世相シリーズ: 2008年9月アーカイブ

S94.jpg 中国はオリンピックをなんとか無事成功させ、あとは来年の上海万国博覧会を迎えるばかりである。その後の中国を世界の見識者が予測している。それによると中国の経済成長に陰りが見え、このままでは2010年にはバブルがはじけると予想している。その根拠は急激な発展により格差が大きくなり、北京・上海・大連を中心とする太平洋側と、四川・重慶・チベットを中心とする内陸側とでは物価や景気があまりにも違い、生活が成り立たない状況に追い込まれている。このままでは共産党一党支配も崩壊の憂き目に遭うのではないかと危惧されている。

その後同じ運命を辿るとされているのが米国である。米ソ冷戦が終結し、長く影響力を誇示していた米国の力も、今回の金融危機を期に陰りが見え、ヨーロッパをはじめ、アフリカ、アジアなどへの強制力が衰退するのではないかと思われている。

そのときに最も影響を受けるのが我が日本である。我が国も米国の力が落ちたときこそ戦後GHQが作った日本国憲法を改正して日本人のための憲法を作らなければならない。それによって国民が選んだ政治家が政府を作り、その政府が外国支援や国連のあり方に発言権を持ち、一国としての力を有することができるのではないか。それが将来の世界平和につながっていくと信じて疑わない。奇しくも同じ予測したのがアインシュタインその人であった。

世相シリーズ94

S93.jpg 米国の金融危機に対して、日本政府は対岸の火事のように思っているが、現実的には大変な状況に陥る可能性が大である。リーマンの破たんにより日本の金融関係、特に日本の大手銀行や証券関連はかなり損失を受けるようだ。さらに外国為替市場で円が急伸したため、トヨタ自動車やソニーなど輸出に強い企業が大打撃を受けそうだ。

日本人にとってリーマン・ブラザーズの破たんがどういうものなのか分かっていない様子をある経済学者が面白い表現をしている。米国証券トップのゴールドマンが銀行の支援を受け、リーマンが破たんしたということは日本で例えればトップの野村證券が銀行の支援を受け、4位にあたる証券会社が破たんしたようなものだと。

日本の場合は大手金融会社が不況に陥ったときには政府が公的資金を導入し救済するが、アメリカの場合すでに財政赤字が膨らみ、それすらできない状況だ。このままでは将来世界的大不況に陥る可能性があると言っても過言ではない。こういう大事なときに総裁選で浮かれている政府・自民党の気が知れない。もっと真剣に経済のことを考えないとその重大な影響をこうむるのは国民であると言うことを忘れてはならない。
参考資料:産経新聞 より

世相シリーズ93

S92.jpg 15日未明経営難に陥っていた米国証券の大手リーマン・ブラザーズが連邦破産法11条の適用を裁判所に申請し、事実上破たんした。
リーマン・ブラザーズと言えば、米国証券界では4位の位置を占め、158年の歴史を持つ老舗証券会社である。特にこの会社の最高経営責任者リチャード・ファールド氏は攻めの経営を行なう世界でもっとも尊敬される人物として評価されていた。そのため連邦政府や金融当局が公的資金を出すものと思われていたが、米国自体が巨額の財政赤字を抱えており、原油価格および食品価格高騰の中、ドル安のためインフレに進む恐れがあったため、公的支援を拒否した。

米国の大手の証券会社といえばゴールドマン・サックス、JPモルガン、メリルリンチそして今回破たんしたリーマン・ブラザーズである。その一角が崩れるということは今後米国経済のみならず世界の経済に影響を与えることは間違いないようだ。
一時、英国金融大手バークレイズが支援に回ると言われていたが、それも打ち切られた。米国証券界は1位のゴールドマンはすでにバンク・オブ・アメリカの支援を受け、3位のメリルリンチもバンク・オブ・アメリカによる救済買収を決めるなど、金融業界も再編が急速に進んでいる。
確かにサブプライムローン問題の影響から今回の状況を作ったのではあるが、その影響で業界および金融関係のリストラが加速したことが懸念されている。
参考資料:共同通信 より

世相シリーズ92

S91.jpg 福田首相としては、総理大臣という仕事があまりにも重責すぎて進むも地獄、引くも地獄だったようだ。総理大臣でありながら自分のカラーを出すことは相当なリーダーシップがないとできない職であったのだろう。
安倍前首相退陣を受けて首相になった福田氏にとっては政治資金問題、年金問題、防衛省の不祥事、拉致被害者問題、テロ特措法改正問題など数え上げれば切が無いくらい、懸案事項が多く、その多くはまともに解決せず今日まで来た。

ただ福田首相にとって唯一叶えられたのは洞爺湖サミットである。このサミットではG8の他、中国・インドを加えて環境問題を討議したり、アフリカ代表を加えての貧困問題などを話し合うことができた。これが父である福田赳夫元首相がなし得なかったことだ。

首相にまだ権威があった時代、辞任するとマスコミがこぞって興奮気味に臨時ニュースとして国民に伝えた。しかし今日のように一年足らずで政権が変わるような時代では今や首相の価値が薄れてきている。
中曽根元首相や小泉元首相が言うように、大統領型の首相を実現しないと日本という国の権威が保たれないのではないだろうか。
戦後の激動の日本を支えた、あの政治家たちのDNAはどこに行ってしまったのだろうと言いたい。
参考資料:河北新報 産経新聞 より

世相シリーズ91

S90.jpg 9月にはいって最初の日になんと、福田首相の退陣記者会見が行われた。突然の退陣表明に国民は一様に「またか!」という心境にさせられた。辞めた理由は気力もやる気も失い、やっていく自信がなくなったということだった。
政治家たるもの夢見るのはトップである首相ではないか。その夢がかなったのになぜその職を全うできないのか。
ましてや伴侶である夫人にも相談しなかったとは一国の宰相としては何をか言わんやである。

政権維持をかけた内閣改造を一ヶ月前に行った。そのときのキャッチフレーズが「安心実現内閣」「国民目線の改革」であったはずだ。その約束を何も実現しないまま、政権を投げ出すとは全く情けない。
本人は安倍前首相とは違うといっているが、違うのは健康問題だけである。退陣表明の中で公明党が主張した定額減税を年内に実施するという決定は自分としては財政規律を重要視する観点から反対だと言っていた。
しかし、パートナーを組む公明党の要求に対してNOとは言えなかった。また民主党が重要懸案の審議に応じてくれなかったのも退陣の理由だと述べていたが、これでは全く総理大臣としての仕事をしていないことになるのではないか。
その中でうまくイニシアチブを取るのがトップとしての宰相の仕事である。それも出来ないようではもう辞めてもらって結構だというのが国民の心境である。

こうなってみるとなぜ国民を代表する首相を国民の投票で選ばないのかと誰しも思うのではないか。
アメリカ大統領選のように全国を行脚し国民に支持を訴え最終的に一国の首長を選ぶ、これが本当の民主主義の姿ではないか。
参考資料:毎日新聞 より

世相シリーズ90

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