪問に連れてかれた。
最近は必ずといっていいくらい旅行に来るとその国の家庭訪問をさせられるが、そのような交流だけでその国を垣間見ることは出来ないように私自身は思う。でも恒例なので参加した。そのあと夕食に行き、そのままホテルに直行した。今日も1日ご苦労さんと自分の体につぶやいて寝た。  

Drの四方山日記(363)

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(旅行2日目)
361.jpg 朝早く起床し、食事後モスクワ市内とクレムリン観光に出発した。
最初に世界遺産に登録されている赤の広場に向かった。ここはクレムリンの城壁の東側に広がる場所であり、クレムリンの代表的な広場である。
そして赤の広場にはカラフルなデザインの聖ワシリー寺院があり、数あるロシアの聖堂の中でも最も有名な寺院である。ここに入場したあと500年近い歴史を誇るという女子修道院ノヴォデビーチ修道院とソ連崩壊後復活したロシア最大の大聖堂救世主キリスト聖堂を訪れ外部から写真撮影した。
何しろすばらしい建築物が多く、シャッターを押すのがひと苦労である。そしてそのままバスで市内のパノラマを見渡せるヴァラビョーヴィの丘(雀が丘)に登った。
そのあとロシア名物ビーフストロガノフを美味しくいただいた。おそらくほっぺたが落ちるほどの味だ。

昼食後クレムリンの宝物殿として知られる武器庫を見学した。
ここは2階建てで9つのホールからなり、中にはピョートル大帝の王冠やアンナ女帝の王冠など、ロシアの歴史そのものを収蔵した貴重な宝物が展示されており、我々旅行者を驚かせた。
次にウスペランスキー寺院を訪れた。
この大聖堂はロシア帝国の国教大聖堂としてモスクワ総主教の葬儀が行われた場所である。この日はみっちりクレムリンを観光することが出来たのと同時に、旅の1日目から疲れが出た。

Drの四方山日記(362)

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(旅行1日目)
361.jpg 今回の「世界探訪」の旅はかねてより興味を持っていたロシアのモスクワと栄華が息づく街サンクト・ペテルブルグを訪ねる。
特にロシアはソビエト連邦共和国崩壊後2000年に制定された国であり、その面積はなんと日本の約45倍あり、とてつもない大きな国である。国土はほとんどが永久凍土帯のツンドラから森林タイガで、乾燥性草原の半砂漠及び山岳地帯を持つ多様な国である。

崩壊後一時は混乱を極めたが、ゴルバチョフ書記長のペレストロイカ政策やエリツィン大統領の市場経済に向けての改革と新憲法の制定により、三権分立を基礎とする国家機構が作られた。
その後2004年3月の選挙でプーチン大統領が誕生し、現在の統一ロシアが出来上がった。その後経済の飛躍的発展を遂げ、ソ連時代の勢力に戻ってきた。そうした状況をわずかでも垣間見るべく、今回の旅を企画した。

 本日(8月10日)正午アエロフートロシア航空で成田空港を出発し一路モスクワに向かった。モスクワには夕刻5時30分ごろ到着。入国手続きをした後そのままホテルに直行した。さあ、明日よりクレムリンや赤の広場などモスクワを象徴する旅が始まる。

Drの四方山日記(361) 

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360.jpg 日本精神とは民族国家の非常事態に発揮された大和魂で、武人の生き方である。
それはもののふ(武士)の道を意味し、心のあり方や死生観につながる。死と向かい合い、いかに死ぬか、そしていかに生きるかを考えていくことである。それを培うためには、自分と向き合い、己の弱さや未熟さを知り、それを克服しようと心に強く感じることである。

このもののふの考え方からきたものが武道や相撲道である。他の格闘技や格闘系のスポーツと異なるのは、この心のあり方につながる。心のない力は、ただの相手を倒す凶器であり武器でしかなく、力のない心はまさに無力である。よって人間の行動の核になるものは心である。その心のあり方が全てを左右する。

今回の横綱・朝青龍の言動は、自分自身を制御しコントロールする心の強さと精神力が薄れた結果と言える。彼が横綱に昇進する時、相撲協会の使者に対し「横綱として相撲道の発展のために一生懸命頑張ります」と力強く口上を述べたことを全く忘れている。
確かに日本相撲協会も現在の観客数の動員に苦悩していることは否めない。しかし、「国技」の重みをしっかり認識して彼に教えるべきである。それに対して理解できない横綱であれば、もう我々日本国民から離れるべきではないだろうか。
幼い心を持つ朝青龍が「巡業など金にならない仕事には不参加」という甘い考え方を持っていたことは、横綱として恥じるべきである。今の日本は、「誰も責任を取らない」といった体質が蔓延している。こういう時だからこそ、日本が世界に誇る文化である相撲を正しく認識してもらうため、絶好の機会でもあるように思う。きちんと協会が相撲道としての決断をすることは、逆に相撲に対して日本国民の評価が上がり、以前のような大相撲の発展につながると信じて疑わない。

※我が師である佐々木將人先生(山陰神道宮司・神明塾々長)の承諾を得て、人生訓の一節を掲載させていただきました。
参考資料:武道から学ぶ精神とは 産経新聞 相撲道の精神とは? 術と道(明治神宮) より

Drの四方山日記(360)

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359.jpg 昨夜、テレビで素晴らしいドラマを観た。東京の農業大学の学生が酪農実習のため北海道の牧場でいろいろな体験しながら学んでいく青春ドラマである。
自分たちで牛のお産を経験して動物の尊い命の大切さを知り、一所懸命子牛を6人で育て行くという内容で、昨日がその4話目だ。

そんな中、リーダーのミスで親牛に怪我をさせてしまい、淘汰(とうた)の憂き目(うきめ)に会う。その牛を必死に女子学生、彩華を中心に世話をやく。
しかし、牧場主がお乳も出ない牛は役に立たないので、淘汰しなければいけないと決断する。そして、やむを得ずその牛はトラックの荷台に乗せられその牧場から運ばれていく。その時、3人の実習生が必死にそのトラックを追いかけていく。そしてあとの3名がそれをじっと見守る感動的シーンがあった。
その夜、皮肉にも夕食はステーキだった。彩華と美帆子は食欲がないと拒否する。すると主人公である高志が「残すのは簡単だけど、食べてあげよう」と言うと、一番子牛を可愛がっていた和美が「いただきます」はその命をありがたく頂くということと言った。そして「ごちそうさま」の意味を言おうとしたら、純平が「ごちそうさま」はその命を育てたり、運んでくれたり、料理してくれた全ての人に感謝をするという事とみんなに教えた。素晴らしい言葉である。

今、若者たちは命の尊さや毎日食べる食物のありがたさを忘れている。食べ物はいろんな動物や植物の自然と育てる人々の恩恵によって成り立っていることに感謝せねばならない。ドラマのストーリーは単純であるが、視聴者に何かを教え伝える言葉が素晴らしかった。まさに、ドラマから学びえたことである。

参考資料:フジテレビホームページ より

Drの四方山日記(359)

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358.jpg 海外からユニークなニュースが入ってきた。
それはタイでは警察官が規則違反をすると、罰として「ハローキティ」風の腕章が着用させられるというものだ。

どこの国でも警察官の違反や不祥事はつきものだが、罰則に関してはなかなか難しく頭を悩ませている。タイはもともと厳格な階級社会で、犯罪者に対しては厳しく罰せられるが、こと警察官に関してはなかなか罰則が難しく苦悩していた。
とりあえず今年の5月「不良警察官」には紅白の格子縞の腕章を着用させていたがなかなか効果が表われないため、タイ警察当局は1980?90年代にアメリカのニューヨーク警察が導入した「割れ窓理論」方式を用いることにした。

この理論は軽い違反行為を強く取り締まることにより、より重度な違反者の減少につながる方法である。そのアイディアをタイ警察が応用し、より厳しくするよりも恥ずかしい思いをさせることで抑止させようとするもので、この程ピンクの可愛い子猫の腕章をつけさせることにした。
これがなんと日本のキャラクターである「ハローキティ」の腕章というから驚きである。
罰則として使うのはいいが、一体タイ警察は「ハローキティ」の商標登録を持っている(株)サンリオから許可を取っているのだろうか。
もし許可を取っていないとすれば、中国がやったのと同じキャラクター商品に対する著作権侵害に触れるのではないか。罰則するはずの警察が違反していたら、今度は誰が罰則を与えるのかみものである。ともかく厳格なはずの仏教国がこういうユニークなことをするのは意外な感じがする。
参考資料:ロイター通信 読売新聞  より

Drの四方山日記(358)

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357.jpg 先週末、静岡県伊東市にある宇佐美海水浴場で、体長約3.5メートルの不思議な頭の形をしたサメ(シュモクザメ)が遊泳中に目撃された。
もちろん遊泳禁止措置もとられ、地元漁業関係者が漁船11隻を出してサメを捕獲したが、どうもこの1頭だけではなく何頭かが目撃されている。そこで地元・伊東市では海水浴客のために700メートルのサメ避け網を張って防御した。
福岡県古賀市の海岸でも今月1日、サメの大群が目撃されて、大騒ぎになっている。
ここ10年の間に日本では4件のサメによる被害が報告されている。

 サメといえば、獰猛で危険な生き物「海の人食い」のイメージが強く、人間にとっては何よりも恐れられている。では、なぜこうもサメが恐がられているのだろうか。
それは私も観たが、1970年代にアメリカ映画『ジョーズ』や『ディープブルー』が公開されたからである。今の時代、海において何かの生き物に食われるということは滅多になかったため、この2作の映画のサメの襲撃シーンは世界中にセンセーショナルを起こした。

サメにもいろんな種類がおり、中でも『ジョーズ』にも登場したホウジロザメ(最大の肉食魚類)、イタチザメ(最も悪食なサメ)、オオメジロザメ(川にも出没する危険なサメ)、そして今回の伊豆の海で目撃されたシュモクザメが代表的なサメである。
サメは昔からほとんど形態を変えずに魚類の連鎖の中で頂点に立っており、嗅覚はとても鋭く、血液を100万分の1に薄めたとしてもすぐに嗅ぎ分けることができるといわれている。特に歯は鋭く、何か使い捨てカッターナイフのような形をし、欠歯しても何度も入れ替わる。視力は一部を除いて悪いようだ。
このようにサメは何かいつも人を襲うように思われがちだが、実際には人を襲うサメは全体の10分の1に過ぎず、人に危害を加える数種のサメが、その代名詞のようになっているようだ。
私も以前、ハワイの海でスキューバーダイビングをしていて、私の体にサメがかすっていったが危害を加えることもなくおとなしかった。どうも人間の勝手な想像によってサメが危険とするのは浅はかであるし、この際サメを見直してみてはいかがか。
それがこの暑い夏に海水浴に行く人たちの安心感につながる。
参考資料:マリントピックス 毎日新聞 サメの紹介 サメに対する誤解と真実 より

Drの四方山日記(357)

S50.jpg 水不足から引き起こされる問題に食糧危機がある。
水不足になると農業は深刻な状況に陥る。地下水のくみあげと水の再生産のバランスをうまく確保しなければ、将来深刻な問題になってくることは間違いない。
そこで限られた水資源を飲み水や工業・農業用水として大切に使うため、排水の回収・再利用および海水を淡水化するための関連市場が急務とされている。またそれに対する関連施設の整備が国連で論議されている。

 食料を生産するための水の消費は50年前の3倍になり、生活用水はやはり50年前の3倍になっている。それに対して、工業用水の使用量はなんと100年間で20倍にも増えている。
また、食料について言えば1キログラムの穀物の栽培には1000倍(約1トン)以上の水が必要だといわれている。
では、人は個人でどのくらいの水を消費するのかというと、1日1人あたり30リットルが最低量といわれている。これは、水洗トイレを3回流す量に相当し、水に困っている8割の国々の人たちはこれだけの量で現実には生活をしている。
ではなぜ日本は水が豊富なのであろうか。それは日本が島国であることはもちろんだが、火山活動によって隆起した多数の山の恩恵を受け、有数の河川と湖沼を持ち、また多くの森林を有しているためである。
また、生活用水としての安全性や用途の広さは他の地域に比べて非常に優れているともいわれている。そのため、日本人は当たり前のようにきれいな水を飲料水にすることができる。
しかし、近年は河川や湖沼などに多くの廃棄物処理施設が建設され有毒物質を垂れ流したため、今まで安全とされた水が危険に侵されてきている。そして、土地開発で山林を切り崩したことで、農業用水が不足したりして生活用水に影響をもたらしている。

我々日本人は水のありがたみをもっと自覚して、世界の水不足で困っている国々の人たちの100倍以上の大量の水を使っていることを認識し、世界の水不足の状況をもっと理解しなければならない。
今後、水の大切を見直し生活を根本から考え直さないと、我々の代のみならずこれから育つ子どもたちにも影響をもたらしてくることを知る必要がある。日々使っている水は、節度を持って大切に使うことを我々日本人は忘れてはならない。
参考資料:TBSラジオ 地球規模の水不足 世界の水問題 より

世相シリーズ50

S49.jpg 最近の国際ニュースで世界の水不足が取り上げられ大きな問題になっている。
では、なぜ世界の水不足が起こったのか。ここではそれによって起こりうる食糧危機について触れることにする。

地球は別名「水の惑星」といわれている。しかし、この豊富な水の惑星である地球に存在する水の98%が海水で、我々陸上の生物としては使うことが出来ない。
ある地理学者によると、使える可能性のある淡水は2%であるといわれている。その大部分は南極や北極などの氷河や地下深層水であるため、地球上で実際に使える水は0.01%しかない。

その大切な水が枯渇したり汚染されたりしてくると、当然我々生物が全滅する可能性が出てくる。人口の急増や産業の発展によって水需要が増えてきて、アジア、アフリカなど30あまりの国が水不足で悩んでいる。このままいくと、2025年には世界の4分の1の国々の水が不足すると国連が報告している。
そうすると10秒に1人が世界で死んでいくとも言われている。また約13億人の人が水不足になる。2050年には人口が増えて90億人いたとすれば、8割の70億人が水不足に侵されることになる。それを考えると、まったく空恐ろしくなってくる。

人間が食べ物をとるためには水が必要になる。その水が不足してくると当然生活が出来ないばかりではなく絶滅の危機にもなり得る。中でも水不足が一番問題になっているのがアジアとアフリカだ。
例えば中央アジアにあるアラル海という淡水の湖では世界で4番目の広さ(琵琶湖の100倍)を誇っていたが、現在ではその面積は2分の1になり、水量は3分の1に激減したため野生動物はもちろん漁獲量がゼロになって、人間すら住むことができない。
また中国第二の大河である黄河の水不足も深刻で、10年前より断流といって河口まで流れない現象が起こり、農業に影響を与えている。その他揚子江やアフリカ中部のチャカ湖・アマゾンなどにも水が不足しているのが現状だ。
今後一体どうなるのかについては明日もう一回記述することにする。
参考資料:TBSラジオ 世界の水問題 世界の底流 より

世相シリーズ49

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356.jpg 昭和歌謡史に偉大な足跡を残した作詞家で作家の阿久悠さんが昨日70年の生涯を閉じた。
阿久悠さんというと「悪友」というペンネーム通り、私の中では世相を毒舌を交えてを鋭く突く評論家のイメージが強いが、実際には作曲や作家の世界で数々の功績を残した偉大な人物である。
特に作詞家としては、過去にこれほどヒット曲を作った人はいなく、売れている曲を見ると必ず阿久悠の名前が目にするほどである。
また、レコード大賞は「また逢う日まで」「北の宿から」「勝手にしやがれ」「UFO」「雨の慕情」と5曲受賞している。
その他、「せんせい」「津軽海峡冬景色」などあげればきりがないくらいのヒットメーカーであった。その総数は5000曲以上だといわれている。まさに、昭和40年代後半から50年代にかけての歌謡曲の黄金時代をリードした作詞家である。
また、46年から日本テレビ「スター誕生!」の審査員をつとめ、山口百恵ら花の中三トリオや小泉今日子、岩崎宏美など数多くのスターを生み出したことでも有名であった。

作家としても「瀬戸内少年野球団」では直木賞候補にもあげられ「殺人狂時代ユリエ」では横溝正史賞、その他菊池寛賞、平成11年には長年の功績が認められ紫綬褒章を受けている。まさにマルチ人間でスーパーマンだと音楽業界では言われている。最近では新聞紙上で政治にも触れ、彼の備忘録では国の育成を憂い、彼独自のコラム「書く言う」で変貌する日本の姿を案じて書き続けた。それがなんと159回にも達したという。

死ぬ間際の彼は、ある新聞紙上で「国が乱れてくると、誰もが困ったものだと議員たちを責めるが、その議員たちを選んだのは我々国民でありながら誰一人反省を口にする人はいない」また「自分が1票を投じた人があんな悪いことをして、誠に申し訳ないと謝った主権者を見たことはない。これでは永久に民主主義は機能し得ない」という名文を残している。それが皮肉にも阿久悠さんの人生の最終稿となってしまった。
この名文を今の日本の国民伝えたい心境である。もちろん安倍首相をはじめとする議員諸氏にも伝えて奮起を願いたい。
参考資料:産経新聞 iza  より

Drの四方山日記(356)

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355.jpg 最近、北海道の旭山動物園が人気があるらしく観光客が全国から押しかけてくるという。
日本には動物園が現在30ヵ所あるといわれている。その中での旭山動物園は 7月の入園者数が前年を2万8000人上回る40万7000人で過去最高を記録した。入園者数は7月としては3年連続日本一になったという。

では、なぜこの動物園はこうも人気があるのか。それは動物の生態を間近に見せる「行動展示」にあるようだ。

例えば入園者を餌と思ってプールに飛び込むシロクマ、筒状の水槽を行き来するアザラシ、園内をよちよち歩くペンギンなど、野生に近い形で動物を間近に見られるなど、まさにアフリカの自然公園の小型版である。
私も2年前南アフリカのチョベ国立公園やケープタウンのオーストリッチ牧場。それに、ボルダービーチを訪れて動物を間近に見て感動したのを、昨日のことのように覚えている。
それと同じでこの動物園では普通の動物園にある人間と動物たちとの垣根を取り去った方法がうけているのではないか。

旭山動物園の成功にあやかりたいと、ライバルである上野動物園でも動物を観察しやすいよう行動展示を取り入れた。動物園といえばパンダ目当てに来園する人が多かったが、今ではすっかり影も薄くなり、入園者も激減しているときだけに、起死回生を狙っているようだ。東京にもう一つある多摩動物園ではライオンバスだけではなく、人気のアムールトラを獣舎から出して入園者に間近で見られるようにしているようだ。京都市動物園でもクマやサル、ゾウに氷をかじらせたり、上に乗って目を細めるなどの行動を近距離から見られるようにしている。名古屋東山動物園ではライオンに接近して観察できる施設を造ったり、アカカンガルーを間近で見られる広場を開放して動物たちとのふれあいを作ったりして努力をしているようだ。

あと代表的なものとして、大阪天王寺動物園ではカバをガラス製のプールで泳がせ、それを見学者に見させる方法や、「アフリカ・サバンナゾーン」では動物たちの生息地を作り、ほかでは絶対に見られないライオンとシマウマを同居させたりして入園者を楽しませている。

どの動物園でも旭山動物園の成功を真似て、いろいろと工夫をした各動物園独自の方法で入園者の増大を図っているようだ。まさに涙ぐましい努力である。
参考資料 毎日新聞 京都新聞 中日新聞 iza より

Drの四方山日記(355)

2009年6月

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