健康コラム: 2008年8月アーカイブ

K44.jpg 医学の父・ヒポクラテスの教えの中に『益を与えよ。さもなくば無害であれ。』という警句がある。
確かに医療の世界は日進月歩の勢いで進歩しているが、医師が的確な判断をすることが病気を治すための重要な要素であることには変わりはない。
また「患者一人ひとりに特有の性質があることを認識し、病気と闘うことが医師の勤めである。それがお互いの信頼関係が保たれ、患者自身が回復しようとする力を最大限に引き出すことにつながる。

本当に良い医療とは、医療側と患者側との周囲の環境によって始めて成立するものである」とヒポクラテスが全集に記述している。
しかし、日本の医療は明治時代に西洋医学(近代医学)が入ってきてそのときの医療が産業革命で技術である科学を行政に取り入れたため、それが正当であり優越性であるとしたことによる。
それによって医学は科学的根拠が重要視され、知識のある医師が上に立ち、患者と医師との隔たりを広げていった。それが今日まで続き、現在の医師と患者の関係となってしまった。
医師側は強い絆で結ばれ、医療行為、特に重要な検査や重篤な病気について患者に必ず同意書を取り、患者側の意見を求めさせないようにした。その積み重ねが今日の医療過誤につながったように思えてならない。

私も医療者の端くれとして患者一人ひとりに対し、真剣に対応し、治療を行っている。
今回のこの事件は一個人が起こしたものであり、医師会及び国がすぐ地域の産科医療に重大な影響を与えた一方、原告側に産科空白地帯を作るので目を瞑ってくれというのは医療の倫理から言ってもおかしいのではないだろうか。
医療には哲学というものがある。医師には人格と品位が必要である。それがあって始めて患者に信頼されるのである。これらのことをしっかり考え、国や医師会が良識ある判断をして欲しいと願うばかりである。
参考文献:ヒポクラテスが教える癒す力50 かんき出版   医療の限界 新潮社刊 より

健康コラム

K43.jpg 先日の20日、福島地裁で「大野病院事件」について判決が出された。その結果、被告人である産婦人科医が勝訴し無罪となった。
この事件は2004年12月、福島県立大野病院で帝王切開した女性が医療過誤で死亡したというもので、執刀した産婦人科医が医師法違反及び業務上過失致死で逮捕、起訴された事件である。

今回のこの判決は現在及び将来に向けての日本の医療のあり方について方向性を決める大切なものである。なぜなら深刻な産婦人科医師不足や医療安全体制の問題が根強く関わってくるからである。特に厚生労働省がこの判決について注目し「控訴を患者側にしないように」という要望書を法務大臣に提出したことに問題がある。
控訴断念の理由は「医療現場を不安と混乱のまま放置しない」ということが大前提にある。それに対し、被害者の父親はマスコミに対して「真実を知りたい。そして執刀した医師にきちっと顔を出して遺族に対し、謝罪し説明をして欲しい」と語った。
また「医療過誤原告の会」では「被害者の遺族に対してこれまでの医療事故の説明や医療過誤裁判の場でカルテの改ざんや証拠の捏造・隠蔽、事実とは全く異なる証言などせず、真実を語り真摯に受け止め、事故の再発防止に役立てて欲しい」と意見を発表した。

確かに人間のやることだからミスも当然起こってもおかしくないことではあるが医療に関しては他のものと違い、人間の生命に関わることだからきちんと被害者側に納得する説明を行わないと今後の医療現場の混乱は免れないのではないだろうか。
参考資料:毎日新聞 医療介護CBニュース より

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