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先日、放送されたあるドラマを見た。それは松本清張の生誕100年を記念してドラマ化された『駅路』であった。松本清張といえば推理小説が有名で今まで長編・短編を合わせて1000篇も作られている。その中でもミリオンセラーをとった珠玉の短編が『駅路』である。それに加えて女性を描かせれば右に出るものはいないと言われる向田邦子が脚本を書いた。
物語は昭和の末期、銀行を定年退職した真面目な初老の男性(石坂浩二)が旅行に出かけ、一ヶ月たっても戻らないことを不審に思った妻が警察に捜索を願い出ることから始まる。真面目を絵に描いたような男が30代の元部下(深津絵里)とかけおちし定年後の人生を築こうとした。しかし女性のとまどいから約束の場所に行かなかったことがきっかけで事件として発展していく。そこに主人公と同じ年代の定年間近な刑事(役所広司)が捜査にあたる。調べていくうちに自分の歩んできた状況とだぶらせ、人生とは一体なんだと悩みながら解決へと向かっていく。
終盤になって、刑事と愛人であった女性との語らいの中で、悲しい一人の女性の生き方の終着にはやるせない思いがした。このドラマの主人公も刑事も私と同年代である。それだけに何か愛着すら感じたし、男の悲しい結末には涙すらした。結局、主人公は愛人が来なかったことで命をも奪われる形になってドラマは集結した。
物語の終盤で刑事がさりげなく語った言葉は見る人の心に響き感動した。「平凡で永い人生、駅路にたどり着いたときなんとなく安心する。耐え忍んだ人生から開放してもらおうと思い願い、定年後の人生を愛人と過ごそうとした。ところが自分はどうだ。何にも何にもなくて残りの人生を忍耐していかなければならない。死ぬまで我慢し続けた。シュッポ、シュッポとね」とさりげなく語っている言葉に自分とダブらせるものがある。誰しもこれから年を取っていく。果たしてその人にとって幕引きはいったいどういうものかと思わざるを得ない。それはまさに終着駅までの駅路である。
参考資料:フジテレビ より
Drの四方山日記(723)
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